131 カルカヤの歌・磐井の反乱伝説 上 終章
倭国を史上から葬り去ろうという謀略は、続日本紀(日本書紀に続く勅撰(天皇命による)史書。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)までの95年間の歴史を記述する、全40巻)に正体を現した。(余談・磐井関連の記事を見つけた・大宝二年〔702年〕8月1日薩摩と種子島は王化に服さず、制令に逆らっていたので、兵を遣わして討ち、戸口を調査して常駐の宮人を置いた。)
その驚愕すべき記事はこれである。
和銅元年(708年)(和銅の年号を定めるにあたり全国に大赦を行う)一月十一日の夜明け前の死罪以下、罪の軽重に関わりなく、すでに発覚した罪も、まだ発覚しない罪も、獄につながれている囚人も全て許す。(中略)山や沢に逃げ、禁書をしまい隠して、百日経っても自首しないものは、本来のように罪する。
草の根分けて、大和朝廷は、大和朝廷の禁ずる書を所持する者を捜しだし、死罪よりも許されない罪にするというのである。それから十年余り、全ての古書を焚書して、それらを材として半分創作である「日本書紀」が完成する。その記が以下の文書である。
続日本紀、養老四年五月の条(720年) 以前から、一品舎人親王、天皇の命を受けて日本紀(日本書紀)の編纂にあたっていたが、このたび完成し、紀三十巻と系図一巻を撰上した。
カルカヤの歌・磐井の叛乱伝説 上 完




