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利輝と影正  作者: 在江
第一章
7/65

7 分析結果

 利輝は青柳家に居候していたが、守護人である影正以外の家人とはほとんど顔を合わせなかった。

 代々農業を営み、広さにゆとりのあるとはいえ、ホテルではなく普通の家には違いないので、洗面所などへ行き来する折りにすれ違う程度である。


 今回の事件についてどこまで知っているのか、また藤野家の当主が家へ戻らず彼らの家に逗留する事について、内心どのような見解を持っているにしろ、青柳家の面々はごく当たり障りのない調子で利輝に接した。


 青柳家の当主は、代々守護人と定められている。実質的に家産を運用する継主(つぎぬし)といえども、当主に従うしきたりである。決まりに従ったまでとしても、利輝は彼らの応対をありがたく感じた。


 利輝は影正の部屋で寝起きし、食事も影正が運んできたものを取った。その他の時間は影正の部屋に隣接する道場か、ピアノ室で過ごした。

 ピアノ室は、文字通りピアノ一台入れれば満杯となる防音室で、利輝がギターやベースに興味を示し始めた頃に、新たに建てられた。


 周囲を壁で囲まれた狭い空間にいると、守護人の庇護を実感できた。

 青柳家に駆け込んだ夜のような、混乱した態度を表に現すことはないものの、混乱した気持ちが消えた訳ではなかった。

 花鈴の罠に嵌められただけで、利輝は悪くない、と影正は断言した。しかし、他の人間は利輝が花鈴を辱めたと考えている、とも言った。


 これまで影正が無条件に主を絶対の存在として奉りはしなかった事を充分承知していながら、利輝は守護人が主を庇って真実を()げているのではないか、という恐れを拭えなかった。


 自身の記憶は肝心な部分が抜け落ちている。影正の説明が正しければ、薬に塗り潰された記憶はまず取り戻せない。


 確かに妹が仕掛けたとして、動機に思い当たる節もない事が、疑いに拍車をかけていた。

 もし自分に恋人がいたら、少しは無実に自信が持てただろう。特定の恋人に縛られるのを嫌って、適当に女遊びをしていた事までもが、実は心の奥底で妹に邪な想いを懸けていたせいではないか、と疑わしく感じられた。


 誰にも会いたくない一方で、端から誰かを捕まえて真実を確かめたい気持ちもある。いずれが真実にしろ、自分の納得する証拠が欲しかった。


 考えるだけでは堂々巡りから抜け出せない。胸の内に虚しい努力を繰り返しながら、目は影正の稽古を追う。

 影正は利輝の世話をする以外、ほぼ道場にいる。

 空手の型を演じたり、受け身の練習をしたり、カンフー映画のような動きをしたり、木刀で素振りをしたり。心に鬱屈を抱えていなければ、見るに楽しい景色の筈だった。

 どんな動きをしても、整った顔は平静さを保っている。真剣はあの夜以来、見ていない。


 「飲みませんか」


 いつの間にか影正が来て、ペットボトルに入ったスポーツ飲料を差し出していた。

 汗で貼り付いた髪の毛が、優れた額縁のような効果を上げている。利輝が首を振ると、茶を用意すると言って出て行った。


 利輝の不安を(おもんぱか)り、側を離れる時には必ず断りを入れる。利輝は事件の再生を停止し、影正が戻るのを待った。


 ほどなく戻った守護人は、湯気の立つ湯呑み二つと水饅頭を盆に載せていた。暑さもあって、相変わらず食欲が湧かない。心配の種を増やすまいと、影正に倣い機械的に湯呑みへ手を伸ばす。


