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主に恋愛系

私の後悔-あの時素直になれたのなら-

作者: 白水那由多

 やらなかった後悔よりも、やって後悔した方がましだと人は言う。


 私が回想するのは、やらなかった後悔の方だ。


 今思えば、私のどうしようもないプライドのせいでそうなってしまった、というだけの話なのだが。

 でも、もしあの日に帰れるのであれば、周囲の声など気にせず、それを選んでいたはずだ。


 また、女の友情はハムより薄いという言葉も、今なら身に染みてわかる。


 どんな時でも、孤高の自分というものを持てる、他人から変わり者と言われても気にしない強さが私にもあれば良かったのだけれど……

 あいにく、私は自分を押し通すよりも、他人からの評価をとる方の人間だった。


 とりわけ異性が関係する出来事に関しては、同性に対してうまくやる事が大事だと後からわかったが、あの時の私はそんな器用な真似は出来なかった。


 結局、その時は仲の良かった女友達も、ファッションやら、お化粧やら、その時は誰が素敵、誰とお付き合いできたらと恋や噂話で盛り上がってはいたものの、婚約したり、結婚したり、子供が生まれたりすれば急速に疎遠になっていった。


 その時はずっと、この仲が良いまま、自分達の付き合いは続くと思っていたけれど、極一部の女友達を除いて儚くも終わってしまったのだ。

 

 それなのに、なぜ、あの時は彼女達の意見に同調してしまったのだろう。あんなことはこれっぽっちも本当は思っていなかったのに。


 今思えば、彼女達との会話は人生を賭けた相談ではなく、ただの井戸端会議のようなものに過ぎなかったのに。


 確かにその時は楽しかったけれど、私の後悔に比べたら、真剣に取るに足らない、くだらないしがらみでしかなかったのだ。


 もしかしたら、私が言いたい事を、勘のいい人ならこう思うかもしれない。女同士で揉めた何かがあったのかと。


 一応断っておくが、この話は女友達の相思相愛の男性、婚約者を好きになってしまい、奪い去った、あるいは逆に奪われたとかいう話ではない。


 ただ、プライドが高かった女の片思いの話というだけだ。



 あれは私がまだ13歳くらいの頃だった。

 あの日、私はいつものように両親に連れられて、舞踏会に出席した。

 

 成人した男性からしたら幼かったのもあるが、見た目も私は特段優れている訳でも無かったため、いつものように複数人の女友達と群れて、来るかわからない踊りの相手を待っていた。


 しかし、今日ばかりは様子が違った。


 ふと、反対側の壁を見てみれば、見た事がない金髪の男の子が手を後ろで組み、少しうつむくようにして立っていたのだ。


 彼は背はさほど高くなく体型も華奢なのだが、綺麗な髪質に、肌は小さな子供のように滑らかそうで白く、目鼻立ちも整っていた。


 もしかしたら、自分と同い年、いや少し年下くらいの女の子が男装しているのか? そう思ってしまうくらい、第一印象はとても綺麗な男の子だなと私は感じた。


 気になって時折彼の事を見つめていると、友達の一人があの子のことが気になるのかと声をかけて来た。

「ええ。見かけた事がないから、どちらから来ているのかと思って」


 そう言った途端、別の女友達が

「もしかして、ああ言う子が好みなの?」

と私に聞いてきた。


 もし、この時に素直に私も気になっていると言えば、このあと、私の人生は違っていたのかもしれない。今思い返すと、本当にこの瞬間が悔やまれる。


 しかし、そう言う前に友達からこう言われてしまった。

「あの子ならやめておいた方がいいわよ。気が弱過ぎて学校でもいじめられて辞めたそうだから。しかも、長男ではなく次男なのよ。それに、あの子のお兄様は……」


 彼女がそう言いかけている途中に、他の女友達がまあ! と声をあげた。

「確かに見た目からして気が弱そうだもの。私たちよりも背だって低そうだし」やら

「内気な上に、趣味が錠前づくりだったらどうしましょう!」などという声もあがった。


 さらには

「本当に気が弱そうだものね。さっきから全然誰のことも踊りに誘おうとしてないじゃない。まあ、でも背が低いから、余程小さい女性が相手じゃないと、バランスが悪いんでしょうけど。ああ、むしろ、男の人に誘ってもらうのを待ってるのではないかしら!」

