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第三十六節*女王とウェディングドレス

 ドゥンケルタールの城には、王の居室がある本館とは別に物置棟がある。元は来賓の宿泊棟だった物を、使用頻度が低かったため改築したらしい。今はほとんどが書庫や物置になっていて、泊まれる部屋は一部にしか残っていない。カールはこの内の一室を与えられていた。

 その別館にある貸出用のワードローブに明かりがつき、中から賑やかな声がする。直線的にハンガーレールと棚が並べられた室内の一区画。冬用のシャツやズボン、コートなどが置かれた前で、カールたちはラッポニアへ行くための準備をしていた。

「ええか、ラッポニアは北も北、こっちの大陸で一番北部にある国や。そんで今は丁度冬! 喋る息で毛先が凍るし、下手な格好しとったら凍傷にもなる。中に着るもんも、上に着るもんもこっから選ぶんやで。ほら、試着してサイズ合わせえ」

「わぁ、すごい! こんな厚手の服があったんですね。知らなかった…」

「ここにいたら冬服なんて縁が無いもの。私も久しぶりに見たわ。あっ! ねえ、見て見て! これ私が昔縫ったやつよ! 懐かしい!」

「カールさん、ドロシーさん、口ではなく手を動かしてください。荷造りが終わったら出国の手続きがあるんですよ。もたもたしてると置いていきますからね」

「シュピッツ隊長! 防寒具一式揃えました! 隊長の分もこちらに!」

 エメリヒ大臣が突然申し出たカールの派遣依頼。ヴフトはこれを断っていたものの、本人からの強い希望を受け、仕方なく受諾することにした。

 ただし、カールがヒト族であると言うことは伏せたままである。北はかつて獲物種族を奴隷として扱っていた国が多く、今もその名残が強い。不要な危険を避けるため余計なことは伝えず、あくまで一職人の派遣、という形を取った。見た目はペンダントの効果で誤魔化せているので、日常で使う魔法は一緒に行く者たちが補助することになる。

 最も手っ取り早い組み合わせはヴフトがついて行くことなのだが、流石に王が従者のお供をする訳にはいかない。

 結局、依頼に対する人数や役職などを考慮し、カールを含め五人が行くことになった。カール以外のメンバーは外交官のピペトと護衛隊長のシュピッツ。被服に詳しい裁縫師長のドロシー。それに護衛補助として新兵のティム。年齢ではシュピッツが一番上だが、派遣隊の代表は役職が一番上になるピペトが任命された。

 とりあえず五日分ほどの荷物を持ち、後は現地で対応する。エメリヒ大臣の話ではドレスについた汚れが落ちない、という事しか分からず何日の滞在になるのかが不明だった。単なるシミ抜きや洗濯であれば二日もあれば十分だし、特殊な素材で洗い方を研究することになれば一週間以上かかる可能性もある。

 五人は出来る限りの用意をして東大陸最北の国、ラッポニアへと出発した。



『洗濯屋と魔王様』 第四章



 雲一つない晴天から燦燦と陽光が降り注ぐ。それなのに感じられる暖かさは極僅かで、少しでも風が吹こうものなら一瞬にして肌が凍り付きそうだった。辺りはどこもかしこも厚く雪で覆われ、緩やかな斜面の向こうに山が見える。ラッポニア連合王国の南端にほど近いチサ第十一交差点。ドゥンケルタールを出た一行は交差点を利用して一気に移動し、東大陸の北東部に来ていた。

 交差点とはギルドが運営する交通機関のことで、世界各地に転送用の魔法陣を持っている。利用者は決められた金額を支払えば、自分の魔力を使わず遠くへ移動できるという仕組みだ。施設周辺はギルドが雇う傭兵団で中立が保たれ、ここでは種族も地位も関係なかった。貧しい身分でも支払いが足りれば移動が出来るし、どんな富豪でも混み合っているときは待機列に並ばされる。

 順調に十一交差点まで来たカールたちは敷地内にある停車場でラッポニアからの迎えを待っていた。ここから先は派遣承諾の知らせを持って一足先に帰ったエメリヒ大臣が、ソリを手配してくれることになっている。ソリとはたくさんの人や荷物を乗せて運ぶことが出来る雪上の輸送道具だ。

 カールはソリを見たことがなく、車輪のない荷車だと聞いてずっと頭を捻っていた。地面の上を移動するなら、車輪がなければ進めないと考えていたからだ。けれどもその心配は停車場でするすると滑る実際のソリを見て解決された。ここでは地面が厚く雪で覆われているため、車輪があると(かえ)って思うように動けない。その点、滑走用の板が取り付けられたソリは雪面を滞りなく移動していた。

