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2-8 こんなに嬉しいことは無い




「お前、まだいたのか?」


 背後から声をかけてきたのは、例の大男。アレシオだ。

 

 保安部の制服を着た状態でも胸板の厚さは伝わってくるが、さらに袖をまくっていることで、たくましい腕があらわになっている。


 その表情は明らかにイラついていた。

 まぁ、喧嘩を止めるために麻痺銃スタンガンまで取り出して奮闘したのに、ボサッコ人には相手にされず、さらに納得いかない形で終結してしまったのだから無理もない。

 こいつにはムカついていたので正直いい気味だと思ったが、八つ当たりされるのは御免だ。


「まだもなにも。

 昨日の今日だろが。そうそう簡単に帰れねぇよ」


 俺が言い返すと、アレシオはフンと鼻をならし、さらに胸を張った。


「なぜ総務部の制服を着ている?

 ここに居座るつもりか?」


「居座る?

 職業体験してるだけだ。

 どうするのかは、まだ決まってねぇよ」


「ふんっ。

 考える余地などないだろう。

 月面基地はどう考えても、お前のような奴が居ていい場所じゃない」


 酷い言いようだ。

 保安部の職員がどれだけ偉いのか知らないが、こんな態度が許されるはずがない。

 全身から怒りが込み上げ、血流が上昇するのを感じた。

 

 俺が前に踏み出して「んだと!」と声を上げようとしたとき、ふいに横からドッツォが突入してきた。


「アレシオ兄さん、さっきは大失敗だったね!」


 意外な発言に、その場は凍りついた。


「どういう意味だ?」


 アレシオが声を強張らせながら聞き返す。

 だが、ドッツォは悪びれた様子もなくきょとんとしている。


「だってぇ、ボサッコ人が慰め合っていただけなのに、大騒ぎにしちゃって。

 残念な気持ち、よくわかるよ!」


「ぐっ……」


 うわ。

 ダイレクトすぎる。


 普通は心に思っていても言わないことだが、ボサッコ人には「配慮」という概念が無い。

 頭に「バカ」がつくほど常に正直なのだ。


「威嚇射撃までしちゃったから、評価は減点されちゃうよね、きっと。

 アレシオ兄さんは将来、司令官になるのが夢だから、これはショックだよね!」


「ぬ……」


「ぷはっ!」


 たまらずロニャが吹き出してしまった。


「あ、めんごめんご。

 くっくっく」


 謝りつつも、ロニャは笑い続けている。


 アレシオは怒りを必死にこらえているらしく、目が血走っている。

 いまにもドッツォに殴りかかりそうな気迫だ。


 だが、動けない。


 侮辱されたぐらいでポータリアン相手に暴力をふるったら、それこそ出世の道は閉ざされてしまうだろう。

 しかもドッツォは侮辱などしていない。

 誰もがわかっていることを言葉にしているだけだし、むしろ同情を寄せているくらいだ。


 そのとき俺はようやく、宿敵アレシオの弱点に気がついた。


 こいつは将来の夢を実現するために、上司からの評価を異常に気にしているのだ。

 つまり、今にも殴りかかってきそうな態度を示していても、それはただの威嚇。

 言葉で反撃している限り、殴られる心配など無いのだ。


 俺はとたんに気が大きくなった。


「ドッツォ。

 そんな言いかたをしたら失礼だぞ」


「え?

 そうなの?」


「そうだ。

 お前はもっと地球人を理解する必要があるな。

 ある種の地球人は、自分が失敗したと思っても、それを認めたくはないものなんだ」


「どういうこと?」


「彼らは自分のプライドが傷つかないように、できるだけポジティブに解釈しようとするんだ。

 たとえば、自分が威嚇射撃をやったからこそ、怪我人が出ずに済んだのだ、とかな」


「えーっ!

 嘘をつくってこと?

 自分に!?」


「まぁ、そういうことだ。

 たとえ事実ではなくとも、自分をそう信じ込ませることができれば、傷つかなくて済むからな。

 一種の防衛本能と言える。

 だから、間違いだとわかっていても、あえてそれを言わないでおくのが流儀なんだ」


「ふぅん。

 失敗しちゃったときは、その気持ちをみんなで分けたほうがいいと思うけどなぁ。

 地球人って難しいね。

 ……アレシオ兄さん、ごめんなさい。

 僕、地球人のことよくわかってなくて……」


 ドッツォは心から申し訳なく思っている様子だった。

 だが、アレシオは完全に言葉を失っている。

 内心では「こいつらぶん殴りてーっ!」と叫んでいることは間違いない。

 しかし、彼にはそれができないのだ。


 俺はダメ押しで、慈愛に満ちた優しい表情をしてみせた。


「アレシオ。

 今回は残念だったな。

 だが、失敗は誰にでもある。

 気にするな」


 嘲笑うのではない。

 あえて俺は、幼い子を見守る父親のような表情をした。

 プライドの高い男にとっては最大の屈辱だろう。


「……ここに居ても時間の無駄のようだな」


 アレシオはついに耐えきれなくなったらしい。

 プイッと目をそらすと、俺たちの横を通り過ぎていった。

 

 完全なる勝利!


