真面目な姉は可愛らしい妹が嫌いらしい
王太子の婚約者である公爵家のご令嬢が可愛らしい妹に婚約者を奪われたお話。
その宣告を聞いて、王太子の婚約者であるヴィオラ・カーライル公爵令嬢は眼の前が真っ暗になった。
なんとか倒れ込むことを堪えて、正面に座る王太子に問う。
「わたくしとの婚約を解消して、妹のパンジーと婚約を結び直すと、そう仰いましたの?」
震える声にも、王太子が常の柔らかい表情を崩すことはなかった。
「その通りだよ、ヴィオラ・カーライル公爵令嬢。本来であれば公爵家に通達を出して終わりのはずだったのだけれど、こうしてわたしから伝えるのがせめてもの誠意だと思ってね。三か月前から話は進んでいたのだけれど、つい先週ようやく話がまとまったから」
「一週間前……」
愕然として、ヴィオラは呟いた。そんなこと、誰にも聞いていなかった。
どうして、と責めたくなるのを、ヴィオラはぐっと堪えた。厳しい妃教育を耐えてきたヴィオラにとって、醜態を晒すような真似は自分で許せなかった。
またパンジーだ、と思う。いつもいつも、ヴィオラはいろいろなものをパンジーに奪われてきた。
両親からの愛情も、友人も、周囲からの賞賛も。厳しい妃教育を必死でこなすヴィオラを尻目に、パンジーはいつだって楽しげに自由に振る舞っていた。
ヴィオラの双子の妹であるパンジーは、間違いなく血の繋がった双子であるはずなのに、ヴィオラとは正反対の少女だった。髪色も、顔立ちも、所作や振る舞いも、母親に似たヴィオラと父親に似たパンジーではっきりと分かれた。
――あなたも、パンジーを選ぶのか。
そう詰りたく気持ちを堪えて、ヴィオラは頭を下げた。せめてもの、王太子に見せる、自分にできる最も美しいカーテシーだった。
***
公爵家のお屋敷に戻れば、妹が庭先で飼い犬と遊んでいるところだった。ヴィオラはいつものように、はしたない妹に注意をした。
「淑女がそのように遊びまわるものではありませんわよ、パンジー」
呼びかけられて、パンジーは振り返った。ふわりとした薄紫の髪が広がった。
「おかえりなさい、お姉様。王太子殿下とのお茶会はいかがでしたか」
不躾にそう問うてくるパンジーに、ヴィオラは棘のある声で返した。
「婚約者の交代を告げられましたわ。よく殿下に取り入ったものね、姉の婚約者を横取りするなんて、あなたは恥というものを知らないのかしら」
言えば、パンジーは何も判っていないような、きょとりとした顔で首を返した。
「何を仰っているの、お姉様? 婚約者の交代は、わたしたちの従姉である隣国の第一皇女イヴァン様のご要望ですのよ」
「……なんですって? イヴァンジェリン殿下がどうして口を出してくるのです」
思いも寄らないことを言われてそう返せば、パンジーは少しだけ、呆れたような声を出した。
「イヴァン様は王太子殿下のご正妃様候補ですし、もともと王太子殿下とお姉様のご婚約は隣国から嫁いでいらっしゃるイヴァン様をお姉様が側妃としてお支えになるために組まれたものなのですから、イヴァン様のご意向が汲まれるのは当然のことではありませんか」
「わたくしが下ろされる謂われはありませんわ。パンジー、あなたとわたくしの間にどれほど出来の違いがあるか理解しているのかしら」
「確かにお姉様は大変に賢くていらっしゃるけれど……」
言いさして、パンジーは視線を落とした。飼い犬をひと撫ですれば、躾けられた飼い犬は一つ鳴いてから自分でお屋敷に戻っていく。
その様子を見送って、パンジーは振り返った。
「もっと単純で、大切なお話ですわ。お姉様、あなたはイヴァン様に嫌われているのです。お姉様がアルビノとしてお生まれになってお体も弱くていらっしゃるイヴァン様を、見た目が気持ち悪いだとか病気を理由にして甘ったれているだとか言い回っていたのを、まさかイヴァン様ご本人が知らないはずがないではありませんか。何より王太子殿下が、イヴァン様のことをそれはもう溺愛していらっしゃるのですよ」
「本当のことを言っただけではありませんか。皇女として生まれておきながら、まともに公務もお出来にならないだなんて、情けないこと」
不快に思ってそう返せば、パンジーはどうしてか、諦めたような顔をした。
「そもそも王太子殿下との婚約はイヴァン様をお支えできるご令嬢であれば誰でも良いのですし、その中でイヴァン様と濃い血の繋がりがある我が家が選ばれただけのこと。お姉様からわたしに婚約が挿げ変わったくらいで、騒ぎ立てするようなお話ではありませんわ」
それからちょっと嫌みたらしい顔になって続ける。
「むしろお姉様は、重たい荷物を下ろせたのだから喜んでも良いくらいじゃないかしら。いっつもお勉強が大変だって、お辛そうなお顔をしていたじゃないの。わたしなんて、もう成人間近だというのに今から妃教育の詰め込みが始まりますのよ。せめてもう少し早くに決めてくだされば助かりましたのに」
何かを吹っ切ったような表情で言って、パンジーはヴィオラと視線を合わせた。ヴィオラとパンジーは間違いなく血の繋がった双子の姉妹なのに、瞳の色さえ違うのだ。
「お姉様は単純に性格が暗いのよ。だって口を開けば先生やご友人たちの愚痴ばかりだし、王太子殿下のお話にだってまずは否定から入っていたでしょう。たとえ意見が違っていたって、まずは相手のお話を一度は受け入れるところから始まらなければ不快に思われるに決まっているわ」
