146 継体三年間を埋める創作
今、たとえば28年間の事実の記録があって、なんらかの事情があってこれを余り矛盾なく25年の記事に縮めなければならないとしたら人はどのような操作をするであろうか?それは、もちろん本来できないことだから嘘をどこかに忍ばせねばならない。28年間の最初の三年間を削除したりすると、それ以降の全部の出来事が三年前方にずれてしまう。だからといってさしたる事がなかった途中の年を削除したりすると、話しの流れがでたらめになってしまう。【一番無難な操作は、最期の三年を削除してしまうことなのだ。しかし、これにも問題が発生する。三年の嘘の出来事をを付け加えないと、継体28年の後の真正な史実と繋がらなくなってしまう。それで虚構を三年分を付け加えなければならない】。書紀が行っていることは、まさに最後のそれである。・・・この三年の記事はどんなであろうか、干支のこの頃の記録はひどく乱れているようなのでこれによらず、当面の資料で解明したい。
余談・干支は干と支の組み合わせで六十年単位で表記する数を用いない中国古来の年号表記。たとえば1・甲子、2・乙丑、3・丙寅、4・丁卯といった具合で60の組み合わせを作り60年を単位としてくり返す。干支によれば甲子の年は西暦1804年・1864年・1924年・1984年・2024年である。ちなみに本作を記している2011年は辛卯年である。
筆者は、継体天皇の後の安閑天皇・宣化天皇は、実際は存在しなかった天皇で継体天皇ー欽明天皇と継承されていると考えている。
しかし、両天皇の在位は書紀によれば六年間に及んでいる。継体天皇の在位が実際は28年間だったとすると、継体25年から3年分を作成すればたりるのに6年間にあえてするのは、3年間の調整では、継体紀の最後に「ある本によれば天皇は継体28年に亡くなったとあるが、百済本記に天皇・太子・皇子ともに亡くなったとあるのが干支によれば継体25年にあたるので、これをとって継体天皇の崩年は25年とした」と言う記事を、調整しているのがあからさまでばれてしまう。(この後、6年間の干支は当然くるってしまうが、書紀はそれに無頓着である)それで6年という適当な歳月を間に入れるのである。創作であるから調整したことがあからさまにならなければ何年間でも良いのである。