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11 漢書、韓書に書かれた倭国

磐井の話なのに磐井がたまにしか登場しない。磐井はまるで操られていない人形のようにぐったりしている。誠に申し訳ない事だと思う。けれどもそれはある程度しかたのない事だと自分では思っている。この私ですら古事記や日本書紀の描く、万世一系の天皇家という夢に引きずり込まれている。古事記や日本書紀はそれ以前にあったであろう日本古記、倭国史、出雲王朝史はたまた任那史と言った、古事記、日本書紀以前にあったであろう歴史書をミキサーにいれて断片となし、それをパーツとして、ありもしない物語を古事記、日本書紀として組み上げたと私には思える。したがって断片はおおむね真実であるが全体としては嘘であるという書が出来上がったわけである。それにくらべれば加羅の「三国史記」「三国遺事」中国の「魏志倭人伝」「後漢書倭伝」「宋書倭国伝」「隋書倭国伝」「旧唐書倭国日本伝」「宋書日本伝」「元史日本伝」は古代日本の姿を創作もあるとしてもかなりの真実を今に伝えていると思う。それゆえ作者は物語の材をこれらの書から採るのだ。これらの書に登場する「倭国」は万世一系を唱える「和国」とずいぶん顔つきがちがうと思う。「倭国」の頻繁な加羅での活動は、近畿に都を置く「和国」ではできないことだと思う。あたかも隣近所に出かけるように戦闘は長年に渡って繰り返されている。これが「和国」にできることだろうか。 この回答は「隋書倭国伝」の中にある。以下は「隋書和国伝」を現代語訳にした文書だ。   「隋書」巻81 東夷伝・俀国※隋書では倭を俀と書いているが、ここでは倭と表記する。 倭国は百済・新羅の東南にあり。水陸3000里(古代里単位。1里約80㍍で約240キロ㍍)大海の中において山のような島のふちに住んでいる。魏の時に何らかの通行があったのが三十国あまり、みな自らを王と称した。この人達は行くに里数を知らないで、ただ日をもって計った。その国境は東西は5月の行程、南北は3月の行程で、それぞれ海に到達する。その地勢は東が高くて西が低く、都は耶靡堆すなわち魏志に言う邪馬壹がそれである。古くから言われている事は「楽浪郡(今のピョンヤンあたり)又は帯方郡(今のソウル付近)から共に1万2千里(960キロ㍍)会稽(上海あたり)の東にあり、儋耳(海南島)からも遠くない」ということである。 漢の光武帝(後漢第1代帝王、西暦25年~57年在位)の時、倭は使者を遣わして、入朝し、自らを太夫たゆうと称した。安帝(後漢第6代帝王、西暦106~125年在位)の時、又、使を遣わして朝貢した。これを倭の奴国という。桓帝(後漢第11代帝王、西暦147年~167年在位)・霊帝(後漢12代帝王、西暦168年~188年在位)の間、倭国は大いに乱れ、互いに攻め合い、暦年(長い歳月)主がなかった。


  




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