矛盾 神谷総理視点
——首相官邸、深夜——
報告を受けた時、私は思わず笑ってしまった。
「裂け目、だと?」
官邸の会議室。
深夜にも関わらず集められた閣僚たちの顔は、揃って強張っていた。
「場所は全国各地。直径は数メートルから十数メートル。内部は……未確認です」
「……冗談だろう?」
これは誰かの悪趣味な冗談だ。
そうであってほしかった。
だが、次に提示された写真を見て、言葉を失った。
舗装された道路の上に、この世のものとは思えない黒い裂け目。
現在確認されているだけでも、100以上の同じ見た目の裂け目があった。
——漫画の世界だ。
頭を抱えたくなった。
まさか、自分の任期中に、こんな事態が起きるとは。
しかし、時間は待ってくれない。
「……自衛隊を派遣する。即時だ」
会議は、現実的な判断に終始した。
正体不明の現象に、民間人を近づけるわけにはいかない。
気づかれる前に情報を揃える必要がある。
*******
数時間後。
先遣隊からの報告は、さらに私たちを混乱させた。
裂け目の向こうには、異様な空間が広がっていたという。
ダンジョンのような洞穴。
空と太陽が存在する、異常なフィールド。
水の中に沈んだ都市——。
写真は、常識を一つずつ壊していった。
さらに、怪物——ゴブリン、オークと呼称される存在が確認された。
そして、最も問題だったのは——。
「……倒した隊員が、身体能力の向上を確認しています」
「向上だと?」
「はい。さらにはゲームのようなジョブを獲得。魔法が使えるようになったと報告が……」
信じがたい報告だった。
だが、複数の隊員から同様の証言が上がっている。
力を得る。
だが、力は人を変える。
私は即座に判断した。
「民間人の立ち入りは禁止だ。ゲートは封鎖する」
力を持った者が、秩序の外に溢れ出したらどうなるか。 そんなことは、想像するまでもない。
さらに問題は続いた。
「銃が効く個体もいますが……一部は、ほとんど通用しません」
「……何だと?」
魔法、ジョブ、身体能力。
通常の治安維持の前提が、根底から崩れていた。
私は迷いながらも、決断した。
「公表は限定的にする。
怪物が裂け目内に存在するが、自衛隊で対処可能——それだけでいい」
嘘は言わない。
だが、全ては伝えない。
銃が効かないなど民間に知られる。
その結果、どうやって対処しているか考える人が必ず出る。
率先してゲートに入る人も増えるだろう。
この情報は封鎖すべきだ。
それが、国を守るために必要だと信じた。
*******
数日後、ゲート内部で奇妙な石碑が発見された。
『閉鎖は禁ず』
『器を拡張せよ』
『占有は許されず』
古びた文字。
誰に向けられたものかも分からない。
専門家を呼び、議論する。
「苔や状態から、昔から存在していたものと推測されます。 文字の風化具合から、少なくとも数百年は経過しています」
「おそらく、ゲート内に存在していた古代文明の警告文でしょう」
専門家たちは、そう結論づけた。
私も、その判断に乗った。
正体不明の石碑より、
今、目の前の安全を優先すべきだ。
*******
ゲートが出現し、一週間が過ぎた頃から、状況は変わり始めた。
ゲート内部で、異常な現象が確認される。
「……欲望に、反応している?」
報告書を読み返し、眉をひそめる。
モンスターを倒すと同時に獲得したもの。
金を欲した隊員には金塊。
力を求めた者には武具。
そして——未知の鉱物、『魔石』。
魔石を調べていた科学者から緊急報告が上がってくる。
石油と比べ、何十倍ものエネルギーを獲得可能。
官邸は、活気づいた。
「総理、これは神風だ!」
「エネルギー革命です。国家予算の改善どころか、世界の勢力図が変わる」
「素晴らしい! このまま管理を続けましょう」
誰もが、これで国がより良くなると感じた。
私も、例外ではなかった。
このまま、選ばれた精鋭だけを育てればいい。
そして、魔石を大量に確保できる。
そう、信じた。
——だが。
報告書の写真に写ったもの。
二度目の石碑は、様相が違った。
文字は赤く、まるで血で書かれたかのように不気味だった。
『百の蟻より一の獅子を』
『門を開放せよ』
『災禍がまもなく訪れる』
背筋が、一瞬凍りついた。
専門家を再度呼び、議論する。
「……どう、思う?」
誰にともなく問う。
「こちらも苔や状態などから、『太古の人に送られた脅し文句の類』と推測されます」
「……抽象的な表現が多いですね。もし我々に対するメッセージなら、より具体的にするでしょう」
理屈は通っている。
だが、胸の奥に引っかかるものが残った。
野党やメディアからも「ゲートを民間開放すべき」という声が上がり始めている。
それでも——。
今開放すれば、政権が『国民を危険に晒した』と批判される。
政治は、現実だ。
矛盾を孕んでいる。
私は、決断を先送りにした。
——もう少し様子を見よう。
それが、最悪の選択だった。
*******
ゲートが発生して二週間。
ゲートが崩壊した。
街に溢れる怪物。
追いつかない対応。
自衛隊は奮闘した。
だが、全国で一斉に崩壊したせいで対応が追いつかない。
報告が次々と入る。
「御茶ノ水で警察官が応戦中——!」
「八王子、警察官隊が……全滅しました」
画面に映る映像。
「拳銃、全弾命中! しかし歩みが止まらないです!」
銃を構えた警察官が、怪物に踏み潰される。
思わず目を背ける。
手を握りしめ、皮膚に爪が食い込む。
——情報を、共有していれば。
銃が効かない怪物もいる。
その事実を知っていれば、別の対処もできただろう。
後悔が、胸を突き刺す。
自衛隊は身体能力が向上し対処できた。
しかし警察は、何も知らないまま——。
死者数の報告が、次々と積み上がる。
その時、ようやく理解した。
私は対応を間違ったのだと。
だが、後悔しても、時間は戻らない。
どこからか銃や石碑について情報が漏れた。
国民は怒り、叫ぶ。
「なぜ一部の情報を隠していた」
「なぜゲートを封鎖していた」
私は、深く、項垂れた。
それでも——。
守ろうとした。
その判断に、嘘はなかった。
だが、結果は——。
「……開放だ」
絞り出すように、命じた。
もはや、選択肢は一つしか残っていなかった。
この国は、
否応なく、変わる。
それが、始まりだった。