という意見をこのグループ内でもリーダー格の子が発し、賛同の代わりに笑い声が起こった。


 この様な状況で、でも私は彼のことが素敵だと思った、と言えたのならどんなに良かった事か。


 しかし、実際にそれを言ってしまったら、その場では、そうね。あなたがそう思うのなら良いんじゃなくて! と一瞬認められはしても、次からは舞踏会に参加しても、この輪に入れてもらえない事は目に見えていた。


 だって、そんな事をしたら、私はリーダー格の子に刃向かった女として認識されてしまうのだから。

 きっと、私も彼と同じ様に、彼女たちからおどおどした男の子が好きな変わった女と噂されるのだ。


 そのため、私も思った事を誤魔化すように笑うしか出来なかった。


 そうこうしているうちに

「ねえ、ちょっと見て! 今日はあの方がいらしてるわ!」

と、さらに別の友達が、舞踏室の出入口にいた、黒髪で背の高い成人男性へ視線を投げた。


 その途端、私以外の皆は、やっぱりあの方は素敵! ああいう方とお付き合いできたら良いのに! と黄色い声をあげた。


 だが、その黒髪の貴公子たる男性は私達の方には目もくれず、あろう事か壁側に立ったままの金髪の男の子に親しげに声をかけると、二人はその場を去っていってしまった。


「ちょっと、どういう組み合わせなの? 本当に男の人に誘われるのを待っていたのかしら!」

 リーダー格の女の子が眉を寄せながらそう言うと、先ほど会話に割り込まれてしまった女の子が、すました顔をしてこう言った。

「あの二人は兄弟なのよ。お母様は違うらしいけれど。信じられないわよね」


 すると、その場にいた皆からは、本当?! 信じられない! あの方の弟君ならもっと凛々しい方なのかと思ったのに! と一段と騒がしい声が上がった。

「ゴッホン!!」

 傍にいた老紳士から、もう少し静かにしなさいと言われる代わりに、咳ばらいをされてしまうくらいに。



 それから、彼の兄が連れ出しているのか、ちょくちょく金髪の男の子を私は舞踏会で見かけるようになった。

 あるいは、ほかの家で開催される文学サロンで。


 彼は自分からあまり発言することはなかったけれど、ほかの人が話している姿を真剣に聞いている様子や、文章を読んでいる姿はことのほか美しく、私は内容については頭に全く入って来ず、ひたすらに彼だけを見つめていた。


 そんなふうにしているうちに、ある出来事、いや事件が起きた。


 相変わらず、彼は舞踏会に出席しても誰とも踊らず、ただ壁側に突っ立っているままだった。

 一方、踊りに誘われない私と友達も変わらずで、彼のことをコソコソと、また壁の前で立ちっぱなしだわ、と暇つぶし代わりの話のネタにしていた。


 しかし、この日に行われた、とある夫人主催の舞踏会だけは違ったのだ。


 彼はなんと、見知らぬ女の子と一緒に、この舞踏会へ出席したのだ。


 よくよく見れば、その女の子よりも彼の背は高く、初めて見た時よりもだいぶ成長していることをその時私は認識した。


 二人はとても仲良く踊っており、私が見かけるときはあまり笑顔を見せない彼も、今日ばかりはとても嬉しそうに微笑んでいる。


 それに、女の子の方は私が太刀打ちできないほど、とても可愛らしい顔をしているのだ。あの顔で笑顔を向けられたら、男の人はきっと……

 

 その光景に、私の体は稲妻が打たれたような感覚に陥った。

 心臓はひどく脈打ち、体は若干震え、呼吸も少し苦しいような気がした。


 女友達はまぁ、珍しい! だの、すごい趣味をしている女の子だわ! だの声を上げていたが、私はその時だけは彼女たちに賛同することが出来なかった。


「ごめんなさい。ちょっと、気分が悪くなってしまったから夜風に当たってくるわ」

 あら、大丈夫? 私も付いていくわと言ってくれた友達には、付き添ってもらうことを丁重に断り、私はその場から走り去るようにして、一人になれる場所まで逃げていった。


 舞踏室を出た途端、私は涙を流していた。

 それと同時に気付いた。

 私はあの金髪の男の子に恋をしているのだと。


 ……神よ、どうかお願いです。彼が彼女と踊っているのはたまたまでありますように。そして、彼が彼女のことを好きにならないように。

 最低なお願いだが、私は泣きながらそう願わずにはいられなかった。


 けれども、泣いているうちに嫌な予感が私を襲った。もしかしたら彼女は彼の許嫁、婚約者なのかもしれない。


 真面目そうな彼のことだ。

 彼女に気を使って、そういう理由でずっと舞踏会で誰とも踊らなかったのかもしれない。


 そうであれば、私の入り込む隙などないではないか……私はそう悲劇的な予想をして、より一層涙を流したのだった。



 しかし、神に私の邪悪な願いが通じたのかどうかわからないが、その後、彼と彼女が踊っている姿はそれ以降見なかった。


 その代わりに、彼は別の女性たちと踊るようになっていた―――それは舞踏会を主催した夫人とか、私の母親よりももっと年の離れた女性とか、あるいは婚期を逃してしまったであろう女性とか。


