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136 毛野の臣

 毛野臣けなのおみについては、日本書紀は不可解な表現をする。六万という大軍を率いて九州にやって来た毛野に対して兵を興して遮り、その時磐井はこう云った。それは面会して云ったのか、書状で書き送ったのかは書紀文面からは読み取れないが、つぎのようであった。(原文)「今為使者、昔為吾伴、摩肩觸肘、共器同食。安得率爾為使、俾余自、伏倆前」(筆者訳)「今は使者となっているが、昔は我が友となっていた。肩寄せ腕を接して同じ器で同じ物を食べた。どうして急に使いとなって、余をしてお前の前に平服させようとするのだ」と云って軍門に下らずに、毛野と戦った。これによって毛野臣は、韓地への進軍を妨げられ、中途で停滞してしまった。継体王は、大伴大連金村、物部大連麁鹿火、許勢大臣男人こせのおおみおびとに云った。「筑紫の磐井がそむいて襲い、西のえびすの国(筆者註・新羅の事)を守った。良い将軍はいないか」と。


 ここの、文章が変である。毛野臣は磐井に進路を妨げられたまま、話しの筋から突然消えてしまう。そのあとに、磐井追討の将軍に麁鹿火が選任されて、磐井滅亡までその職を勤めるのである。何故、毛野が将軍ではまずいのだろうか、訳が分からないことである。それでいて、のちに韓地で主要な働きをするのは毛野であるのだから一層である。

 ここには何やら書き換えた匂いがある。それで筆者は以下のように推理する。

 

 毛野臣は大和の将軍などではないのである。倭国の将軍なのである。ただし毛野臣が韓地に遣わされたのは事実のようである。つまりこうである。磐井は、麁鹿火の軍に突然襲われて亡くなってしまった。

 しかし前述したように倭国は滅びなかった。将の一人、毛野臣が加羅に送られて、百済と新羅と加羅の間で動き回ったのである。その歴史事実を大和国が行ったようにしたい。そのために倭国と最初に戦う大和国将軍を毛野臣に設定したのではないだろうか。

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