5 不在の波紋
「どのくらい」
「五日ほど」
時間稼ぎに発した問いに、影正は追い打ちをかけた。
いよいよ利輝は返事に詰まった。
ここは、主として度量の広いところを見せたかった。一日かせいぜい二日程度ならば、利輝も即了解しただろうし、余りに長過ぎれば即却下したものを、影正の答えは微妙な長さであった。
大体、主が何と言おうと守護に務めるのが守護人の役目である。主に万が一のことがあれば、責めを負うのは守護人なのだ。だから、主の利輝はよくも悪くも鷹揚に構えていられるのである。
法的には敢えて許しを得るまでもない。影正が勝手にどこへ行こうと、利輝は引き止める権限を持たない。影正が利輝の許しを得ようとするのは、好意と考えてもよいであろう。
それでも、利輝は答えを渋った。影正が前代未聞の申し出をした理由が、クリスマスに利輝のとった行動と関わりがあるとしか思えず、無理難題を吹っかけることで、暗に利輝を責めているように受け取れた。それにいざとなると、利輝は影正を側から離したくなかった。
「その間、僕はどうしたらいい」
結局、気弱な言い方しかできない。利輝としては、精一杯の抗議のつもりである。影正の端正な顔からは、何の感銘を受けた様子も見られなかった。
「ご面倒でも、一由さんの部屋にお泊まり願います。お出かけの際は、次由か弥由が都合をつけて守護につきますから、お好きなようになさってください」
一由は医師で研修中の身分である。次由も学部最終学年を迎えて多忙であろうことは察しがつく。末妹の弥由は受験生の上に、未だ地元にいて、高校の授業も残っている筈である。影正にしては、無茶な話であった。
「一由さんは、君の部下に入らない。泊まるのはまずかろう」
「話はつけてあります。一由さんのところなら、利輝様も大学へ通われるのに不便をおかけしません。試験も終わりましたし、大学も二次試験の関係で入れない日もありますし、毎日通われる必要もないでしょう。そもそも藤野家と向坂家は親戚なのですから、たまには泊まりに行ったからといって、不自然ではありますまい」
つまり、影正のいない間、主の利輝を一由の部屋へ蟄居させる計画らしい。そんなに杜撰な計画を立ててまで休暇を必要とするほど影正を悩ませたのかと思うと、利輝にも相手に同情する余裕が生じた。
「一由さんさえよければ、僕は五日ぐらいごろごろしていても構わないけれども、理由を聞いても構わないかな」
今度は影正に躊躇いの表情が生じた。利輝は口に出してからしまったと後悔したが、今更取り消せないので、緊張しながら相手の言葉を待った。
「人捜しをしたいのです」
影正の返事は利輝の虚を突いた。意外な理由であった。
「誰を」
「伯母です」
問いを重ねて、利輝にも話が繋がった。やはり、クリスマスの件が原因である。影正は悩んだ末に、先代に教えを乞おうと考えたのだ。ところが、先代の守護人は儀式の後、行方知れずであった。恐らく影正は手がかりを持つのであろうが、五日で間に合うだろうか。
「先代の守護人は引退したのだろう。手を煩わせてどうする」
「四年生になれば、この先ますます忙しくなり、まとまった時間を取ることは難しいでしょう。区切りのよいところで、これまで支援してもらったお礼を言いたいのです。それに、引退後死ねなくなった守護人が、どのように余生を送るべきか、私自身の問題として知っておきたいと思います」
引退、という言葉が利輝を打った。好むと好まざるとにかかわらず、いずれ影正を解放しなければならないのだ。
激しく胸が疼いた。影正に対する名状しがたい感情の中で、手放したくないという一事のみは、明白に意識された。利輝の手が持ち上がった。
「なるほど。無理をして事故を起こさないようにしろよ」
利輝は微笑みを浮かべて言った。手は行き場を失って頭を掻いた。
影正は一礼した。通りがかった学生たちが、奇妙な眼差しを向けるのを、二人とも気に留めなかった。
優輝は仕事で上京することになった。
多少気ぜわしくとも日帰りで済む予定のところ、他に急ぐ仕事もないので、余裕を持たせるという名目で、一泊する日程を組んだ。
「息子さんとお会いになるのですね」
楉埜が目敏く確認した。隠せば、却って女遊びなどと面白がって噂を立てられるかもしれないので、大きく頷いた。楉埜としても雇い主の留守が長い方が、気が抜けるというものであろう。
いつ戻るか分からない単なる外回りと異なり、確実に一人でいられるからである。仕事を怠けるつもりはなくとも、一人の方が捗る作業もある。現に、そこはかとなく喜んでいる気配が伝わった。
用件を済ませた後、念のため家に連絡を入れる。一泊することは既に伝えてある。
「これから飲み会に行くから、何かあったら電話に伝言を入れておいてくれ」
「わかったわ」
いつものことながら、恵梨花はあっさりと受け答えた。飲み会の相手は息子である。嘘をついている訳でもないのに、どこか後ろめたい気持ちが残る。
ともかく電話で断りを入れたことで、アリバイを確保した安心を得て、優輝は利輝と連絡を取った。利輝は優輝の上京に驚いたようであった。夕食を誘うと、やや間をおいて応じた。