 こう言ってはなんだが、明らかな社交辞令的な付き合いで、私が嫉妬する必要のない女性ばかりをどうも相手にしているようだった。


 同時に私たちの間では、壁の前に立ちっぱなしという決まり文句から、また年上の女性を選んでるという言葉に変わっていた。


 とはいえ、そんな風にしていた私たちも15、16歳を過ぎたあたりから次第に変化が起き始めていた。


 この頃になってくると、本格的に縁談の話が持ち上がり、ついに誰の婚約が決まった、結婚しただの話が上がり、私が17になる頃には群れていた女友達の数は以前の半分ほどに減っていた。


 

 一方、私の方は幸いと言うべきなのか、まだ縁談の話は来ていなかった。

 そして、ここに来て私にとっての最大のチャンスが訪れたのである。


 その日も私は両親に連れられて、ある家の舞踏会に参加すると、いつもいるはずの女友達連中がいなかったのである。こんなことは初めてだった。


 そうなると、私は仲間がいないため、一人でぽつんと壁の花になることになるのだが、両親は年頃の娘をそんな恥さらしにしたくないと思ったのか、とりあえずお友達が来るまで私たちと一緒にいなさい、と私を傍に置いておくことにしたようだ。


 一方、私はまるで習慣づいているいるように、このだだっ広い舞踏室を隅から隅へと見渡していた。

 もちろんそうするのは、例の金髪の男の子をこっそり探すためである。


 そして、今日この会場には―――彼がいた。

 彼はまだ誰とも踊りの相手をしていないようで、前と同じようにして壁の前でただ静かに立っていた。

 

 私は彼を見かけた場合、いつもだと心が小躍りするような気分になるのだが(それに対して、いなかった場合は深海にでも沈んだ気分になるのだが)今日はある策が自分の頭の中に、突然、沸々と湧き出始めた。


 そうだわ。今日は仲良くしている友達がいないのよ。これは、彼と踊れるチャンスなのではないかしらかと。


 そう思うと心臓ははちきれんばかりにどくどくとした音を立て、体中にその音が響きわたるような気がした。


 しかし、なかなか行動できないでいると、母の方が

「こう突っ立ているだけだと時間がもったいないわ。あなた、どなたかお知り合いの方に声をお掛けして、この子の踊りの相手になっていただくように伝えてもらえないかしら?」

と父に対して言い始めてしまった。


 そうなれば、せっかくのチャンスをみすみす逃してしまうかもしれない。

 私は今行動に出るべきなのだと思い、母には用事を思い出したと言って、その場をすっと立ち去って、金髪の男の子の方に移動していった。


 あの時の事を思い出せば、心臓が今また強く脈打つような気がしてくる。

 きっと、いくらおしろいをはたいていたとはいえ、私の顔には血が上り真っ赤になっていたはずだ。


 私は焦っているように見られないようにするため、自分が思う最大限の優雅さを努めながら背筋を伸ばし、ゆっくりと彼の方へと移動した。


 そして、もうすっかり大人の身長と変わらない背の高さになった、いや、普通の男性よりも少し背のある彼の横にさりげなく立つと、手にしていた扇子をぱっと広げて、一瞬だけ彼のことを見つめたあと、あえて視線を外す仕草をした。


