匂い付き消しゴム
サトシ君は社会のテストで満点を取った。
しかしその裏で、職員室では静かな大激論が巻き起こっていた。
「これは、カンニングだ!」
声を上げたのは教頭先生だ。社会の先生が嬉しそうに語った話を聞いた直後のことだった。
社会の先生によると、テスト中のサトシ君は、机の上にカラフルな消しゴムを何個も並べていたという。ピンク、オレンジ、ミントグリーン。しかもカバーも外されていて、ちょっとした異物感があった。
先生は最初「変わった子だな」と思ったが、一応筆記用具の範囲内ではある。色付きの消しゴムは禁止されていない。文字や図も書かれていない。
そのまま様子を見ていたが、サトシ君は問題に詰まるたびに消しゴムを一つ手に取り、鼻の前でふんわりと嗅ぎ、それからスラスラと答えを書いていった。
テストの後、気になって先生が尋ねると、サトシ君はニコニコとこう言った。
「先生、ある匂いを嗅いだときに昔のことを思い出すことって、ありませんか?」
「僕、試しに歴史の年号とか人物を匂いと一緒に覚えてみたんです。たとえば、チョコレートの匂い=聖徳太子、ミントの匂い=鎌倉幕府、みたいに」
「そうすると、不思議と答えが浮かんでくるんですよ!」
社会の先生は目を見張った。記憶の結びつきとして、嗅覚は確かに強い。よくぞそこに目をつけたものだ、と素直に感心し、思わず他の教師たちに話してしまったのだった。
だが教頭は納得しない。
「それは“外部の情報”を使っている。立派なカンニングだ!」
「他の生徒は何も持ち込まずに試験を受けているのに、匂いでヒントを得ているなんて、公平性に欠ける!」
職員室は騒然とした。
「でも文字も絵も書いてませんよ」「五感で記憶するのが悪いとは……」といった声も出たが、教頭は譲らなかった。
最終的に校長が口を開き、穏やかに場を収めた。
「今回は不問とせず、再試験としましょう。匂い付き消しゴムは禁止。ただし、それ以外の処分はしないように」
サトシ君にその話が伝えられると、彼は驚いた顔でこう言った。
「ええっ……!僕、頑張って覚えたのに……」
「毎日教科書読みながら、どの匂いが合うか何回も試したんですよ……」
その目にはうっすら涙すら浮かんでいた。
だが数日後、再試験の結果が返ってくる。サトシ君は、またも100点を取っていた。
彼自身も気づいていなかった。
匂いと記憶のセットを作るために、彼は何度も繰り返し教科書を読んでいた。
何度も、何度も、夢中で。
匂いはたしかにきっかけだった。だが、それ以上に、彼は「覚えること」そのものに時間を注いでいたのだ。
「え? なんでだろ……なんとなく、答えが浮かんできました」
そう呟いたサトシ君の背中に、社会の先生はそっと拍手を送った。