151 倭国に百済から使者
磐井を登場させてみよう。安閑元年は継体在位28年説で考えれば継体26年である。この年に百済の使者が倭国にやって来た。
百済の使者、下部脩徳の嫡徳孫と上部都督の己州己婁等二人は、倭王磐井の宮廷の大広間に胡座(あぐらではない、座禅の時の、親指をふくらはぎに重ねる風雅な座り方である。)している。その上座には磐井王がいる。
二人の前には、百済からの貢ぎである金器や布が積み重ねられている(この他に【常の貢ぎ】という毎年の植民地税に近い物を二人は持ってきている)磐井王は先ほどから、使者が進呈した、百済王からの文に読みふけっている。
磐井王は韓国語で呟く。もちろん使い二人が聞いている事を意識している。
「ほう、新羅が国を接する金冠加羅国を執拗に侵略しているので、倭国の大軍の救援が欲しいというのか」
磐井王は文書を丸めると、横に置いた。それから顔をあげると、ひたと二人の使者に目を据えて言った。
「今回の特別の書状は、そういう事であるのか」
「しかと、さようでございます。上職である、われら二人を百済王が使者として出したのもそのような緊急のお願いがあってのことです。任那の状況はもはや一刻の余裕もないほど、追い詰められております。倭国より大軍の派兵を伏してお願い申しあげます。」
このことによって倭国磐井王は東国諸国に兵を発するように命を下した。東国諸国の代表である大和国は長く続いた戦乱のすえに大和国王として継体王を擁立させることができたようである。安定期に入った、今ならば出兵を命ずる事ができよと王は判断したのだ。
数ヶ月あと、大和国軍を中核とする、東国諸国の軍船は、大挙して博多の港にやって来た。