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番外編 最恐魔王は蜜月に溺れる3

「おはようございます、閣下、フェリシア様。昨夜はゆっくりお休みいただけましたか?」

 翌朝、ニナが部屋まで二人を迎えに来た。

「おはようございます、ニナ様。お部屋の設えも眺望も本当に素晴らしくて、感動いたしました。温泉のあまりの心地よさに、つい長湯し過ぎてしまって…。遅い時間にお夜食をお願いしてしまい、申し訳ございませんでした」

 フェリシアが答える横で、ヨアンは密かに欠伸をかみ殺していた。


 昨夜、温泉から上がり夜食を取った後、再び二人でベッドに入った。いつも以上にしっとりと吸いつくようなフェリシアの肌に溺れ、つい無理をさせてしまったことを反省する。

 疲れ果てたフェリシアが眠りに落ちたのを見届けてから、日課となっている結界への魔力注入を行っていたため、あまり寝ていないのだ。

 新婚旅行を兼ねた訪問とはいえ、国を守る結界に綻びが起きるようなことがあってはならない。

 かつては何人もの王族が毎日魔力を注いでいたという国境の結界は、今やヨアンが一人で守っている。夜の澄んだ空気と静寂の中での方が魔力が研ぎ澄まされるため、結界への魔力注入は深夜に行うのがヨアンの日課だった。

 居城では夜更かしをしても昼前まで寝ていられるが、ニナからの依頼が最優先のこの旅ではそうもいかない。

(これ以上フェリシアに無理をさせるわけにはいかないし、今夜は少し早めに休もう)

 再び欠伸をかみ殺しながら、ヨアンはぼんやり考えていた。


 ニナに勧められたバトン領自慢の温泉粥を食べ、支度を整えて馬車に乗り込んだ。ニナは別の馬車で先導してくれている。

「温泉粥、とっても美味しかったですね。優しい味わいで、朝にぴったりでした」

「そうだな。正直、朝食は辞退しようかと思っていたが、あれはすっと食べられた」

 フェリシアが嬉しそうにしていると、ヨアンも心が温かくなる。

 ヨアンが目を細めてフェリシアを見つめていると、フェリシアがバッグから小さな缶ケースを取り出した。

「ヨアン様、これ、よかったらどうぞ」

 蓋を開け、ヨアンに差し出す。仄かな薔薇の香りがふわりと広がった。缶の中には淡いピンク色のキャンディが並んでいる。

「旅先ではお菓子が作れませんので、出発前に用意していたのです。薔薇のエキスを入れて作ったキャンディなのですけど」


 居城では、毎日フェリシアが手作りのお菓子を用意してくれる。王族の血を引くフェリシアにも、僅かながら魔力があり、フェリシアが作ったお菓子には癒しの効果があるのだ。ヨアンの魔力とフェリシアの癒しの魔力は相性がいいらしく、驚くほどヨアンに対して効果を発揮する。フェリシアと一緒に暮らすようになってからのヨアンは、魔力も体力も充実していた。


「まさか旅行中もフェリシアのお菓子を味わえるとは。キャンディとは考えたな。本当にありがとう」

 ヨアンはキャンディを一粒、口に入れた。薔薇の香りとともに、甘酸っぱさが口内を満たす。じんわりと身体の核の部分が温かくなっていく感覚。

「うん、美味い。寝不足の身体に染みるな」

 ヨアンの言葉を聞いたフェリシアが、心の底から嬉しそうに、笑みを浮かべた。

「お口に合ってよかったです。ニナ様からご依頼いただいたお店に行った後は、少し街を散策させていただきましょうね」

 愛しさに胸を鷲掴みにされ、思わず可憐な唇にキスをする。

「このキャンディがあれば、今夜も夜更かしできそうだ」

 ヨアンに艶美な笑顔を向けられ、フェリシアの頬がみるみる赤く染まっていく。

「駄目ですよ、睡眠不足が続くのはお身体にさわります…」

「今夜はもう少し加減する。フェリシアをあまり疲れさせるわけにはいかないからな」

 真っ赤になったまま困ったように訴えるフェリシアが可愛くて、もう一度長いキスをした。



 ニナにアドバイスを依頼された店は、石畳の道沿いに色鮮やかな建造物が立ち並び、空の青が映える、フォトジェニックな商業区の一角にあった。

「素敵な場所ですね。王都からの観光客に人気なのも頷けます」

 目を輝かせたフェリシアに、ニナは自分が褒められたかのようにはにかんだが、すぐに表情を曇らせた。

「そう言っていただけると、本当に嬉しいです。――ただ、こちらのお店は売れ行きが少し芳しくなくて…。ターゲットにしているのは、王都から観光に訪れた貴族令嬢方なのですが…。何かを変えなければならないのはわかっているのですけれど、どう変えればいいのかが、王都の流行や令嬢たちのファッションに疎い私にはアドバイスできなくて。それで、フェリシア様のお力をお借りしたいと思ったのです」