 大勢の人々が集まる停車場で、ティムが目印の旗を掲げて辺りを見回す。

 しらばくすると角の生えた巨大な動物が近付いてきて、その後ろに繋がったソリからアイスハウンド族の兵士が顔を覗かせた。

「失礼。そちら、ドゥンケルタール国からの皆様でしょうか?」

「はい。ラッポニア女王陛下のご依頼を受けて参りました。洗濯長のカール以下四名です」

「大変お待たせいたしました。私は国境警備隊のグスタフと申します。陛下より、皆様を王都へお連れするよう仰せつかっております。ソリを二台ご用意いたしましたので、どうぞ分かれてご乗車ください」

 ティムが受け答えをすると、グスタフと名乗った男はソリを下りて改めて挨拶をした。背は然程高くないが、コートの上からでも鍛えられた体格が見てとれる。黒色のフェルト地に赤や黄色でラインが入った軍服を着、帽子の脇からは下向きに獣耳が垂れていた。

 早速カール、シュピッツ、ドロシーの三人とピペト、ティムの二人に分かれてソリに乗る。ソリは屋根のない箱型で、中に毛皮や毛布が敷き詰められていた。ソリが初体験のカールをシュピッツは念入りに押し込め、絶対に立ち上がらないよう言い含める。帽子は顎の下で留め、襟は立てて口元付近まで覆わせた。

「立てんとは思うけど、走っている間は動いたらあかんで? 落ちるからな。ドロシーもしっかり掴まっときや」

「はあい」

「ソリってそんなに揺れるんですか?」

「いや、走り出したら揺れはそうでもないけど…。このでっかい動物、トナカイ言うんやけどな。こいつ、この図体で馬より早く走るんや。だから落ちても拾えへんで」

「えっ」

 自らは騎手席の隣に座ったシュピッツに脅かされ、カールはぎゅっと荷物を抱きしめた。カールはトナカイを見るのも初めてで、この馬の倍以上もある巨大な生き物がそんな速さで走るとは思っていなかったのだ。ソリから見える後ろ姿は大きな尻と左右に広がる角だけで、猛獣然としている。この獣が馬よりも速く走るとなれば、それに引かれるソリの速度は想像もつかなかった。

 カールとドロシーは大人しく毛布の間に埋まり、出発に備えた。

「では、参ります」

 二台とも準備が整い、トナカイが頭につけた鈴を鳴らして動き出す。ソリが重く滑り始めると、最初の震動でカールの体がぽぽんっと小さく飛び跳ねた。それから停車場を出て軽快に走り出す頃には、シュピッツが言った通り、転げ落ちそうな揺れはなかった。


 白銀の景色があっという間に過ぎて行く。山の谷間が近付き、遠のき、見渡す限りの雪原が現れる。雪原の本当の姿は丘になっているようで、ソリは緩やかに上ったり下ったりを繰り返した。しばらく走ってから冬枯れの森で休憩を取っていると、早くも陽が沈んで辺りは真っ暗になった。

 騎手席の後ろにランプが吊され、トナカイがまた鈴を鳴らして走り出す。

 カールは顔が凍り付きそうになるのを耐えながら、じっと荷台で丸くなっていた。


 普段なら口数の多い二人が大人しく揺られること半日。カールとドロシーは雪原の中に明かりを見つけ、やっと顔を上げた。それまで雪煙を立てて走っていたソリが速度を緩め街に入る。王都ギーナは幾つもの丘に広がる大きな街で、その一際高い土地にラッポニアの城は聳えていた。

 一行はソリに乗ったまま城門をくぐり、しばらく走って屋根のある玄関口に到着した。出迎えの松明が赤々と燃え、門番がさっと駆け寄ってくる。グスタフが話を通すと係が呼ばれ、カールたちは謁見の間に通された。

「わああ……」

 講堂のように広い部屋の一面がステンドグラスで彩られている。その手前に玉座があり、月明かりを受けて虹色の光を背負っていた。天井は美しい弧を描いて見上げるほど高く、そこからシャンデリアがずっしりと垂れ下がっている。柔らかな灯りで照らされた室内は青白い石の壁がぼんやりと輝き、何とも神秘的な雰囲気だった。

 故郷にあった時計塔が丸ごと収まってしまいそうな、そんな巨大な広間をカールは初めて見た。これがほんの一室に過ぎないのだから、城全体の大きさは言うまでもない。暗がりの中到着したせいでよく見えなかったが、きっと外観は山のようだろう。玉座に向かって巨木と見まごう柱が何本も立ち並び、真っ直ぐな紫紺色の道が敷かれていた。

