14.陽炎姫はふたたび黄泉の扉を開ける
ある日、王城は安否不明だったフェリシアの突然の登城にざわめいていた。
そして、フェリシアの義妹セリーヌも、フェリシアの無事な姿を目撃してしまい…。
アレクシスとセリーヌの婚約披露式まで一月を切ったある日、王城はざわついていた。これまで所在も安否も不明とされていたフェリシアが、突然登城したのである。
フェリシアは年の頃が14、5歳と見える美しい少年を従え、国王への謁見を希望した。
「フェリシア様は、生きておられたのか!」
「これまでどこにおられたのだ?それに、あの従者は一体どこの家の者だ?」
大臣や宰相はもちろん、王城で働くすべての者たちが驚愕するとともに、フェリシアの無事に安堵した。
フェリシア帰還の知らせは瞬く間に城中を駆け巡り、王妃教育のため登城していたセリーヌの耳にも入った。
「え!?お義姉様が!?今王城にいらしているの?」
「あっ、セリーヌ様!?お待ちください!」
知らせを聞いたセリーヌは、専属教師たちの制止も聞かず部屋を飛び出す。謁見の間へと続く回廊に少しでも早く辿り着こうと庭園を横切ろうとした時、別の方向から来たアレクシスにぶつかった。
「きゃっ!」
アレクシスはさっと腕を伸ばし、バランスを崩して倒れそうになったセリーヌを受け止める。
「セリーヌ、一体どうしたんだい?そんなに急いで」
「ア、アレクシス様!いえあの、お義姉様がいらしていると聞いて…」
「フェリシアが?どういうこと?」
アレクシスの端正な顔が驚きの表情に変わる。フェリシアが登城していることをまだ知らされていなかったようだ。
「フェリシアは、生きていたの?」
抱きとめられた状態のまま、アレクシスにぐっと顔を近づけて問われ、セリーヌは赤面する。
(アレクシス様はお義姉様のことをまだ聞いていなかったのだわ!このまま二人を会わせたくないけれど、一体どうしたら…)
セリーヌがどう説明しようかとおろおろしていると、回廊の方で声が上った。
「フェリシア様、こちらで国王陛下がお待ちです」
「フェリシア様!よくご無事で!」
「フェリシア様の無事を信じておりました」
回廊には、ちょうどフェリシアが姿を現したところだった。大臣たちに囲まれるようにして歩いている。その様子は、アレクシスの婚約者ではなくなった今でも、フェリシアの信望者が多いことを物語っていた。
「──フェリシア…?」
アレクシスが仙姿玉質なフェリシアに目を奪われる。焦がれるようなその表情は、セリーヌには一度も向けられたことのないものだった。
(遅かった!アレクシス様にお義姉様の姿を見せたくなかったのに…!)
セリーヌはぎりっと歯を噛みしめる。
輝くプラチナブロンドをなびかせて歩くフェリシアの姿は、同性から見ても悔しいくらいに眩く美しい。そこにいるだけで、周囲まで輝いて見えるほどに。
(相変わらずのあの存在感。大臣たちまでうっとりとして!あいつら私にはいつも厳しいことばかり言うくせに、何なのよ!)
フェリシアの後に続く少年従者を目にしたセリーヌは、さらに愕然とした。
(なっ、誰よ、あの従者!)
チョコレートブラウンの髪に、藍鼠色の瞳。色白の端正な顔立ちはやや幼さを残しながらも、涼やかな目元にほんのりと艶が漂う。まさに眉目秀麗。美少年という言葉では足りないほどの美貌だ。フェリシアと一緒にいてもなお、あれほどの存在感を放つ人物を、セリーヌはアレクシス以外に見たことがなかった。
(あんな美しい従者、どこで…?どうしていつも、お義姉様ばかり!)
セリーヌの瞳がぎらりと光る。いつも自分の欲しいものを手にしている義姉。やっと消えてくれたと思っていたというのに、今度はあんなに美しい者を従えて戻ってきた。
(許せない。こんなこと絶対に許せない。アレクシス様も、あの従者も、絶対に私のものにしてみせるわ)
セリーヌはメラメラと嫉妬の炎を燃やす。デュプラ侯爵家にやってきたその日から、フェリシアには力の差を見せつけられてきた。何をしても敵わない圧倒的な存在。だからこそ、フェリシアへの対抗心は邪な方向に掻き立てられた。
(手が届かない場所にいるなら、引きずり下ろしてしまえばいいのよ)
「アレクシス様、私、本日はこれで失礼いたします!」
セリーヌはアレクシスへの挨拶もそこそこに、くるりと踵を返す。
「セリーヌ?フェリシアに会っていかないの?王妃教育はいいのかい?」
「え、ええ、ちょっと体調が…。それでは」
「体調が悪いの?大丈夫?」
自分を案じてくれるアレクシスの言葉も聞かず、セリーヌは帰路を急いだ。
「お母様!」
デュプラ邸に帰り着くなり、セリーヌはイヴェットに泣きつく。
「お義姉様が生きていたの!今日王城に、国王陛下に謁見に来て!アレクシス様にも姿を見られたわ!アレクシス様ったら、うっとりとした顔で…!せっかくアレクシス様の婚約者になれたのに!しかも、お義姉様はものすごく美しい従者まで連れていたのよ!いつもお義姉様ばかりがいい思いをして!侯爵家に生まれて、何の苦労もせずに何でも手に入れてきたくせに!──悔しい悔しい悔しい!!やっと消えてくれたと思ったのに!ねえ、お母様、お義姉様をどうにかしてよ!あの従者も、私のものにして欲しいの!」
「まあ、可哀想なセリーヌ。大丈夫よ。お母様が必ずあなたを幸せにしてあげますからね」
イヴェットは我が子を抱きしめ、背中を撫でて宥めた。