 フェリシアもプレッシャーからか一瞬不安気な表情を見せたが、ニナを安心させたかったのだろう、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。

「私もお役に立てるかはわかりませんが、力を尽くします。まずはお店の中を拝見してもよろしいでしょうか?」

「はい、もちろんです」


 ニナとともに店内に入っていくフェリシアに続き、ヨアンも店に足を踏み入れる。

 あまりに美しい二人が突然現れたため、店員たちが神様でも目にしたかのように見惚れ、固まった。

「こんにちは。商品を手に取ってみてもよろしいですか?」

 フェリシアに尋ねられた店員が、まるで魔法にかかったかのようにうっとりとした表情でこくこくと頷いた。まるで言葉の発し方を忘れてしまったかのようだ。

(俺のフェリシアは、誰もを魅了するな。美しさはもちろん、慈愛に満ちた眼差しも、透き通った甘い声も、すべてが女神のようだ)

 自身の美貌も大いに目を惹き、他を魅了しているというのに、そんな視線には気づきもせず、ヨアンはフェリシアだけを熱い眼差しで見つめていた。


 店の隅に用意された椅子に座り、時間が経つのも忘れてフェリシアを眺めていたヨアンのもとに、ニナや店員との話を終えたフェリシアが戻ってきた。

「ヨアン様、お待たせして申し訳ございませんでした」

 壁の時計に目をやると、いつの間にか店を訪れてから一刻が経とうとしている。

「もう終わったのか?フェリシアを見ていたから、あっという間だった」

 ヨアンのストレートな物言いに、フェリシアがあっという間に耳まで薔薇色に染めて恥ずかしそうに俯き、後ろで聞いていたニナまでもが頬を赤らめて固まった。

「ん、んんっ」

 咳払いして気を取り直したニナが、二人を店の外まで見送りながら言った。

「昼食は近くのお店に個室を用意しておりますので、お二人でどうぞ。バトン領の郷土料理をお楽しみください。私はもう少しここに残って、打ち合わせをいたしますので」

「ニナ嬢、ありがとう。では、お言葉に甘えよう」

 ニナが用意してくれたという店はすぐ近くのようだったので、ヨアンはフェリシアの手を取り、歩き出した。こんな風に二人で街を歩くのは初めてのことだ。

(これが世に言うデートというものなのだろうか。フェリシアと二人でこうして並んで歩けるとは素晴らしい。心が躍る)

 フェリシアの指に、自らの指を絡めてきゅっと握りしめた。


「どうだった?ニナ嬢の期待には添えそうか?」

 ヨアンは店に入る前に少し不安気な表情を見せていたフェリシアを気遣うように覗き込む。

「まだわかりませんが、とっても素敵な商品もありましたし、きっともっと素晴らしいお店になると思います」

 フェリシアが微笑んだのを見て、ヨアンも安堵の表情を浮かべた。

「フェリシアがそう言うなら、心配ないな」

 フェリシアが生まれ持った才覚に加え、幼い頃からどれだけ努力をしてきて、どれだけの知識や感性を身につけ、磨いてきたのかをヨアンは十分理解しているつもりだ。

(フェリシアが携わるのだから、必ずいい結果が得られるだろう)

 ヨアンは自分のこと以上にフェリシアが誇らしかった。



 昼食の後は、二人で商業区の店を見て回った。

「お父様やマクシムにも、お土産を買って帰りたいです。もちろん、ユーゴさんやロイ、ヨナ、リム、それからノアにも」

「そうだな。皆に買って帰ろう」

 ロイ・ヨナ・リム・ノアは、ヨアンの使い魔たちのことだ。もともとヨアンにしか見えなかった使い魔たちの姿だが、ヨアンと心が通じ合ったフェリシアは、見ることも触れることもできるようになった。名前のなかった彼らに名前をつけたのはフェリシアだ。