 月面基地に来てから、これほど嬉しいことは無かった。

 俺は心の中で、何度も繰り返し、ガッツポーズをした。


 「ざまぁっ!」という言葉が声にならないよう必死でこらえたが、口元がニヤけてしまうのはどうしても抑えきれない。


 ――そのとき。


 俺は人混みの中から姿を現した女性に気がついた。


「ファナ……」


 ――彼女だ。


 俺が月で目を覚ました時、親切に接してくれた女性。

 保安部救急課のファナ・クベロス。


 潤んだダークブルーの瞳が引き込まれるように美しい。

 あの目に見つめられると、あらゆる疲労とストレスが吹き飛んでしまうような気がする。


「体の具合は大丈夫ですか? ミヤヅカさん」


 覚えていてくれた!

 しかも体の心配までしてくれるとは!


「……うん。

 問題ないよ……クベロスさん」


 俺は緊張に強張る声帯から、絞り出すように返事をした。


「ファナと呼んでください。

 あなたのことも、レンマって呼んでいいですか?」


「あぁ、もちろん」


 やべぇ。

 早くもファーストネームで呼び合う仲になってしまった!

 互いの距離が加速度的に縮まっていく!


 落ち着け、俺!


「理由はわからないのですが、

 父が、あなたの帰国費用を出さなかったそうですね。

 どうしてそんな判断をしたのか……」


「父?」


 俺が首を傾げると、ロニャが耳元で囁いてくれた。


「ファナのお父さんは司令官だよ。クベロス司令官」


「司令官……どこの?」


「ここの司令官にきまってるじゃん。

 月面基地でいちばん偉い人だよ」


 げ!?

 

 俺は思わずぎょっとして、ファナの顔を凝視してしまった。

 彼女も照れくさそうにしている。


 月面基地の司令官の娘だと!?


 ――あぁ、無理だ。


 微かな望みは今、完全に絶たれた。


 そもそも彼女は俺にとって高嶺の花だとは思っていたが、現実は想定を遥かに超えていた。

 エベレスト、いや、火星のオリンポス山に匹敵する高嶺だった。


「人種差別ということではないと思うのですが……」


 申し訳なさそうな表情で、彼女は続けた。


「父は日本人が嫌いらしくて。

 どんな優秀な人が職員として応募してきても、日本人だというだけで選考から落としてきたんです。

 だから今回もてっきり強制的にでも帰国させるものだと思っていましたから、とても意外でした」


 日本人が嫌い……。


 そういえば、この月面基地には他に日本人がいないとロニャが言っていたが、そういう理由だったのか。


 しかしそれにしても、悪材料がどんどん積み上がっていく。

 日本人が嫌いな父親に対して、俺とファナの結婚をどうやって認めさせればいいんだ!

 いやそもそも、そんなことはあり得ないのだろうけど。


「あなたには、特別な何かがあるのかもしれません。

 それが何なのかはわかりませんが……」


 ファナの言葉には、深い意味がありそうにも感じるが、まったく意味が無いような気もする。

 ただ、少なくとも彼女は、俺がこの場所にいることを、歓迎してくれている。

 それだけは確かだし、それだけでも十分だ。


「そりゃあ、こんなボサボサ頭のオタク、レアキャラだし!

 珍しかったんじゃない?」


 せっかくのロマンチックな場面を、ロニャがおちゃらけたセリフでぶちこわした。


「うっせぇな!」


「あはは!」


 ロニャは豪快な笑い声を上げたが、ファナは変わらず優しい眼で俺を見つめてくれた。


「そういえば……清掃課の仕事はどうでしたか?」


 そう聞かれて、俺ははっとなった。


 ついさっきまで俺は迷っていたはずなのに、今ははっきりと結論が出ていたのだ。


 まったく自分らしくない行動だったが、俺ははっきりと、自分の正直な気持ちを言葉にした。


「あぁ。

 しばらくここで働いてみるよ」


 ファナは笑顔で「うん!」と頷いてくれた。






---   エピソード2   完   ---



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