 これは、女性自ら一緒に踊ってくださいと口頭で言うのは、淑女としてはしたない話なので、仕草だけで自分の気持ちを伝える、当時私達の間で流行っていた方法だ。


 ちゃんと礼儀のわかっている男性であれば、軽く笑みを浮かべて嬉しさを表現したあと、こう言うのだ。

「良ければ私と一緒に踊っていただけませんか?」と。


 しかし、彼はそう言わずに、代わりに一瞬困惑したような表情を浮かべた。

 誘われたことに驚いているのだろうか? そう思ったが、私の頭の中をある恐ろしい不安がさっと掠めた。


 彼は女性慣れしていないため、この仕草の意味が分かっていないのではなかろうかと。


 二人の間には少しの緊張と沈黙が広がった。


 だが―――


「良ければ僕と一緒に踊りませんか」

 そう彼は言って、私の事を踊りに誘ってくれたのだ。


 あぁ、天にも昇る気持ちというのはこういうことだろうか。

 ようやく、私がずっと夢に見ていた願いが叶う時が来たのだ。

 自分でも大胆だと思ったが、行動に出て本当に良かった。

 さあ、彼の手をとり、踊りの輪に加わろう。


 そう思って、私が手を彼に向って手を差し出そうとした瞬間だった。

「あら、ここにいたの! みんな今日はいないから、どうしたものかと探していたのよ」

 私の名前を呼び、近づいてきた者がいた。


 それは、いつも群れている女友達のうちの一人だった。


 彼女はぱっと私と彼の事を見つめると、一瞬驚いた顔をしてこう言った。

「もしかして、今から踊ろうとしていたところだったのかしら?」

 そんなのってあり得るの? とでも言いたげな、少し鼻で笑うようにして。


 本当に、本当に、本当に!

 どうして私はこの時に素直になれなかったのだろう。


 まさか、この瞬間が今後もずっと尾を引き、何度も夢を見てしまうほどの後悔に至るとは思わなかった。

 どうして、ええ、そうよ。と簡単な言葉が言えなかったのだろう!


 私は自分でも信じられない事に、こんな風に言ってしまっていたのだ。


「そんな訳ないわ。少し暑いと思ったから、風を顔に送っていただけよ。せっかくお誘いいただいたのにごめんなさいね、ムシュー」


 その時の自分の顔を鏡で見たら、きっと、とても意地悪そうな顔をしていたはずだ。

 私はせっかく誘ってくれた彼に向って断りの言葉を口にし、その友達と共にその場を去った。


 私が断りを入れた時の彼の様子は、今でも忘れられない。


 彼は素直に引き下がり、ええ、わかりました。と微笑みながら返してくれたが、顔を赤くした後、どこか少し物悲しそうな表情をその後浮かべていたのだ。


 友達は横でいつものお喋りを私にしていたが、彼女の言葉は私の片方の耳から、もう一方の耳へとただ抜けていく、その辺の雑音と何ら変わりなかった。



 ところで、なぜ私がここまで後悔しているかなのだが。

 

 実は、この舞踏会を最後に、それ以来彼を見かけることがなくなってしまったのだ。


 最初はただ最近は参加しないだけなのかと思っていたが、気が付けば2か月が過ぎ、3か月が過ぎ……


 気になった私は、先日の割り込んできた友達とは別の友達に、そういえば壁際にいた彼を見かけなくなったのではないかと、さりげなく彼のことを知っているか聞き出そうとしてみた。

 しかし、その友達や他の子もさあ? と言うだけだった。


 なんだか、とても嫌な予感がする。

 気になった私は、ある日、またしても大胆な行動に出ていた。

 

 それは、別の日に行われた舞踏会だか音楽会だかの、舞踏室での出来事だった。


 私はその日、ある男性から踊りに誘われたので、彼の相手をした後、友達のもとに戻ろうとしていた。

 

 すると、入口の方がなんだか騒がしい。なんだろうと見かけると、金髪の男の子の兄がいたのだ。

 彼がいるということは、もしかしたら、金髪の男の子も今日は来ているのかもしれない。

 私は一瞬、期待に胸を湧かせたが、どうやら彼は男の子を連れ立っていないようだった。


 私はその事実にがっくりと肩を落とした。

 でも、彼なら金髪の男の子がどうしているか絶対に知っているはずだ。


 いてもたってもいられなくなった私は、彼に群がっている女性たちに合流し、どうか私と踊ってください! いえ、私の方が先よ! と必死に願っている女性たちを割るようにして、彼に向ってこう叫んでいた。


「あの、ラウル様はいかがなされているのでしょうか?」と。

 我ながら、本当になぜこういう時だけ行動的になれるのか、まったくもってわからないのだが。


 その言葉の後、取り巻きに向って愛想笑いをしていた彼の兄は、急に真顔になり、悲痛な面持ちへと変化させて私の方を見つめた。


 それまで、きゃあきゃあ言っていた彼の取り巻きである女性たちにおいては、突如黙り込み、目じりをキッと上げて私の方を思い切り睨みつけた。


 そして誰かがこう言った。

「あなた、知らないの? 信じられない! ラウル様は行方不明になられているのよ!」


 そんなことは自分たちの間では有名な話なのに、それについてユリエル様はとても傷ついているというのに、なんでそれを蒸し返そうとすとのだ、と女性たちは私の方へ怒りを向けた。