 ピペトが一行の代表として前に立ち、全員が道の中ほどで膝を折って礼をする。

 そこに至ってもまだカールが内装に目を奪われていると、隣にいたドロシーが脇腹を突いて窘めた。

「まずは手厚い歓迎、誠にありがとうございました。ドゥンケルタール国ヴフト陛下の命により、ラッポニア連合王国ツェツィーリア女王陛下の御意向に沿うべく参上いたしました。私は外交官のピペト。後ろに控えますのが洗濯長のカール、裁縫師長のドロシー。護衛のシュピッツとティムでございます。我ら一同、両国の末永い友好的な関係を望み、此度は微力ながらも精一杯お手伝いさせて戴く所存です。どうぞ宜しくお願い申し上げます」

「……はい。遠い所を、苦労掛けました。突然の無理を聞いていただき、ヴフト陛下の寛大な御心に感謝いたします。詳しい要件は明日改めて申し伝えますので、今日はゆっくりとお休みください」

 ピペトの淀みない挨拶に、どこかぎこちない女王の言葉が返される。玉座は従者が掲げる薄絹の向こうに隠されて、影と足元が僅かに見えるだけだった。謁見はこの一言二言だけで終わり、係に促されてその場を辞す。

 廊下に出ると再びグスタフが合流し、今度は宿泊所に向かって案内された。巨大な城を出て、染み入る寒さの中をしばらく歩く。雪道はやや凍っているようでシャクシャクと音がした。点々と設置された松明の先に可愛いゲストハウスがあり、カールたちはそこへ通された。

「皆様、長旅お疲れ様でした。こちらが滞在中にご使用いただくお部屋になります。一階はこの広間と風呂場、手洗い。二階に寝室が三部屋ございます。玄関の鍵は人数分あります。呼び鈴を鳴らしていただければ使用人が参りますので、お困り事の際はお呼びつけください」

「ご丁寧にありがとうございます。お世話になります」

 大きい長方形のテーブルが中央に置かれた室内は、過ごしやすいように十分暖められていた。家全体に暖房が入っているようで、続く風呂場や二階の廊下、部屋の隅でも寒さを感じない。また城にあった物よりはずっと小さいが、美しいシャンデリアとランプが明るく灯っている。寝室は一部屋につき二台ずつベッドが置かれ、見るからに寝心地が良さそうだった。


 カールたちが荷解きをしていると、広間のテーブルに食事が整えられた。日没してからもうだいぶ時間が経つが、今がちょうど夕食時らしい。冬場は日照時間が極端に短く、一日に五時間程度しか太陽が見えないという話だった。食事中の給仕は断り五人だけで席に着く。やっと気楽な服装に着替えられ、一同はふうっと息をついた。

 あつあつのシチューが(はらわた)に染み渡り、体の内から温まる。数種類ずつ出されたハムとチーズはパンに挟んで食べた。酢漬けの野菜も一緒に入れるとアクセントになって美味しい。ドゥンケルタールで食べる物よりも全体的に塩気が強く、ビールがよく進んだ。

 寒さが消えるとカールとドロシーはいつもの調子を取り戻し、賑やかに喋り出した。

「もう、俺びっくりしましたよ! 部屋っていうか、家丸ごとじゃないですか! 本当にここ借りて良いんです? お金持ちになった気分ですよ。きれいだし、暖かいし、このまま住み着きたいぐらい…」

「ホント、暖かいって素敵よね! ソリで走ってるときは顔が凍って割れちゃうかと思ったわ。でもここなら作業が長引いても全然平気! お風呂までついていて最っ高!」

「ベッドも大きいし、ふかふかだし。タオルも手触り良いんですよね。この辺りの洗濯ってどうやるんだろう? こんなに寒いとお湯も直ぐ冷めちゃいそうだなあ」

「そうね。明日は例のドレスが見られるんだし、そのときに聞いてみたら? どんなふうに洗うのかって」

「え? ああ、そうですね…。係の人も来るのかな。会えれば聞いてみたいけど……」

 雑談からふと本題に切り替わった途端、カールの手がぴたりと止まった。

 何やら曇った表情を見せ、小さな口でデザートを食べる。

「どうしたのよ? 反応悪いじゃない。ヴフト様に啖呵切って洗いに来たドレスでしょ? 楽しみなんじゃないの?」

「いや、それは………そうなんですけど…」

 歯切れの悪い様子をドロシーが野次ってみたが、返ってくる言葉にも勢いがなかった。それどころか徐々にケーキを切る手が鈍くなり、やがてフォークが手を離れた。

「なんや? ソリで具合でも悪うなったか?」

 これにはシュピッツやピペトも首を傾ける。

 するとカールは小さくため息をついてから真情を吐露し始めた。

「いや、具合は別に…。大丈夫です。でも、今更どきどきしてきたと言うか、不安になってきたと言うか。エメリヒ大臣から話を聞いたときには、行かなきゃって思いで頭がいっぱいだったんですけど。俺、こんな形で仕事をするの初めてで。しかも来てみたら凄い厚遇で……。上手く洗えなかったらどうしよう、とか、思ってきたりして…」