騒ぎを聞いたマクシムが自室から飛び出してきて、無邪気に問う。
「セリーヌおねえさま、フェリシアおねえさまにあったの?いいなぁ、ぼくもあいたい。フェリシアおねえさまはどこ?かえってきたの?」
マクシムにとって、いつも面倒を見てくれていたフェリシアは、美しくて優しい大好きな姉。最後にきちんと見送る間もなく隣国に嫁いでしまって、ずっと寂しい思いをしていたのだ。
「いいえ、マクシム。フェリシアはいないのよ。さぁ、お勉強の時間でしょう?」
イヴェットはにっこりと、しかし威圧的で有無を言わせない笑顔をマクシムに向ける。
「えぇー。フェリシアおねえさま、いないの?」
マクシムは慌てて追いかけてきた家庭教師に連れられ、しぶしぶ自室へと戻っていった。
「しっかりと見ていてもらわなくちゃ困るわね。今すぐ暇を出してもいいのよ?」
「は、はい!申し訳ございません!」
家庭教師を恐ろしい形相で睨みつけてその後ろ姿を見送ったイヴェットは、振り向いてセリーヌに微笑む。
「さぁ、セリーヌ。詳しく話を聞かせてちょうだい。お母様に任せておけば大丈夫。すべてうまくいくわ」
その後、王城を辞したフェリシアはまた、所在不明となった。
セリーヌの周りの者も、誰一人フェリシアの居場所を知らないという。一体フェリシアはどこにいるのか、あの従者が仕えている貴族はどの家なのか。陽炎姫の噂は瞬く間に貴族たちの間で話題の的になった。
セリーヌは自身の婚約披露式の話題よりも、フェリシアの話題の方が大いに盛り上がっていることがとにかく気に入らなかったが、アレクシスは変わらずセリーヌを婚約者として扱ってくれているし、専属教師たちも婚約披露式の予定に何の変更もないという。これまで母がセリーヌの希望を叶えてくれなかったことなどなかったのだから、大丈夫だと気を落ち着かせた。
数日後、王妃教育中のセリーヌのもとに、婚約披露式にはフェリシアも出席することが伝えられた。
「フェリシアの目の前で、誰がアレクシス王太子殿下の婚約者なのかをしっかりと見せつけてやりなさい。後のことは心配いらないわ。お母様がきっと、セリーヌの望むものをすべて手に入れてあげますからね」
セリーヌからその話を聞いたイヴェットは、妖しく瞳を輝かせた。
(せっかくここまでのし上がってきたのよ。フェリシアなんかに私たちの邪魔はさせないわ)
真っ赤な口紅を引いた唇をにっと吊り上げる様子は、さながら悪魔のようだった。
──迎えた、アレクシスとセリーヌの婚約披露式の朝。
セリーヌは絢爛豪華なドレスに身を包み、豪奢なアクセサリーで飾り立てている。同じく煌びやかなドレスと宝石を身につけたイヴェットと、正装のクリストフとともに、馬車に乗り込んだ。
「あぁ、遂にアレクシス様の婚約者として、正式にお披露目されるのね!結婚式は1年後でしょう?それまでにもっと美しくならなくちゃ!」
「えぇ、そうねセリーヌ。あなたは私の自慢の娘よ。今日はきっと、皆があなたに見惚れるわ」
喜びを隠しきれない母娘の様子を、クリストフが複雑そうに見つめていた。
婚約披露式が行われる広間では、イヴェットの父レイモン男爵が、他の招待客を相手に得意気に話をしている。
「セリーヌは本当に美しくて聡い娘でしてな。あの陽炎姫が何年もかけて終えた王妃教育を、たったの2年で終えたのですよ。王太子妃になれば、きっとアレクシス王太子殿下を立派にお支えすることでしょう。私も陰ながら支援させていただくつもりです」
セリーヌをアレクシスの元に送り届け会場に入ったイヴェットは、レイモン男爵に気づくと、すぐさま満面の笑みで近づいていった。
「お父様、本日はセリーヌのためにありがとうございます」
「自慢の可愛い孫娘が正式に王太子殿下の婚約者になるんだ。こんなに誇らしいことはない」
満足気に微笑む二人を横目に、相変わらずクリストフの表情は晴れなかった。
その時、会場の外でわぁっと歓声が上がった。
「あれは、陽炎姫じゃないか?」
「おお、ご無事だったと聞いていたが、お目にかかれるとは」
「久しぶりにお見かけしたが、相変わらず惚れ惚れする美しさだな…」
長らく公の場に姿を現すことのなかったフェリシアの登場に、招待客たちが色めく。あっという間にフェリシアの周りに何層もの人の輪ができた。
(今日の主役はセリーヌだというのに。本当にあの子は忌々しい)
その様子を見たイヴェットは、ぎりっと歯軋りをした。
宰相より、婚約の儀式を行う前に、国王陛下から招待客への挨拶があるとの声掛けがあり、国王陛下の御出ましを待つ間、招待客には飲み物が配られた。
広間の隅にいたフェリシアの元にも、シャンパンが配られる。シャンパンにはいい思い出がないフェリシアは、しばしグラスを手に躊躇いを見せた。
久しく表舞台から姿を消していた陽炎姫は、会場に現れた時からずっと注目を浴びている。今日の主役ではないというのに、フェリシアの方が余程注目されることになるとは。痛いほどの視線を感じながら、フェリシアは意を決したようにシャンパンを口に運んだ。
──次の瞬間。
フェリシアがグラスを落とし、その場に崩れ落ちそうになった。
「フェリシア様!」
飛び込んできたあの従者が、フェリシアを抱きとめる。
会場中が騒然とするなか、イヴェットがにやりと恐ろしい笑みを浮かべた。
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