 私は思わず、えっ……と小さく声を上げるだけで精いっぱいだった。

 行方不明?! 何それ。 顔からどんどん血が引いていくのを感じる。

 嘘、嘘、嘘でしょう?! 私は次に心の中でそう叫んでいた。


「あぁ。そうなんだ。あの子はある日突然、いなくなってしまったんだ。だからもし、あの子らしい子を見かけたら、どんな些細な情報でも構わないから、私の方へ教えてくれないだろうか」

 彼の兄であるユリエル様は、私の方をじっと見つめながら、そう私に向って懇願していた。


 周りの女性たちからは、私ももちろん協力いたします、こんなに傷ついてなんとかわいそうなのでしょう、私にぜひ慰めさせてください、だの言っている。


 しかし、私はその様子がどんどん耳から遠くなっていくのを感じながら、床に向って力なく倒れこんでいった。


◆◆◆


 私が気絶してしまった出来事から、季節は無情にも去りゆき、ラウル様の行方も依然として全く分からぬままだった。


 一方で、私の方もとうとう結婚相手が見つかり、家同士の取り決めのため、自分の意志など反映できぬまま嫁ぐこととなった。


 夫となる相手は、自分の父よりもずっと年の離れた男性だった。

 彼が私に対して、愛情を向けてくれるのはひしひしとわかっているし、温厚な性格のため尊敬はしているのだが―――悪いが男性としては一度も見ることが出来なかった。


 そして、この日に参加していた音楽会でも、自分は疲れてしまった。一緒にいても退屈だろう?

 椅子のあるところで休んでいるから、あなたは踊りに参加するか、お友達とお話ししておいで、と会場内に放流された。


 これはこの日に限ってという訳ではなく、よほど重要な人物に会うとかではない限り、大抵このようにされているのだ。

 彼の様子を見ると、きっと10年後くらには私は一人ぼっちになるだろう。


 大体、私のような女性は、夫がいるときから或いは亡くなった後に恋人を作って、再婚するかそれとも独身のまま恋を自由に楽しむかなのだが、私からすればそのような未来は信じられなかった。


 私の人生は一体何なのだろうか。

 こうやって、広い屋敷を一人でさまよっていると、余計に虚しさを覚える。


 私は気晴らしになるかわからないが、夜の庭園を上から見ようと2階にある外廊下へと出た。


 確か、この屋敷は突き当りまで行くと、庭園全体を見渡せる眺めのいい場所があったはず。

 私はそこに向って移動したのだが―――


 そこにはすでに男性の先客がいた。


 彼は長い髪をしており、絹のリボンで一つにまとめてあげていた。

 月明りに照らされて、綺麗な髪色がきらきらと細かく輝いている。

 ラヴェンダー色の衣服を纏い、背は高く、すっきりとした体形。そして、手すりに両手をかけ、私に対して背を向けて立っていた。


 私はこの時点で、脈がずきずきと痛むような興奮を覚えていた。

 まさか、まさか、まさか。

 さりげなく彼の横に立ち、その横顔を確認できれば……或いは、思い切って声を掛けることが出来るのなら……

 

