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孤高の愛の傍らで…。  作者: 礼三


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6 裏切り

 あれは私が6歳になった頃だったか…。私は父に伴われて王妃へ拝謁した。

 王妃と謁見する機会が幼い私へ与えられたのは、父の息子である私に一目会いたいと王妃が望んだかららしい…。

 他愛もない話を一言二言交わしたとき、父は部下から報告を受け、急ぎの仕事で席を立った。



「ヒューゴのことは私に任せてくれれば大丈夫よ…。ねっ?私と一緒にお父様をお待ちしましょう?」


 オレリアは自らヒューゴの世話を買ってでた。

 シリルは何度も振り返り部屋へ残していくヒューゴを心配しつつも退出する。

 扉が閉まり、父の大きな背中が見えなくなるとヒューゴは心細くなった。

 オレリアはヒューゴを褒め倒す。


「素晴らしく愛らしいわ…。本当にお父様に似てるわね…。まだ幼いのに凛々しくて男前だわ…」


 ヒューゴは見目麗しい王妃に心を掴まれていた。ヒューゴはこれほど美しい女性を今まで見たことがなかった。

 オレリアから直視されるのが、恥ずかしくて父の背後に隠れていた。今はその壁がない。

 空色に透き通った双眸がヒューゴだけを見つめていることに気づき気持ちが高揚した。

 ヒューゴの黒髪へオレリアの細くしなやかな指さきが触れる。

 大きく円な瞳の中で赤い炎が揺れた。鼓動を打つ音が早まる。


「貴方さえよければ、第三王子の友人として王宮に通ってほしいほどよ…」


 ルシアンとオレリアの間には三人の息子がいる。末っ子はヒューゴより二つ上で年齢が近い。

 オレリアの隣に控えていた侍女が、ヒューゴへ聞こえるようにオレリアへ耳打ちする。


「でも、それはあの方がお許しにならないのでは…」


 含みのある侍女の発言にヒューゴは不安に駆られる。誰がこの美しい人を悩ませているのだろうか…。


「ダメよ…。子供の前でそのような話は…」


 八の字に眉根を寄せるオレリアを見て、ヒューゴは悲しくなった。


「ですが…」


「グラジオラス公爵夫人には何の罪もないのですよ…」


「けれど、いつまでも、妻の座に居座っているではないですか?底意地の悪い…。もう子供も生したのだし…。お二人のことを考えれば身を引くべきでらっしゃるでしょう?」


「お黙りなさい!」


 突然、オレリアは大きな声をあげて侍女を窘めた。驚いたヒューゴの両肩が小さく上下する。

 二人の会話にヒューゴは混乱した。

 優しい大好きな母が美しいオレリアを煩わせているのか…。ヒューゴは必死に考えて苦しくなった。


「…。母のことですか?」


「いいえ…。違いますよ…。ほら、小公爵が困っているではないですか?」


 オレリアはヒューゴを隣りへ座らせるとあやすようにゆっくりと髪を撫でた。光沢のある癖のない黒髪は指通りが良い。オレリアは少年時代のシリルへ想いを馳せた。

 何かに思い悩むこともなく王宮の庭を我が物顔で走り回っていた日々…。懐かしく幸せな幼少期だった。


「申し訳ございません…」


 侍女が深々と腰を折りオレリアへ頭を下げた。ヒューゴが見上げると侍女の何かまだ物言いたげな視線と交差する。

 ヒューゴはオレリアへ質問した。


「お母様は王妃様を困らせているの?」


「そのようなことはありませんよ…。さぁ、先ほどのことは忘れて…。貴方のためにお菓子もたくさん用意したのよ…」


 ぎこちない笑顔でオレリアは有耶無耶に答える。

 侍女は何事もなかったかのように扉の外へ声をかけると、待機していたメイドがトローリーワゴンを押しながら室内へ入ってくる。

 テーブルへケーキやらクッキーやら豪華なお菓子が並べられるのを眺めているうちに、ヒューゴもそちらへ夢中になっていた。



 そして、その夜…。


 メラニーは本の読み聞かせのため、ヒューゴの部屋へ訪れていた。

 寝巻きに着替えて就寝するまでヒューゴは母を独り占めできる。ヒューゴは母の腕に縋りつき満面の笑みを浮かべた。

 メラニーは額にかかったヒューゴの前髪を優しく払う。ヒューゴはメラニーを仰いだ。

 メラニーはオレリアほど美しくはないが、すっきりとした綺麗な顔立ちをしている。母としての情が深く、ヒューゴは母から愛されていると実感していた。

 メラニーは公爵夫人として家政を執り仕切っていたので多忙だったはずなのだが、必ず夜はヒューゴのために時間を作り、ヒューゴが寝つくまで側に寄り添ってくれた。


 この日までは…。


「お母様は…王妃様に…意地悪…しているの?」


 メラニーが絵本を朗読していたとき、うつらうつらと目を閉じそうになったヒューゴは不意に昼間の出来事を思い出してメラニーへ尋ねた。

 絵本を読んでいたメラニーの声が止まる。

 部屋は静寂に包まれ、ヒューゴは母が消えてしまったのではないかと不安に襲われて目を開けた。

 ヒューゴは今でもそのときのメラニーを忘れられない。絶望…。虚無…。諦め…。色々な感情が入り乱れていた虚ろな眼差し…。


「誰がそう言ったの…」


 メラニーの顔は歪んでいた。

 ヒューゴは自身の背中へ汗が滲んでいることに気づく。


「あっ…。違う…。誰もそんなこと言ってない…」


 ヒューゴは震えながら答えた。

 全ての感情が削げ落ちたような母の横顔にヒューゴは怯えた。ヒューゴが事実を伝えれば、メラニーがあの侍女を叱るかもしれない。


「そう…。ヒューゴもあの方の味方なのね…。母はもう要らないんだわ…」


 ヒューゴの頬へ冷たいものが落ちた。メラニーの目からは涙が溢れていた。


「違う…。僕は…。僕は…。お母様…」


 ヒューゴは大好きだと続けたかった。だけど、垣間見たメラニーの表情が怖くて、どうしても次の言葉が出てこない。


「もう…。いいわ…。貴方ももう立派な後継者なのだから…。これからは一人で寝れるわね…。おやすみなさい…。良い夢を…」


 メラニーは濡れた唇でそっとヒューゴの額に触れた。そして、その次の晩から二度とヒューゴの部屋を訪れることはなかった。

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