合理主義の崩壊 重村十蔵視点
重村商事、本社最上階。
分厚い資料の束を、私は受け取らなかった。
松田秘書が差し出した報告書の、最後の一枚だけに目を通す。
「結論は?」
「……既存インフラを活かしつつ、ゲート関連事業への段階的参入を——」
私は資料を机に戻した。
「価値がない。今すぐ作り直すよう指示を出せ」
「……ですが、リスク分散としては——」
「中途半端な判断が、最も損失を生む。以上だ」
秘書は一礼し、黙って下がった。
合理的な判断が全てだ。
そこに感情など必要ない。
ゲートの出現は、一過性の災害ではない。
社会構造そのものを書き換える巨大な爆弾だ。
政府との非公式な会合で聞いた話が脳裏をよぎる。
——魔石は、既存の何十倍ものエネルギーを獲得することができる。
(……石油は、死ぬな)
既存エネルギー産業は、例外なく沈む。
次に来るのは、『誰が魔石を握るか』だけの勝負。
これからは石油利権は崩壊し、魔石利権の時代となるだろう。
「石油関連株は、全て売却だ」
秘書が一瞬、言葉を失った。
「……友好企業の社員の多くが路頭に迷う可能性が」
「自分で管理できない規模まで拡張した責任だ。情で判断はしない」
そこで話を打ち切った。
*******
ゲート発生から2週間経過した。
(さて……この状況で、最適な投資先は)
これからは多くの探索者の確保が必要だろう。
人材募集はどうするのが一番効率的か。
頭は、いつも通り回っていた。
——そのときだ。
車が急停止し、身体を強く打つ。
視界の先。
……オーク。
大量の、オーク。
「馬鹿な……市街地に、なぜ……!」
SPが銃を構える。発砲。
だが、何故かオークに効かない。
銃弾が弾かれる。
SP達は身体を張って止めようとするが——止まらない。
オークが私へ迫る。
(……ああ)
初めて、理解した。
この状況では、
有り余る金も、
地位も、
人脈も、
何一つ、役に立たない。
(私は……)
(何のために、生きてきた?)
視界いっぱいに、拳が迫る。
——その瞬間。
影が、現れた。
漆黒の影。
音もなく気配もなく。
次の瞬間、オークが倒れていた。
一体、二体、三体。
何が起きたのか理解できない。
「君は……」
声をかけようとする。
しかし、その影は大きく跳躍し、ビルの隙間へと消えていった。
その影から何か落ちるのが見えた。
……何者かが、私に恩を着せるため行動したのだろうか。
だが、すぐに消えたのがひっかかる。
とりあえず、落ちている物を拾い上げた。
……小さな、財布。
痕跡を残すためだろうか。
中を確認してみる。
学生証
『相沢 天音』
「……は?」
思わず声が漏れた。
(……学生、だと?)
あのような存在が?
命を救われた。名前も知らぬ少女に。
恩に着せるためかもしれない。
だが、助けられたのは事実だ。
恩はいずれ返そう。
この人物をギルドに勧誘しようと決める。
他の企業に引き抜かれる可能性を考え、秘書やSPにはその人物の情報を口止めをした。
*******
怪我の処置のため、近くの大病院へ向かう。
——私の経営する病院だ。
処置を終え、廊下を歩いていた時。
見かけてしまった。
一人の少女が、医師に頭を深く下げている姿を。
「お願いします、父なんです……! どうにか助けてください……!」
その少女はボロボロだった。
服も、髪も、顔も。
必死で、泣きそうなのを堪えている。
学生証の顔と、同じだった。
(……ああ)
胸の奥が、強く痛んだ。
この少女は私を助けた時、『何かを得よう、恩を着せよう』など一ミリも考えていなかった。
ただ——
目の前の命を、救っただけだ。
それだけだった。
自身が恥ずかしくなる。
……内省は後だ。今は、少しでも恩を返そう。
医師を呼び、声をかける。
「その人物は私の身内だ。治療費は私が払う。
最高級の設備を使い最優先で対応してくれ」
医師が、驚いて頷く。
すぐさま対応に向かっていった。
あの子に声をかける資格は今の私にはない。
私は静かにその場を去った。
*******
病院の屋上庭園。
私は、夜空を見上げた。
(……これまで、間違っていた)
今までただお金を稼げばいい。
感情など排除し、合理的に生きればいいと考えていた。
オークに襲われた瞬間を思い出す。
お金など、死ぬ瞬間には何も価値がない。
そして学生証の、あの少女。
ボロボロな少女の姿が頭によぎった。
この世界には、守るべきものがある。
守るべき人間がいる。
……支援しよう。
あの子のような存在を、使い潰すのは世界の損失だ。
支える側に、回ろう。
それが、私の役目だ。
*******
ゲート崩壊から2週間過ぎる。
その間、積極的に探索者の募集を行った。
ダンジョンへの潜行・調査を主目的とする探索者ギルド。
ダンジョン由来のアイテムを解析、研究をする製薬ギルド。
鍛治師など探索者をサポートする職人ギルド。
今まで蓄えた財産を放出する。
ジョブ未獲得者が獲得しやすいように多くのサポートも行った。
社長室で机をトントンと叩く音が響く。
松田秘書が入室してきた。
「代表、金庫に入れてある拾得物の財布ですが。
住所を特定しました」
「……っ!」
胸が、跳ねた。
「すぐに車を出せ。いや、待て。
ワシが直接行くのは不審か?
今の女子高生は何を好む?
スイーツか?
調査部は機能しているのか!」
秘書が、固まる。
「……調査部を、
女子高生の嗜好調査に使うのですか?」
「代表、頭を打ちましたか? 病院の手配を——」
「いらん! ワシは正常だ!」