 そう思いながら、少し彼のことを見入っていると、彼は私に見つめられていると気が付いたのか、私の方に向ってゆっくりと振り返った。


 その光景に私は思わず息を呑んだ。

 本当に、こんな事があり得るなんて。


 振り返ったその顔は、私がとても良く知っている、懐かしいあの顔だった。

 とても優美な顔。物憂げな表情を浮かべる時は、より一層美しいと感じさせるあの顔。


 私は思わず彼の元に駆け寄り、その名前を叫び、無意識のうちにこう話しかけていた。

「いつの間に、こちらの方に戻って来られたのですか?! あぁ、信じられない、信じられない!」

 叫ぶようにそう言って、驚き困惑している彼の目の前でお構いなしに、ぽろぽろと涙をこぼした。


 傍から見たら、どう見ても狂っている女だろう。


 彼は恐怖を覚えていたのかもしれない。

 とても驚いた顔を一瞬見せたあと、彼は努めて冷静に振舞い、とりあえず落ち着いてもらえないかと私に一言願い出ると、外廊下に置かれていたベンチに座るように促した。


 しかし、興奮していた私は、今までずっと言えなかったことを一気に話し始めていた。

「ずっと、ずっと、あなたのことをお慕いしていたのです。でも、伝えられぬまま、あなたはどこかへ行ってしまった。あぁ、でもこうしてまたお会いできた……」

 そして、またしても私は涙を流した。


 それは数分だったかもしれないし、あるいは十数分かかっていたかもしれない。

 いつの間にか私はハンカチを取り出して目元を拭い、必死に自分を泣き止ませようとした。

 目の前に立っている彼は、その間辛抱強く私の事を待っていてくれた。


 涙がようやく止まり、私が落ち着いてくると、彼は自分からも言わなければいけないことがある、と私に話しかけてきた。

 私に? 一体なんという言葉をかけてくれるというのだろう。私は彼のことを見上げた。


「すごく申し訳ないけれど―――」


 その言葉を聞いた途端、私の体は全身に緊張が走り、やはりだめだったかという思いと共に頭が真っ白くなった。

 

 わかっていたはずなのに。

 彼に思いを告げたところで、すべて受け入れてもらえるとは限らないはずなのに。

 体がどんどん凍り付いていくのを感じた。終わった、と。


 だが、その次に出た彼の発言は思いもよらぬものだった。


「俺は君が思っている人物じゃない。俺はあいつの双子の兄弟なんだ。あと、残念だけど、あいつはまだこちらへは戻って来てない」

「……」


 私は最初、彼が異国の言葉でそれを話しているように感じていた。しかし、その言葉を頭の中で何度も繰り返した。

 俺はあいつじゃない……双子……

 そう言えば、昔、誰かがラウル様には双子の兄上がいると言っていた気がする。


 つまり、私が思いを必死に告げた相手は、人違いだということだ。


 その瞬間、私の体からは魂がどこかへ旅立っていってしまったような、無気力な状態へと陥った。

 続いて、胸の奥から羞恥の感情が漏れ始め、嫌でも呼吸は荒くなり、顔も赤くなるのを感じた。

 

「けれどまさか、あいつのことをこんなに好いてくれる女性がいたなんて。俺の方が驚きだ」

 彼は続いてそう言い、馬鹿にしている風ではないが軽く微笑んだ。


 私は一瞬、あの人が照れているため、別の人間を装っているのではないか、と自分に都合のいい考え方をした。


 しかし、あの人が話しているのをそこまでよく聞いたことはないが、それでも目の前にしている彼は言葉使いが全く違う。

 そのため、その考えはすぐに打ち消された。


「そんな……ようやく会えたと思ったのに」

 目の前の彼には全く非はない。

 けれども、どうしても自分の落胆した感情は抑えることが出来ず、再び私は泣きだしてしまった。


 ここで、この双子の兄上は私を置き去りにしても良かった。

 こんな面倒くさい女を相手にするのも嫌だろう。

 ところが、彼は何故かまだ私の傍にいてくれた。 その優しさが余計に身に染みてしまい、私はますます泣いた。


 すると―――


 どこか見覚えのある、私と同い年くらいの女性がやってきて、彼に自分の用事は終わったと話しかけてきた。

 彼女はまるで今にも咲きそうな、小さな薔薇の蕾のように可愛らしい人だった。


 だが、彼女はベンチで泣いている私、そして泣き止むのを待っててくれる彼という構図を目で捉え、何か勘違いをしてしまったようだ。

 彼女からしたら、きっと私が彼に愛を伝え、振られてしまったように思えたのだろう。


「あぁ、ごめんなさい。お取込み中だったのね……私なら大丈夫。また後にするわ」

 双子の兄上が彼女の名前を呼んでいるのにも関わらず、それを無視して彼女はそう言うと、素早くその場を去って行ってしまった。


「……すみません。お連れの女性を誤解させてしまったみたいで。私なら大丈夫ですので、気にせずどうか彼女を追いかけてください」

 私はそう提案したが、彼はいや、彼女とはそういう関係では……と口ごもり

「そんな泣いている女性は放っておけないよ。良かったら、あいつのどこが好きだったのか教えてくれる? 実は諸事情があって、あいつとはずっと離れて暮らしてたから、知らない部分も結構あるんだ」