「あなたのように周りに媚びを売るだけでやっていけるほど、王太子殿下の婚約者の立ち位置は甘くなくてよ」
「そうかしら。でもきっと、お姉様が困ったときに助けてくれるご友人よりも、わたしが困ったときに助けてくれるお友だちのほうが多いと思うわ。わたしはお友だちが大好きだもの」
にこ、とパンジーは笑った。心を全部預けるみたいに無防備な、それでいて心を惹きつける笑みだった。
「たとえばお姉様は、カーリー子爵家のご令嬢であるボニー様を『だらしのない体』などと仰っていましたわね。たしかにボニー様はふくよかでいらっしゃるけれど、彼女がお茶会なんかでお土産に持ってくるお菓子はどこのお店も外れがなくてご令嬢がたに大人気ですし、ご本人も大変に大らかなお方で、気の弱いご令嬢がたからよくご相談を受けているほど人望がお厚いのよ。それに確か、アッシャー伯爵家のご令嬢であるグレタ様のことを『ご令嬢とは思えないほど字が汚い』と仰っていましたわね。アッシャー伯爵領は国内最大の魔獣生息地を抱え込んでいるために、お勉強よりも先に戦う方法を叩き込まれるのだと聞いたことがありますから多少は致し方ない側面もあるでしょうし、そもそもグレタ様は剣を持たせれば殿方顔負けにお強くていらっしゃるのよ。ご本人も竹を割ったような性格の気持ちの良いお方だわ」
ひといきに言い切って、パンジーはヴィオラを睨みつけた。
「お姉様、あなたは間違いなく、大変に優秀なお方ですわ。けれどお姉様は、他人の悪いところばかりを気にして良いところにお気づきにならないのです。それに妹であるわたしのことも、派手な格好をしてあちこちに愛想を振りまく身持ちの悪い妹と言いふらしていましたね」
妹と眼が合う。ヴィオラはパンジーのことを嫌っていたけれど、パンジーはきっと、ヴィオラのことを気になんてしていないだろうと思っていた。
妹に『ひとを嫌う』だなんて感情があることに、ヴィオラは初めて気づいた。
「お姉様はいっつも机にかじり付いて身繕いを疎かにしておりましたわね。身繕いを疎かにしていれば自分を大切にしていないように見えますから、周囲に軽んじられるのは当たり前のことではありませんか。そうしているからお勉強しか褒められなくて、なおさらお勉強に執着して机にかじり付く。ひどい悪循環だというのに、お姉様はわたしが『もう少しおしゃれをしてみては』と提案してもわたしを馬鹿にして聞き入れませんでしたわね。別に容姿が全てというわけではありませんけれど、容姿一つで相手からの好感度が上がるなら身支度に気を遣ったほうがお得だと思いますわ」
パンジーは微笑んだ。お手本のように可愛らしい笑みだった。
「それにお愛想だって、ずっと辛気くさい表情をくずさないよりは、お愛想が良いほうが相手から好かれることは当たり前じゃありませんの? お姉様はお勉強はできるかも知れないけれど、相手に好かれる努力を怠っているのよ」
最後まで言い切って、パンジーが話は終わりだというようにお屋敷に戻ろうとする。その後ろに付き従う侍女の一人は、以前ヴィオラの侍女だった。あんまりにも仕事が遅いから、打ち据えてやったのだ。当たり前のことだった。
それからはたと思い出したようにちらりとだけ視線を投げて、パンジーはヴィオラに言った。
「まあ、わたしみたいにへらへらしている女は嫌いっていう殿方も少なくはないでしょうから、お姉様はそういう性格の殿方と婚約をすれば良いと思うわ。きっと愛して貰えてよ」
そういえば姉妹格差ものって書いたことないなぁ、と思って「姉妹」をテーマにして書いてみました。でも単純なテンプレじゃつまんないよなーって考えてたらこんなんに仕上がりました
別にこれ妹が周りから思われているような天使のような性格かって言われると、実はそうでもないです。妹は『どう振る舞ったら周りに好かれるか』を理解していて、その通りにしているだけ。姉は『王太子の婚約者として自分の考える相応しい振る舞い』をしているだけ。姉は頭は良くてもコミュ力がなかった。でも性格はたぶん妹より姉のが悪いと思います
どうかな、なろう読者さん相手だと『公務もできない皇女なんぞ役立たず』って言い出すひとがいてもおかしくないので、あくまでわたしの世界観ではこうなんだな、と思ってください。わたしが差別や弱いもの苛めをあんまり好きじゃないので、わたしの作品にはわたしの思想が反映されています
真面目な姉が嫌われて可愛らしい妹が好かれる、みたいな姉妹格差のお話ってよくありますが、虐待だの確執だのはおいておいて「いや愛想の悪い姉より愛想の良い妹が好かれるのは当たり前では? 姉のほうが他人に好かれる努力をしてないだけだろ」って感じることもあるので(同じことは悪役令嬢とヒロインにも言える)、形にしてみました。極端なルッキズムは害悪だけど、相手に好印象を持たせる身嗜みや振る舞いができるのは単純な強みでしょ。と、喪女が申しております
ちなみにこれ、姉が妹を尻軽のように考えて嫌っているのは当然として、妹もけっこうがっつり姉を嫌っています。妹は姉の根暗で性格が悪いところを嫌っています
ぱーっと書いたのでヴィオラとパンジーの名前が入れ替わってるところとかありそう…恥。あとで見直しにきまーす
【追記20250515】
活動報告を紐付けました! 何かありましたらこちらに
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