待ち合わせの店に行くと、利輝は既に席に着いていた。何か物足りない。優輝は利輝をつくづくと眺めた。一年以上会わないうちに、声のやりとりだけではわからなかった成長の跡がはっきりと現れていた。しかしそれは、花鈴が得たはつらつさとは正反対の方向であるように優輝には感じられた。あるいは、店の照明の加減であろうか。
「影正くんの姿が見えないな」
酒の注文を終えると、優輝は店の中を見回した。違和感の原因を漸く突き止めた。久々の親子対面に気を利かせたのかと思いきや、どうやら本当に不在のようであった。
「休暇中」
利輝は水割りのグラスを傾け、空にした。その語調には酔いが感じられた。待っている間に、息子はどのくらいアルコールを流し込んだのか。守護人の不在と併せて、優輝は心配しながらも、努めて明るく振る舞った。
「休暇? お父さんの時には、そんな制度はなかったぞ。随分、民主化されたなあ。だが、時代の流れに沿うことは大事なことだ。帰郷した様子はないけれど、どこかへ遊びに行ったのか」
「先代に会うって」
「先代」
飲み物が運ばれてきて、会話が中断した。店員が料理の注文を尋ねるので、優輝はメニューを見ずに適当な品を頼んだ。特に空腹でなくとも、親として息子に何か食べさせる必要を感じた。只でさえ、利輝は既に聞こし召している感触があった。
「それは、影美、守護人の先代ということか」
何気なく言葉を継いだつもりが、利輝が素早く目を上げて反応した。紛れもなく酔っている。酔眼特有の鋭さに、優輝はどぎまぎして、誤摩化すようにグラスに手を伸ばした。それでいて酔うことに危険を感じ、口をつけただけでテーブルに戻す。
「父さんたちはどうだったの」
唐突な問いであったにもかかわらず、優輝は意味を完全に把握した。頭の中で危険信号が点灯した。努めて平静を装う。息子の目を見つめ過ぎることなく眺める。
「どうって?」
「婆ちゃんは爺ちゃんの守護人だったでしょう? そして二人は結婚した。つまり、互いに愛し合っていた訳だ。父さんたちも、そうだったのかって訊いているの」
「おかしことを言うな。従兄妹だぞ」
優輝は声を押し殺した。他の客との間には距離があり、それぞれ話に夢中の様子であったが、半端に聞かれれば誤解を招く。問題を持ち出した当の利輝ですら、酔いのうちにも危うい話であることを認識しているらしく、声量を抑えようと俯き加減に喋っている。
「従兄妹じゃなかったら、結婚していたということ?」
息子の言葉が優輝の記憶を刺激した。湧き上がる思い出を意志の力で押さえ込む。ここで、ただ否定しても、話は終わりそうにない。
「お父さんはお母さんが好きだから、結婚したんだ。守護人と結婚しようと考えるなんて、論外だよ」
嘘はついていない。優輝は平静を装い、利輝の酔った視線が執拗に絡み付くのにも耐えた。どういう訳か、法廷で原告と対峙した時の気持ちと重なった。
「どうして四六時中一緒にいて、何ごともなくていられたの」
論点をずらしたつもりが、息子はしつこく食い下がった。
「お互い、他に好きな人がいたからじゃないか」
守護人は結婚を禁じられており、前提となる恋愛もしないのが不文律であった。我ながらいい加減な答えだと思ったが、利輝ははっとした風であった。
おや、と思う間に料理が運ばれ、会話が途切れた。それで緊張も切れたのか、利輝はそれ以上話題を押し進めなかった。それからは料理をつつきながら、大学生活の様子から法科大学院への入試対策まで、ざっくばらんに話をした。
「お父さんの時代には、法科大学院の制度はなかったし、受験回数制限もなかった。時代は変わるなあ。ところで、いい人できたか」
楉埜の尋問に備えて、と自らに言い訳しつつ尋ねる。利輝の返事は曖昧で、適当に逃げられた。
先程は防戦一方で心の余裕を持てなかったが、会話を思い返せば好きな人でもいるような印象が残った。自分の学生時代を振り返っても、気になる異性の一人や二人いるのが当たり前であった。
片思いか、あるいは結婚まで考えていない付き合いかもしれない。下手に交際を親に知られると、結婚を急かされると思い込んでいるのだろう。優輝は若い時分派手に遊び回ったことを思い出し、疼く好奇心を抑えた。
影正がいないことを心配して、優輝は息子を送ることにした。利輝は次由の付き添いもなく、一人で出かけてきたのであった。
二十歳をとうに過ぎた大学生である。世間では当然の話であっても、和江が知れば目を回すであろうと優輝は懸念した。しかも、利輝は向坂一由の部屋で寝泊まりしていた。聞けば、影正が不在の間だけ世話になっているということであった。
「忙しいところ、迷惑をかけて済まないね」
一由は影正に対する義務を負っていない。向坂家に知れたら、ひと悶着起きるのではないか。向坂一志は大人しそうに見えて、なかなか物言いのはっきりした質である。
「いいえ。利輝くんは家事が得意なので、却って助かります。料理も上手ですよ」
どうやら帰宅したばかりらしい一由は、疲れも見せず人のよい笑顔で答えた。こちらは父親と違い、大らかな性格である。一志の性格を最も受け継いだのは、末っ子の弥由であろう。
手間賃を兼ねて一由にお小遣いを渡し、お茶でもと誘われるのを遠慮して、優輝はホテルへ戻った。