と私の横に座り、過去の事を聞いてきた。


 本当に、先ほどの女性を追いかけなくて大丈夫なのだろうか、と思いながらも私はとても素直に、過去の事を洗いざらい話した。


 途中、あの人が可愛い女の子と踊っていた話を挟んだとき、なぜかこの兄上は凄く笑っていたのがよくわからなかったが。


「そう。でも、踊りたかったのに踊れなかったのは残念だったね」

 私が話し合えると、彼はベンチから立ち上がってそう言った。


「でも、舞踏会はまだ続いてるよ。俺の連れもどこか行ってしまったし、まだ帰る時間じゃない。良ければ一緒に踊りませんか?」

 彼は微笑みながら、私に手を差し出して来た。

 私は思いもよらぬ提案に驚いた。


 さらに、彼はこう付け加えた。

「あぁ、踊りなら俺の方が上手いから大丈夫。昔、あいつの練習で何度か相手をしてたけど、本当によく足を踏むんだよ。初めて会った時に、もし踊ってたら幻滅してたかもしれない。まあ、今は上達してるかもしれないけどね」


 私は彼が踊りに苦労している様子を頭の中で妄想し、思わず吹き出し笑いをした。

「ほら、やっぱり泣いてる顔よりも笑ってる顔の方が可愛い」

「そんな……」

 私がその言葉に頬を赤くしている様子に、彼はそう言う照れてる所もいいね、とさらに褒めて来た。

  

 しかし、私はふと、ある事が疑問になり兄上にぶつけた。

「その……お兄様は女性と話す事に慣れている様ですけど、ラウル様も実はそんな感じなのでしょうか?」


 はっきり口には出さなかったが、内気そうに見えて、実はこの兄上のように、女性を喜ばすような言葉をすらすらと言える性格だったのではないのかと。


 するとすぐさま、それはない、それはないと彼は首を横に振った。

「いいや、あいつは俺の様に調子ノリの性格ではないから、こんな事は言えないと思う。でもそう言う所が好きになったんでしょ? だから、その点は安心していいと思うよ。それに、あいつは話し方がもっと上品で丁寧だし」


 もし、本当に本人に告白していたらなんて何て返していたんだか……と彼は笑った。 

 私の方も、気がつけばすっかり涙は止まっていた。


「さあ、それで踊る? 踊らない?」

 彼は笑顔のまま、もう一度、私に手を差し出して来た。


 私も泣き顔から笑顔に変えた。

 今度はちゃんと素直に伝えよう。


「ええ喜んで」

と言って、差し出された彼の手を取った。


◆◆◆


 それから、また少し経っての事だった。


 私は某公爵の居城で行われていた舞踏会に夫と一緒に出席していたが、ここは特に人が多いため、夫は早くも疲れてしまい、いつも通り放流されていた。


 さて、この後はどうしようか。

 そう思いながら、この館内を彷徨い歩いていると、反対側から先日一緒に踊った、あの人の兄上が歩いて来た。

 今日の彼は上下共に黒い服装をしている。


 この前は踊り終えた後、彼は途中で声を掛けて来た女性と合流して帰っていったのだが、女性の方はやはり何か誤解していたのか、少し不機嫌気味に見えた。


 そのため、私は兄上とすれ違う際に、こう声を掛けた。

「すみません!」


 急に呼び止められた彼は足を止めて、私の方へ視線を投げた。

「あの時は、とても不躾な振る舞いをしてしまい、大変申し訳ありませんでした」

 私は彼に向かって頭を下げた。


 彼は言葉を選ぼうとしているのか、目を瞬かせ、少し首を傾げたようにして、少々沈黙した。


 すると、うしろから来ていた、先日の連れ合いとは異なる女性が彼に向かってこう話しかけた。

「あら、お知り合いなのかしら?」


 彼女の年頃は私達より少し上に見え、先日連れていた可愛らしい女性とは対照的に、寒い夜に輝く白い月のように美しいのだが、どこか現実離れしている印象を私に与えた。

 彼女も彼と同じ様に黒い服装をしている。


 彼は彼女の質問には答えようとはせず、私の方に向かってゆっくり丁寧にこう返した。

「いいえ。どうぞお気になさらず。では、失礼致します」

 彼はそれ以上何も言わず、その場を去っていった。


 彼が離れていくのと同時に、私は、はっと思った。


 そうだ、あの兄上は割と女性慣れしている。

 もしかしたら、先ほどの黒い服を来た女性は、彼の別の"彼女"だったのではなかろうかと。


 その瞬間、私は、あぁ、やってしまった……と、大きくため息をついた。

 もしかしたら、連れている女性にあらぬ誤解を与えてしまったかもしれない。これではまた、別の修羅場が始まってしまうではないか。

 本当になんてことを……


 だが、ふと、あの兄上から言われた言葉の一部が記憶から急に蘇った。


『あいつは話し方がもっと上品で丁寧だし』


 私は先ほどの彼の返答を思い出していた。

 そして考えた。


 性格が明るそうなあの兄上なら、あんな丁寧な話し方で返答したのだろうかと。


 そこに気がついた瞬間、私は毛穴中の毛穴が開くような感覚に襲われた。

 

 え……まさか!


