9 追憶
シリルはオレリアを愛していた。
全てを投げだして永遠を共にしたいほど、オレリア一筋だった…。
実際、王家からルシアンの妃へオレリアをと打診があったとき、シリルはオレリアへ二人で一緒に逃げようと告げた。
オレリアさえいれば、シリルには金も地位も名誉も全て必要はない。
シリルは騎士団の一員として、国境警備のために何度も野営を経験しており、実施訓練等で生活力を身につけている。
見知らぬ土地でシリルは仕事を見繕い、オレリアを養っていく自信があった。
だが…。オレリアは違った…。
所詮、オレリアはガザニア公爵家の籠で大切に美しく育てられた公爵令嬢だ。使用人もいない二人だけの生活に耐えられるはずがない…。
オレリアは王家へ嫁ぐことを選んだ…。
「騎士団の編成は問題ないようだな?」
「はい!団長!王宮はもちろん離宮への人員も滞りなく!警備体制は万全です!」
新国王が即位するにあたり、シリルはアルセア王国騎士団の団長として、より円滑に新国王家族を警護できるよう組織再編しなければならなかった。
国王一家は宮殿へ留まるが、王太后となったオレリアは離宮へ移り住むことになったからだ。
配置換えをして一年が過ぎた。騎士たちも新しい部署に慣れてきた頃である。気の緩みはないか、統率を託している各部隊の隊長を個別に呼び、シリルは聞取り調査をしていた。
「変わりはないのだな?」
「はい!」
一緒に面談をしていた副団長がシリルヘ進言する。
「団長、こちらの書類へ目を通していただけると…。警備に際して、補強する箇所が幾つか見つかりまして…。追加予算を組まなければなりません」
「わかった。机の上に置いてくれ…。後で確認する…」
シリルがそう伝えると、二人は揃って会釈をし退出した。
目紛しく日々は過ぎる…。
メラニーが公爵邸を去ってから、もう数日がたっていた。
アルセアの高位貴族が離婚するためには国王からの承認が必要だ。書類を揃えて提出すると、国王は審議したのか定かではないが、数日置かず承諾の書簡が返ってきた。
メラニーはそれを確認するとすぐにグラジオラス邸宅を出ていった。
一切、後ろを振り向かずに…。
執務室の机へ落ちた木漏れ日が揺れる。
木々の隙間から覗く空は眩しく、弧を描き遥か遠くトビが飛翔している。
背中へ羽があれば自由に好きな場所へ飛んでいけるのだろうか、ふと想像して…。
思いの外、疲労が溜まっているらしいとシリルは自嘲した。
目を瞑れば微睡へ誘われる…。
シリルは懐かしい夢を見た。
「最近、奥方とはどうだ?」
王の私室…。
在りし日のルシアンが穏やかな笑みを向け、シリルへ尋ねた。
「言われなくても順調です…」
小姓がルシアンの周囲を忙しく動きながら、着替えを手伝っている。
シリルはルシアンの護衛として本日は議会へ一緒に参加していた。シリルはルシアンへ報告することがあったので、議会を終えたあとも側で待機している。
幼馴染である二人は他愛のない会話を交わしていた。
「今度、個人的に話してみたいものだが…。結婚の挨拶で会ったきりだったしなぁ…。もうすぐ一年になるか…。愛らしい女性であったなぁ…」
謁見の間へシリルと共に訪れていたメラニーをルシアンは思い起こしているようだ。目尻の皺を寄せるルシアンの面持ちは柔らかい。
「そのようなことを仰っられるのなら、会わせませんよ…」
「おいおい…。王命だぞ…」
「お気に召されては困ります…」
シリルが不用意に漏らした言葉にルシアンの表情が曇った。
「まだ、いつぞやのことを恨んでいるのか…」
「陛下、冗談を申し上げたのですよ…。何を仰っているのですか?もう…。終わったことです…」
ルシアンはシリルの最愛の女性オレリアを自身の妻へ迎えたことに、ずっと罪悪感を抱いていた。
「…。すまない…」
辛そうにルシアンが呟く。
ルシアンはオレリアへ仄かな恋心を抱いていた。その場にいるだけで人々を魅了する人だ。ルシアンも心を奪われた一人であっただけだ。
だが、二人と幼い頃から友と過ごしてきたルシアンはオレリアの視線の先にシリルがいたのに気づいた。
ルシアンはオレリアへ想いを告げることなく胸中に秘めた。王太子の自分が告白すれば、どれだけの影響が王国へ及ぼすか理解していたからだ。
父から下された王令でなければオレリアと結婚することはなかっただろう。
友人として、シリルとオレリアの幸せを望んでいたからだ。
「それこそ、本当に王命だったのです…」
シリルはルシアンを恨まなかったといえば、それは嘘になる。本気で憎んだこともあった。
だが、過ぎ去ったことだ。
ルシアンとオレリアの結婚式…。
シリルは騎士として忠誠を誓い、アルセア王国の彼らの治める治世へ生涯を尽くすと心に決めた。
「そうだな…。奥方はどのような人だ?」
あまり家庭のことを話さないシリルヘここぞとばかりルシアンは質問した。
「このような無粋な私にも尽くしてくれる人です…。このように穏やかな愛もあるのだなと教えてくれました」
「そうか…。幸せなのだな…」
珍しく、シリルははにかんだ。
「えぇ…。私は幸せです。実は…。妻が身籠ったのです…。つわりも落ち着いて安定してきたので…。そろそろ陛下へご報告をせねばと思っていたところでして…」
その言葉にルシアンは目を丸くした。自分のことのように満面の笑みを浮かべて喜ぶ。
「それは吉報だな…。よし!とっておきの蒸留酒をお前のために開けてやる!」
「陛下…。お気持ちは嬉しいですが…。お酒は控えてください…。お身体に障ります…」
「何と?今日だけだ…。友人に子供が産まれるのだ!これほど喜ばしいことはない!父になればそれはそれで色々と大変なこともあろうが…。今日は喜びの余韻に浸ろうではないか?」
「はぁ…。仕方ありませんね…。今日だけですよ…。陛下…」
小姓は二人の会話を確認して、酒を用意するため部屋を退出した。
「何だ?」
「ありがとうございます…。私は良い友に恵まれました…」
「それは私も同じだよ…」
目を覚ませば…。
誰もいない執務室で一人残され…。
シリルの目からは涙が零れていた。




