130 倭国隠蔽の理由
書紀編纂の意図と実行の相反は、失敗してしまったいたずらの様にほほえましいものである。しかし、それは現代の我々からそう見えるだけである。書紀にしばしば引用される「一書に曰く」の千にも及ぶ書のことごとくの消滅は、大和朝廷の徹底した焚書によるものなのである事を考えれば、我々日本人というものの性格を考えても見たくなることなのである。
倭国が大和王国と別な存在であるということは隠蔽されねばならないことだった。なぜならば大和王朝の前には他の王朝があってはならなかったからである。他の王朝があったと言うことは、大和王朝のあとにも他の王朝があり得ることである。大和王朝は日本書紀一書をもって、大和国永世の繁栄の材としようとしたのである。従って、この書の中で大和国は神々に繋がる万世一系の唯一の王家であると宣言しているわけである。
八世紀の日本にはすでに中国の政治制度についての思想が伝わって来ていた。それは易姓革命という孟子を初めとした儒教の考え方である。それは、「天は天の代行として固有の王朝に地上を治めさせるが、その王朝が徳を失って、天が見切りをつけた時に革命が起こる」とされた。前王朝と違った血筋の他の姓を持った王朝が新王朝を立てると云うことで易姓(姓をあらためる)革命というのである。
このような思想を背景として、中国においては平民から成り上がった劉邦や朱元璋のような皇帝が正当化されたわけである。
大和王朝は、この易姓革命を恐れたわけである。先進のこの思想は、血統を重んじる王朝の思想とあいいれない思想であった。まして既に、出雲王朝と倭国の滅亡を見ている、大和国の王朝はまたいつの日か自らの王朝の滅亡を迎える日を予感できた。そこで、それを防ぐために、王家の輝かしい万世一系の血筋と太古以来のただ一つの王家であることを宣伝する(従って倭国と出雲王朝の存在は徹底的に隠蔽された)必要に迫られた。それが日本書紀の創作とも云うべき編纂であったのである。