 私は大急ぎでその場を振り返ったが、彼らは死角になるような場所や、他の部屋に続く扉もないというのに、忽然といなくなってしまっていた。


 私が見たのは幻影だったのだろうか。

 だが、それにしてはあまりにも現実的過ぎる出来事だった。


◆◆◆


「ねぇ、あの女性はどのような関係だったの?」

 先ほど、女性から声を掛けられた後、再びベアトリスは興味津々と言ったところで、僕にそう声を掛けてきた。


 僕は、そこまでよく知っている間柄の女性ではないよと答えた。


「彼女は時折、舞踏会で顔を見た程度の女性だよ。だから、そんなに関わりがある訳じゃない。それに、彼女はつるんでいた女性たちと、よく僕の事を噂して笑っていたんだ」

「あら、なんて?」

「壁と同化してるとか、踊りに女性を全然誘わないとか、年上の女性ばかり相手にしてるとか……僕と全く話した事もないのに。何で彼女たちはそんなに僕の事を馬鹿にしてきたのか、全く今でもわからない」


 確かに昔の僕は気が弱かったから、それが彼女達の癪に触れる何かがあったのではないかな。

 僕がそう言うと、彼女はクスクスと笑い、それは一体いつくらいの話だと聞いて来た。


「ええと、僕が舞踏会に参加し始めた頃からだから、13歳くらいからかな。それからずっと」

「ふうん。そうなの……それじゃあ、いい事を教えてあげるわ。女の子はね、本当に大嫌いな相手なら、そもそも見ない、話さない、関わらないのよ」


 僕はそう言われても、彼女が何を言いたいのかいまいち核心がわからず、首を傾げた。


 いつの頃だったか詳しくは覚えていないが、ある日、僕は彼女達のリーダーに呼び出され、自分はもう少しで輿入れしてしまう。実はずっと好きだったと打ちあけられたことがあった。


 でも、今までの彼女達の行いや、学校でいじめを受けた過去の経験から、僕は彼女がただゲームをしているだけだと思って一応紳士的にお断りをした。


 すると、彼女は本気で断ってくるなんて笑える。自分はちょっとからかってみたかっただけだ、と言って、ちゃんと彼女に向き合おうとした僕のことを笑った。


 やはり、僕が予想した通り、ただの嫌がらせのようだった。


 へぇ。それじゃあ、仮に僕がそれを受け入れたら、きっと本気にするなんてとまた噂話の種にしてたのかな。

 なんで僕がよりによって、自分の悪口を言っている性格がすこぶる悪い中心的人物の事を愛せると思ったの?

 見下してた僕に振られる方が、よっぽど惨めじゃないか。こんな事をするのは、本当に意味がわからない。すごく暇なんだね。

 

 今の僕なら、きっとそう返してたと思う。

 でも、当時それが出来ず、ただ顔を赤くして悲しい表情しか出来なかった。

 何故はっきりと言えなかったのだろう。本当に今思い返しても、気の弱い自分に腹が立つ。


 けれど、先ほどの女性はあのリーダー格の女性とは違うようだ。


「まあ、さっき謝って来たのは、だいぶ昔に僕が向こうが踊りたがってると勘違いして、踊りに誘ってみたら断わられた事についてなんだろうけど」

 彼女はそれなりに罪悪感を抱いていたのだろうか。あのグループに属していた割には珍しく律儀な女性だな、と僕は思っていた。


「ふふふ……そう。それにしても、あなただってそんな前の事を覚えていたのだから、勘違いとは言え、誘われたと思った時は、なかなか嬉しかったんじゃなくて?」

「……」

 彼女は明らかに僕を揶揄っている。

 それ以上何か言われるのは嫌だったので、僕は黙っていることにした。


「だって、あなたが本気で腹を立てていたのなら、謝ってきたとしても今頃彼女は……ね」

「うん、きっとそうだろうね」

 僕は彼女と見つめ合い、わざとらしく微笑んだ。


「ところで、今日はもうそろそろ引き上げましょう。あなたの顔を知っている人間がいるなら、あまり長居するのは良くないわ」

 彼女は外に馬車が停まっているから、とりあえず外に出ましょう、ラウル。

 と言って、彼女は僕の名前を呼び、共にその場を去った。

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