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孤高の愛の傍らで…。  作者: 礼三


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1 我慢の限界

 グラジオラス公爵家の朝は早い。

 グラジオラス当主であるシリルがホリホック国王直轄のアルセア王国騎士団の団長を務めており、王都のグラジオラス公爵邸の立地が王宮に近いとはいえ、シリルの登城する時間が早朝のため、メラニーも夫に合わせて起床していた。


「貴方…。離縁いたしましょう…」


 シリルの手が滑りカトラリーが落ちる。金属が硬い床を叩く鈍い音が響いた。


「朝から何を言っている…」


 シリルは妻の発言に驚く。まさに青天の霹靂だった。

 使用人たちは二人の会話に興味津々であったが、おくびも出さず黙々と朝食を食卓へ並べている。

 給仕が新しいナイフを素早く用意する。


「もう、ヒューゴも11歳になります。来年には寄宿学校へ行くことでしょう…。貴方が私と結婚したのは後継ぎをもうける必要があるからでしたわよね…。あの子も立派に成長しておりますし…。もう、宜しいのではなくて?」


「だからと言って…。離婚する理由にはならない…」


 動揺するシリルを他所にナプキンの裏側でそっと口を拭いメラニーはシリルへ説明する。


「そうでしょうか…。グラジオラス専任弁護士は嬉々として離婚に必要な書類を揃えてくれましたわ…。まるで予め準備していたようにね…。私は余程この家に相応しくなかったのでしょうね…」


 その言葉を聞いてほくそ笑んだ使用人は少なくない。グラジオラス公爵邸からやっとメラニーが居なくなるのだ。もっと早く決断するべきだったのにと心でなじるものもいた。


「はっ?何を勝手に!スミス!お前がいながら、どういうことだ!弁護士を呼べ!」


 シリルは怒りを露わにして傍らで待機していた執事長のスミスを叱責した。スミスは眉根を小さく動かしたが、表情を変えることはなく答えた。


「かしこまりました…」


「必要ありません!この書類へ貴方が署名してくだされば…。さぁ、貴方は自由です…」


 間髪入れずにメラニーが声をあげて立ちあがり、シリルへ封筒を差しだす。


「お前が私から自由になるだけだろう?」


「いいえ…。ご主人様が自由になられるのですよ。だって、好きなお方と添い遂げれますわ…。そうね…。例えば、王太后様とか…」


「不敬だ!」


 唇を震わせシリルは叫んだ。額に青筋がたっている。


「あら…。そうかしら?前国王陛下が崩御なされて、もう一年たちますわ…。体面がございますから、王太后様との結婚は無理でも…。私がいなければ、王太后様の恋人として世間も許してくださるのではないでしょうか?王国でもっとも有名な悲恋の主人公たちですもの…。皆様、祝福をしてくれますわ…」


「何が言いたいのだ…」


「今でも…。王太后様のことを愛してらっしゃるのでしょう?」


「私は貴女と結婚した身だ!それに一度たりとも貴女へ不義を働いたことなどない…」


「もちろんですわ…。だって、国王陛下の奥様だった方であらせられるもの…。王妃様と姦通なさるなんて、あってはならないことですわ」


「何を畏れ多いことを…」


 この言葉を小さく呟いたのは、家政婦長のソレンヌだ。彼女はメラニーを睨みつけ憤りを隠そうともしていない。

 いつもであれば、使用人の些細な仕草にも気づくシリルであったが、彼は妻の言動に驚かされそれどころではなかった。

 メラニーは動じることなく続けた。


「でも、前国王陛下はご逝去あそばせたのです。ねっ?だから…」


「オレリア…。王太后様を愛していたのは…。昔のことだ…。それこそ、貴女と結婚する前で…。初恋なんて誰だってするだろう?」


 メラニーはシリルが慌てふためいてる姿を面白そうに眺めながら、首を傾げて答えた。


「それはそうですわよね…。それなら…。初夜で貴方が私のことを王太后様のお名前…。オレリア様と呼ばれましたことを、私…。どう解釈すれば良かったのかしら?」


「なっ!そのようなことをっ!」


 初夜でのことを今更持ちだされ、シリルは愕然とした。12年以上も前の話だ。


 シリルは初夜のことを殆ど覚えていない。

 初恋の相手オレリアは依然として心へ棲みつきシリルを翻弄していた。その想いを抱いたまま妻として迎えいれたメラニーへの罪悪感を抑えられなかった。そのため、シリルはその気持ちを誤魔化すように酒を浴びるほど飲んで初夜へと臨んだのだ。

 明け方、メラニーはシリルへ背を向けて眠っていた。

 シリルの耳へ小さな息づかいが届く。身体の至るところにシリルのつけた情熱の跡が残っていた。仄暗い部屋で白く浮かびあがる肩の輪郭が愛おしく思えて、メラニーを大切にしようとシリルは心に誓ったのだ。


 シリルは閨でオレリアの名を呼び続け、矜持を踏みにじられたメラニーへ欲情をぶつけた記憶は一切残ってなかった。

 シリルにとって自分などオレリアの代替えに過ぎないと、メラニーはそのとき悟ったのだった。


「貴方は酔ってらした…。皇太后様以外の女性と結ばれるなんてことは耐え難かったのでしょう…。ふふっ…。私は所詮…。政略結婚の相手でしかなかったのでしょうし…」


「…。離縁など…。誰も望んでいない…」


「この国の皆様…。大多数の方々はお二人の純愛物語に憧れを抱いておられるのです。私…。悪役はもう疲れましたわ…」


「誰が、悪役などと…」


 メラニーはソレンヌを一瞥した。ソレンヌは咄嗟に目を逸らす。


「この屋敷のものも貴方の幼馴染である王太后様のことをよくご存知でしょう?愛らしい少女のときから親しくしているのです…。さすが、公爵家の使用人といいますか…。私を公爵夫人として接してはくれましたけど…。内に秘めているものは隠しきれませんでしょ?皆、私よりも王太后様が貴方の奥様だったらと想像してしまうのは仕方ありませんよね…」


「そのような…」


 シリルは周囲を見渡す。使用人たちは俯き、誰も目を合わせようとしない。

 窓から柔らかな朝日が差しこみ、メラニーを照らした。

 メラニーの白い歯が光る。口角をあげた拍子に笑窪が浮かんだ。腰まで伸ばしていた栗色の髪が揺れている。

 表面だけを取り繕った愛想笑いではないメラニーの本物の笑顔をシリルは久々に見た。眩しく感じるほどだった。


 あぁ、今日は初めて会った夜会のときと同じように髪を垂らしているのだな…。


 優しくてそれでいて意志の強さが窺えるブラウンの眼差しがシリルを直視していた。


 愛しい妻の何かの冗談であればいい…。


 シリルは浅はかな考えはメラニーの言葉で打ち消される。


「ですから…。私は貴方と王太后様の邪魔者でしかありませんの…。ねっ?離縁いたしましょう…」

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