 少しだけはしゃいだ様子のフェリシアが新鮮で、ヨアンの頬も緩む。フェリシアと買い物を楽しむのも初めての経験だ。


 以前なら特異な鮮紅の瞳を気にして、人目のあるところでは魔力で色を変えて見せていたが、フェリシアがありのままを受け入れてくれてからは、それをするのをやめた。

 フェリシアの夫となった日、フェリシアの隣に相応しくあるため、精進すると誓ったのだ。

(隠すことなどない。何も後ろめたいことなどないのだから)

 ヨアンは臆すことなく顔を上げ、フェリシアの腰に腕を回した。


「これ、ユーゴさんにいかがでしょう?」

「ああ、似合いそうだな」

 大切な人たちへのお土産を選び、疲れたらオープンテラスのあるカフェで休憩する。

 光を放つような美しさの二人は、そこにいるだけで注目を浴びてしまったが、バトン領の領民たちは温かく、明らかに高位の人物たちだとわかっていながら、いい意味で二人を放っておいてくれた。

 どの店でも特別扱いはせず、他の観光客と同じように接する。必要以上に近づいてきたり、声を掛けたりはしない。それは、辺境伯令嬢でありながら、着飾るでもなく、尊大な態度を取るでもなく、領地のために奔走するニナの姿を見ているせいなのかもしれない。

「バトン領、とても素敵なところですね」

「そうだな」

 しがらみのない地での自由な時間は、二人がこれまで経験したことのない貴重なものだった。普通に街を歩き、買い物や食事を楽しむ。初めての経験に、二人の心は深く満たされた。


 街の散策と買い物を目一杯楽しみ、宿泊施設へと戻ると、昼から別行動をしていたニナからの伝言があった。

「今夜はお食事のコースをお部屋にご用意いたしますので、どうかご堪能ください。また明日の朝、お迎えに参ります」

 昨夜は夕方に到着し、軽い食事だった二人に、今日はフルコースを用意してくれているようだ。

 フェリシアの手を借りるためだけでなく、ヨアンとフェリシアの新婚旅行もこの訪問の目的に含まれているということをよく理解したニナの配慮に、ヨアンは感心した。

(さすが、あのアレクシスが惚れただけあるな。ニナ嬢が王太子妃になるなら安泰だ)


 かつてフェリシアの婚約者であり、フェリシアを愛しフェリシアのために心を殺した日々を送ったアレクシスが幸せを掴んだことに、ヨアンはあらためて心から安堵していた。

 フェリシアを失うことはヨアンにとって絶望を意味する。だから、フェリシアを黄泉へと送ろうとした者たちを遠ざけた後、再びフェリシアをアレクシスの婚約者に、という声が上がったのを知った時、どうしても身を引くことができなかった。フェリシアの幸せを考えれば、自分が諦める方がいいのかもしれないと思い悩みもしたが、あの時引かなくてよかったと今は心から言える。

 ただ、フェリシアに襲い来る魔の手を振り払うために手を貸してくれたアレクシスに対して、申し訳ないと思う気持ちはずっと引きずっていた。

(もしもあの時フェリシアが選んだのが俺ではなくアレクシスとの未来であったなら、きっと俺は耐えきれなかっただろう。アレクシスはそれを味わったのだ。どんなに打ちひしがれたことか…想像するだけでぞっとする)

 自分と同じくフェリシアを愛した甥。結婚式の時にアレクシスから託された思いを、ヨアンは決して忘れてはいけないと思っている。


「ヨアン様、お疲れではないですか?」

 考え込むような表情を見せていたヨアンの顔を、フェリシアが心配そうに覗き込んだ。最愛の人がいつも自分の様子を気に掛けてくれる幸せが、心を温かくしてくれる。

(どうしてこんなにも可愛いんだ)

 ヨアンはフェリシアの細い腰を抱き寄せ、唇を啄む。

「大丈夫だ。フェリシアがいる幸せを噛みしめていただけだから。フェリシアこそ、疲れていないか?」

 唇を離したヨアンに甘やかな瞳で見つめられたフェリシアは、恍惚の表情で頷く。

「私も…ヨアン様といられて、本当に幸せです…」

 潤んだ紫水晶の瞳に、自身の紅玉の瞳が映る。混じり合う幻想的な色に吸い込まれるように、ヨアンは再びフェリシアに唇を寄せ、溶け合った。

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