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4.魔王の誕生〈side ヨアン〉

眠るフェリシアに寄り添う魔王は何を思う?

魔王ヨアンの視点からのお話

(フェリシア…)

 安心したように眠るフェリシアを見つめながら、ヨアンは溜息を漏らした。


 フェリシアが自分の城にいる。その事実がヨアンの心を高揚させ、狂おしいほどに締めつける。

 絹のように美しく流れるプラチナブロンドをひと房手に取ると、そっと口づけた。

 夢に見たフェリシアとの再会。



 ヨアンが”最恐の魔王”などと呼ばれ、森の奥の古城に引き籠るようになったのは、ある事件がきっかけだった。


 ヨアンは先王と、その側室だった母セシルの間に生まれた。

 セシルは美しく心根の清らかな人で、先王の寵愛を一身に受けていたが、側室の中では新参者なうえに、身分が低い男爵家の出身だったため、よく先王妃や他の側室たちから妬まれ、裏で虐げられていた。


 ヨアンが3歳の頃、先王はこの世を去った。物心がつく頃にはすでに父は病床に臥せっており、会うことは叶わなかったため、父と触れ合った記憶はない。

 先王亡き後は、先王と先王妃の間に生まれた異母兄フィリップが王位を継いだ。フィリップとは33歳も年が離れていたため、兄との思い出もほとんどない。それどころか、直接顔を合わせた記憶すら曖昧なほど、兄弟の関係性は薄かった。


 先王という後ろ盾をなくしたセシルが、悪魔のような紅い瞳と強大な魔力を持ったヨアンを育てるのにどれほど苦労したかは、想像に難くない。

 ただでさえ身分が低いと虐げられていたのだ。セシルは悪魔の子を産んだと揶揄され、心無い誹りや嫌がらせを毎日のように受けていた。先王の死後、フィリップ国王により後宮は解体され、他の側室たちは先王との間に子がなかったため皆王城を出たが、セシルは王位継承権を持つヨアンを抱え、王城を出るわけにもいかなかった。


 王城内にセシルの味方は少なく、ヨアンを伸び伸びと育ててあげられないことに負い目を感じていたセシルは、王城を出てヨアンと二人で暮らせないかと密かに住処を探していた。

 通常なら成人した王族が担う役目である国境を守る結界に魔力を注ぐ役目も、ヨアンほど強大な魔力を有する者なら子どもであろうと一刻も早く担うべきだという意見が多く、そうした圧力からも、セシルはヨアンを守ろうとしていたのだ。


 ヨアンは少しでも母の負担が軽くなるよう、勉学にも魔術にも、剣術や体術をはじめとする武術においても研鑽を積んだ。

 少なくとも、自分の容姿以外のことで母に肩身の狭い思いは絶対にさせたくなかった。セシルがヨアンを守ろうと辛い状況に耐えていたのと同じように、ヨアンも母を守りたかったのだ。


 王城の片隅の宮で寄り添い合い、隠れるように慎ましく暮らしていた二人にさらなる禍が降りかかったのは、ヨアンが11歳の時だった。

――セシルが、毒殺されたのである。


 フィリップ国王には、ヨアンの2歳年下の息子アレクシスがいたが、国王の臣下の中には、魔力が強く優秀なヨアンを王太子に、という勢力も少なからず存在していた。

 セシルの死は、アレクシスを王太子に推す勢力と、ヨアンを推す勢力の争いに巻き込まれたことが原因なのは一目瞭然であったが、力を持つ貴族が関わっていたらしく、毒を混入した者が誰であるかはすぐには特定されなかった。



 母の葬儀が終わり、数日が経過した頃。

 悲しみに打ちひしがれ、母との思い出の庭を歩いていたヨアンの耳に、衝撃的な会話が飛び込んできた。

「まさか、セシル様があのスープを飲んでしまわれるとはなぁ」

「誤算だったな。しかし、ヨアン様がまだ生きている以上、再び何か手を打たねばなるまい」

 それは、アレクシスを王太子に推す者たちの会話だった。


(こいつらが、母様を殺した…。母様は、僕の身代わりになってしまったんだ…)

 ヨアンの胸に、激しい怒りが込み上げる。母も自分も、王太子の座など望んでもいなかった。

――ただ二人、静かに暮らしていただけなのに!


