13 隋書、唐書に現れる倭国と日本国
(中略)倭国は百済において仏法を学び、初めて文字があるようになった。(中略)気候は温暖で、草木は冬も青く(!)土地は肥え美しく、水が多く陸が少ない。(!)鵜の首に小さな輪をつけて水に入らせ魚を捕らえさせ、日に100尾余りを得ることができる。(中略)阿蘇山がある。(!!)わけもなく火が起こり天に接するかのように吹き上げるので人々は神に深く祈りを捧げている。!マークは筆者がいれたものである。長々と「隋書倭国伝」を抜粋してきたが、この長い引用は「倭国は九州を中心とした国である」と「隋書」が述べている事をかくも克明に述べている事を作者は伝えたかったが為なのだ。
さて磐井が動きを止めているのでいよいよ話を進めようと思うがどうしても前記のあたりの事が強調したくなってしまう。今しばらくこの事を書きたい。 日本国は倭国の別種なり(日本国は倭国とは別のものだ)日本の歴史に爆弾的発言をしているのは中国の歴史書「旧唐書・倭国日本伝」だ。この文書の後に続く文は以下のようである。 日本国は東の際にあるので、諸国に対して朝日が昇ってくる方向にあたる。それは日がそこから生まれてくるように見える。
それ故、日本をもって名とした。あるいは言う。倭国の倭は矮小の矮と言う字と発音も字の印象も似ている、それを嫌って、改めて日本としたと。また、あるいは言う。日本は元々は小さな国だったが、倭国の支配地をあわせて大きな国となったのだと。日本国の者が来朝すると、多くの者が偉ぶっていて、日本の由来を聞いても唐の国が知っている倭国の歴史と食い違う事を言っている。であるから中国は疑っている。(この記事は大化の改新、西暦648年のころ。元、和国=日本国であるから日本国の歴史的由来を古事記的出たらめ内容で説明したのだろう)、 中国はそれらを統合判断して、日本国は倭国と違う国で倭国の領地を吸収して急速に拡大した国だと判断を下している訳である。
こうした事情は以下に書く継体天皇の不思議な即位と堅くむすびついているのだ。