 「すぐに東京へ戻った方がよかったでしょうか」


 熱い茶を平気で啜りながら、影正が言う。言わんとするところがわからず、利輝は黙って相手を見た。


 「事件のあった場所から遠く離れて忙しくしていた方が、気が紛れるでしょう」

 「そうかもしれない。でも、そうしなかった」

 「利輝様がお望みなら、今からでも」


 利輝はすぐ帰京するとは言わなかったが、ここに残るとも言っていなかった。影正が無罪の証拠を握った上で敢えて留まるからには、それなりの意味がある筈だった。


 「君は何を望んでいる」

 「真実を」


 守護人は即答した。利輝が自分の無実を危ぶんでいることを読み取っている。


 「ここにいたら、それがわかるのか」

 「真実を見つける道具が一つ増えるかもしれません。それに、圧力をかけることができます」

 「誰に」


 今度は答えがなかった。整った顔立ちの作り出す微笑みが、利輝にはやけに恐ろしく感じられた。



 向坂弥由(こうさかみよし)は父の一志にふくれ面をして見せた。もう何度目かのふくれ面である。


 「そんな顔ばかり作っていると、戻らなくなるぞ。肌の弾力性は加齢で衰える」

 「余計なお世話よ。例の分析結果、もういい加減出たでしょう。真っ先に教えてくれるって言ってたじゃないの」

 「大声を出すな」


 一志がわざと声を落としてたしなめると、弥由は慌てて口に手を当てた。

 診療時間はとうに終わっており、聞き耳を立てる者はいない筈であった。

 妻には一志から概要を話した上で念を押して口止めした。夜中に呼び出された以上、下手に隠し立てはできない。


 さすがに老いた両親の耳には入れなかった。老夫婦は、青柳家と藤野家との取り決めから解放され、のんびりと隠居生活を楽しんでいた。

 今更両家の問題に関心はない筈で、息子としても親を巻き込みたくなかった。娘の興奮が収まったのを見計らい、一志は声を落としたままゆっくりと説明した。


 「分析というのは、お前が考えているほど簡単なものではない。薬を入れて反応がでたから終わり、ではなくて、どうしてそうなったのか考えなくてはならない。数値を並べるだけでは分析したことにならないんだ」

 「ふうん、でも結構時間あったと思うけど。ま、できていないものは仕方ないわね。終わったら、ちゃんと教えて」

 「わかったわかった」


 疑わしげな弥由をどうにか追い出すと、一志はスマートフォンを取り出した。相手はすぐに出た。二言三言話した後、妻にだけ簡単に断りを入れると、ほとんど忍び足で車に乗り込んだ。


 行き先は藤野法律事務所で、到着した時には優輝が事務所を閉めて表で待っていた。優輝は緊張した面持ちのまま、助手席へ乗り込んだ。発車するなり、一志は質問を始めた。


 「僕と会うこと、誰かに話した?」

 「いや。事務員はとっくに帰ったし、家には客があるから食事して帰ると言ってある」

 「念のために尋ねるんだけど、利輝くんの血液型はOだよね」


 矢継ぎ早の質問に、例の件で話がある、としか聞かされていなかった優輝が、面食らったような声で肯定する。理由を問い質される前に、問いを重ねる。


 「花鈴ちゃんがA型」

 「うん」

 「間違いない?」

 「間違わないよ。代々うちの主治医なんだから、そっちで持っているカルテを見た方が早いし確実だろう。何でまた」 


 そこで本題に入った。車は田舎道をひたすら走る。町場へ向かっているようで、未だどこにも到達していなかった。わざと遠回りをしている。


 一志は青柳影正の依頼で、花鈴と利輝の血液を採取して分析したことを明かした。見知った家々が視界から消えた。なお暫く走らせた後、一志は車を道の端に寄せて停めた。ライトを消すと、車は街灯もない暗闇に沈んだ。


 「それで、何が出た」


 急に口が重くなった一志を優輝が促した。


 「O型の血液からカフェインと共に、ある種の睡眠薬の成分が検出できた。A型の血液には何も混じっていなかった」


 優輝は驚いた様子も見せなかった。シートに体を預けたまま、フロントガラスを透かして広がる闇を眺めている。


 「そうか。影正に知らせた?」

 「いや。どう考えたらいいのか、わからなくて。花鈴ちゃんがA型なら、一体どうなっているのだろう」


 一志は困惑していた。救いを求めるように優輝を見つめる。

 優輝の視線は動かない。次第に、法廷で証言台に立たされているような気持ちになってきた。試料を途中で取り違えなかったか、分析手順に間違いはなかったか、何度も確認した記憶を改めて点検する。


 「先に花鈴に飲ませておいて、終わってから利輝が飲んだ可能性はあるのか」


 はっと我に返ると、優輝は能面のような顔つきをしていた。一志は誰かに似ていると思った。すぐに考えを切り替える。


 「どうだろう。事の起こった時間や薬物の量とか、他の条件がわからないから、断言はできないけれども、もし後からO型が薬物を摂取したとしても、先に摂取させたA型に痕跡が残っていてもいいように思う」


 「だって、A型を先に採血してからO型を採血するまでに、多少時間が経過しているからね。それに、知らずに飲んで抵抗できなくなった人と、薬物だと知りながら飲んだ人とでは、どうしても量に差が出るだろう。先にたっぷり飲ませた分、残りも少なかっただろうし。それとも、ポット一杯に用意していた?」


 名前を使うと感情で思考が鈍るので、血液型で言い表した。一志の推論を聞く優輝の顔に、稲妻のように感情が走った。一瞬のことで、すぐに能面のような顔に返る。


 「結果を影正に知らせてやってくれ。どう使うか、彼が考えるだろう」


 一志の質問には答えなかった。家に対して辻褄合わせをするため飲食店まで優輝を送り届けた帰途、一志は漸く優輝の顔が誰に似ていたか思い当たった。


 「影美だ」


 優輝の母は影美の父の姉に当たる。面影があるのは当然であった。むしろ、これまで似ていると気付かなかったことに、一志は驚きを覚えた。

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