 闇が、ヨアンの心を瞬く間に真っ黒に染め上げていく。溢れ出した怒りで魔力を制御できなくなっていた。心の中で毒蛇の如く蜷局を巻いた魔力は、怒りの矛先へと一直線に襲いかかった。

「ぐわっ!だ、誰…か」

「た、助けて…くれ!」

 会話をしていた二人の喉を魔力で締めあげる。

(絶対に、許さない)

 ヨアンの赤い瞳がギラギラと輝きを増し、魔力が膨れ上がっていく。と同時に、ギリギリと首が締まる音が不気味に響き渡る。


「ヨアン様、おやめください!」

 異常に気づき、止めに入った従者たちがヨアンを数人がかりで押さえつけようとするが、ヨアンの身体の周りに渦巻く魔力に阻まれ、ままならない。

 近くで演習を行っていた騎士たちが騒ぎを聞きつけてやってきて、数人がかりでやっとのことでヨアンを取り押さえた。

「ヨアン様!彼らが死んでしまいます!」


 騎士たちの叫び声に、ヨアンははっと我に返った。

 魔力により締め上げられ、宙に浮いていた二人の男たちが、その瞬間地面に叩きつけられるように落下した。

 ヨアンは信じられない思いで、瀕死の状態の二人の男を見つめる。一人は口から泡を吹き、痙攣している。騎士がすぐさま心肺蘇生を行い始めた。もう一人も、顔は土気色に変わり喉をヒューヒューと鳴らして、やっと呼吸をしているような状態だった。


「僕は、何を…」

 自分がしたことの恐ろしさに気づき、身体が震える。

(人を、殺しかけた。母様を殺した者たちと、同じことをしてしまうところだった…!)

 悪魔の子、そう罵られた言葉が頭の中にこだまする。気分が悪くて吐きそうだった。


「呼吸が戻ったぞ!すぐに城の中に運べ!」

 心肺蘇生をされていた男が息を吹き返した姿をぼうっと見つめ、慌ただしく二人の男を運ぶ集団に背を向けたヨアンは、覚束ない足取りでふらふらと城の外へと出ていった。


 すべてが夢の中の出来事のようで、まるで実感がなかった。ただ、胸の中を埋め尽くすどす黒い感情が、ヨアンの心と身体を蝕んでいくのを感じていた。

 自分の感情と力に対する恐怖。どうしたらいいのか、どうすべきなのか…。考えたくても頭が働かない。視界が歪み、身体に力が入らなくなっていた。

 制御できないほどに膨れ上がった魔力が、体中の力をごっそりと削っていく。どこをどう歩いているのかもわからぬまま、ヨアンは木陰に倒れ込み、気を失った。



(――何だろう、温かい…)

 気づくと、空は茜色に染まり、木々が長い影を落としていた。

 傍らには、ヨアンの胸に手を当てたまま眠る、小さな女の子。夕陽に照らされた髪が銀色に美しく輝いている。


(この子の手…。優しい力が流れ込んでくる…)

 少女の手をそっと握り、ヨアンは起き上がった。

(この子が、助けてくれたんだ)

 体内に優しい気が満ち、体力が回復しているのがわかる。気を失う前までヨアンの心を覆い尽くしていた重く黒い感情も凪いでいた。


(誰なんだろう。どうしてこの子にこんな力が?)

 不思議な気持ちで少女の顔を見つめる。

 天使のように整った、愛らしい寝顔。なぜだか目が離せなかった。


 しばらくそうしていると、どこかから声が聞こえてきた。

「フェリシア様!フェリシア様ー!」

 ヨアンはびくっと飛び退き、慌てて草陰に身を隠す。


 少女が目を覚まし、目をこすりながら身体を起こした。眠たげな瞼から覗いた、澄んだ紫水晶(アメシスト)の瞳。

「フェリシア様、こんなところにいらしたのですね!」

 侍女らしき人物が、息を切らして駆け寄り、少女の前に跪く。

「ごめんなさい、お母様にお花を摘みに来たのだけれど…。あれ、ここにお兄様より、もう少し大きな男の子が倒れていて…」


 少女は不思議そうに辺りを見回した。柔らかそうなプラチナブロンドが、きょろきょろとした動きに合わせてふわりふわりと揺れる。夕陽に照らされ、まるで少女自身が光を放っているかのようだ。

「きっと夢でも見ておられたのでしょう。フェリシア様は昨夜も遅くまで奥様のお傍についていらっしゃいましたから」

 そう言われて、少女は考え込むようにゆっくりと首を傾げた。その仕草も驚くほどに愛らしい。

「そうなのかしら…。心配かけてごめんなさい」

「さあ、お邸へ戻りましょう」

 侍女らしき人物に促され、フェリシアが立ち上がって歩き出す。その先に邸宅が見えた。


(あれは確か、デュプラ侯爵の…)

 以前母と外出した際に、馬車の中から見たことがある邸宅だった。国王の側近、デュプラ侯爵邸。

「デュプラ家のフェリシア…」

 自分を救ってくれた少女の名を、そっと呟く。名を口にした瞬間、心の奥に灯が灯ったような感覚を覚えた。


 きっと、彼女に会わなければ、自分は死んでいた。

 思い出すのも恐ろしいほどの魔力の暴走。体の中で荒れ狂う魔力が、体力も、命さえも削っていたことが、救われた今ならわかる。あれほどまでに昂っていた魔力が、嘘のように穏やかになっていた。

「フェリシア…。僕を救ってくれた女の子…」

 先程の小さな手のぬくもりが、まだ胸に残っているような気がした。



 城に戻ったヨアンは、殺めかけた男たちがセシル毒殺について告解し始めたことを知った。

 事情を知ったフィリップ王がヨアンを責めることはなかったが、ヨアンを取り巻く環境は一変した。

 誰もがその強大な力を恐れ、ヨアンに近づかなくなったのだ。無理もない。悪魔の子と言わしめるほど恐ろしい力が、多くの者の前で露呈してしまったのだから。


 周りの者たちの態度の変化に、ヨアンはいっそ清々しさを覚えた。この場所は自分の居場所ではないと、母のいないこの王城への未練を綺麗に断ち切ってくれたのだから。


 程なくして、ヨアンは王位継承権を放棄することと、魔力を国境の守りに注ぎ続けることを引き替えとして、森の奥の古城に移り住むことを許可してほしいと王に願い出て、承諾を得た。

 森の奥の古城は、かつてある王族が住んでいたが、今は誰も住む者がいない寂しい場所。だが、一度だけ母と訪れたことのある、ヨアンにとっての思い出の場所だった。

 王城に自分たちの居場所がないと感じ、新しい居場所を探していたセシルは、その候補のひとつとして森の古城を訪れていたのだ。もう少し早く王城を出ることができていたら、セシルは死なずに済んだのだろうか。

 魔物が出ると恐れられる森は、人が近づくこともなく、悪意ある視線に晒されたくないヨアンには逆に都合がいい。


 出発の朝。

 たった一人の従者を連れて城を出るヨアンの顔には、山羊の頭蓋骨の面。

 ”最恐の魔王”が誕生した瞬間だった。



「フェリシア、あの時はありがとう」

 ずっと伝えたかった言葉を、14年越しで口にする。

 天使のように可愛らしかった少女は、すっかり大人の美しい女性へと成長していた。しかし、月明かりに照らされ銀色に輝く滑らかな髪は、あの時の少女を思い起こさせる。


「やっと会えた。愛しいフェリシア」

 すべてを捨てて森の奥に籠って暮らす自分にとって、フェリシアだけが唯一外界への未練であり、生きる希望だった。凍りついた心を溶かしてくれた灯。

 たとえ、二度と会うことは叶わなくても、フェリシアが生きて、笑っていてくれれば、それだけで――。


 けれど今、フェリシアはこの城に、ヨアンの目の前にいる。

(もう一度会える日が訪れるなんて…)

「何があっても、フェリシアは必ず俺が守る」

 眠るフェリシアの手を握り、ヨアンは再びの決意を口にした。

お読みくださり、ありがとうございます!

引き続きよろしくお願いいたします。

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