 カールの口から食べ残しのようにぽつぽつと零れた弱音は何とも初々しかった。

 故郷で洗濯屋を手伝っていた頃は、店に持ち込まれる物を洗うだけだった。どこかに出向いて洗ったり、招かれて洗ったりと言う経験はない。ヴフトに連れられ魔国に来てからも、洗濯物が持ち込まれるか、引取りに行くかの違いぐらいで、あまり差はなかった。唯一、国の端で隠居している二代目魔王タピオの所へ出向くことがあったが、これは遊びに行く感覚であって仕事ではなかった。

 もちろん、一着のために他国へ来たことを悔いているのではない。彼は大切な服をきれいにしたいと言われれば、どこへでも駆けつけてしまう様な男である。ただそのために派遣団が組まれたり、ゲストハウスが用意されたり、と言うことは考えたこともなかった。自分の技術にそれなりの自信はあっても、こうも扱いが大きいと気が引ける。依頼人の期待にちゃんと応えられるのか、今更ながら怖くなったのだ。 

「あら意外! カールさんっていつも楽しさの方が上回っている人かと思ったわ。ま、でもそうよね。初めての派遣先が女王様のところじゃね。しかも今回は報酬に加えて旅費、滞在費、材料費、全部向こう持ちなんでしょ? こんな破格の派遣、私でも緊張するわ~」

「えっ」

 ドロシーはカールの立場を自分に置き換えて考え、思わず苦笑した。カールは城で務め初めてから三年経ったとはいえ、まだ未経験のことが多い。年齢的にも若く、初めての出来事に狼狽えるのも仕方なかった。それでも懸命に向き合おうとする姿に、ドロシーは応援したい気持ちと弄りたい気持ちが入り混じる。意地悪な先輩心が後者を選んで派遣内容を確認してやると、カールの顔からさっと血の気が引いた。

「事前に説明したじゃないですか…。今回の費用はすべてラッポニアから出ます。明日、ドレスの様子を見て足りない材料があれば私に言ってください。こちらで調達してもらいますので」

「……はい…」

 そんな二人の遣り取りにピペトからため息が漏れる。念のため要点を繰り返し伝えるも、カールの心は既に宙を彷徨っていた。


***


 一晩明け、目覚ましとシュピッツに起こされたカールは冷たい水で顔を洗い気合を入れた。昨晩は結局皿にケーキを残したまま席を立ってしまったが、今朝は食事をきれいに平らげた。派遣の制服をビシッと着込み、左胸に国章のバッジを輝かせる。

 出来るだけの用意を持って玄関口に立つと、ドロシーがコートを手渡してくれた。

「いい顔してるじゃない。寝たら吹っ切れた?」

「えへへ…、そんなすっきりした感じじゃないですけどね。でも期待とか報酬とか難しいことを考えるより、ドレスをきれいにする方法を考えようって。俺に出来ることをやろうって思って。だから、俺、精一杯頑張ります!」

 カールはぐっと深くコートを着込みながら決心を顔に見せた。

 それがまたドロシーの先輩心をくすぐって、彼女はバシッと頼もしい背中を叩いた。

「えらいっ! そうよ、やれる事を一生懸命やるのが一番大事! 大丈夫、大丈夫。ドレスの生地や仕立ては私が見てあげるし、難しい話は全部ピペトさんがやってくれるんだから。カールさんはカールさんの得意なことを、ね!」

 強めの活を入れられカールの体がぴょんと弾む。

 二人がじゃれ合う間にピペトたちも用意が整い、全員で外に出た。空はまだ紺の深い夜明けのような色合いで、太陽の光が僅かに差すだけだ。呼吸をすると澄んだ空気がひやりと肺に染み渡り、何とも心地が良い。

 昨夜は全貌が見えなかったラッポニアの城は、やはり空に届くかと思うほど巨大だった。その高い塔を見た後に、手前にある二階建ての家屋を見るとこちらが玩具のように思えてくる。槍のように尖った屋根と崖のような本体にカールは圧倒され、歩いて移動する間中ずっと城を見上げていた。遠くからは屋根に積もった雪が燦めいて美しかったが、近付くと壁一面に施された彫刻の美しさが際立った。

 入口で門番に要件を告げ、再び中へ入れてもらう。

 ドレスを洗いに行くのはカールとドロシー、シュピッツの三人で、ピペトはティムを連れて会議に向かった。


 係に案内され、カールたちは昨日とは別の小さな客間に入った。中は窓からの陽光とシャンデリアで明るく、少しだけひんやりとしていた。可憐なテーブルセットが一組あり、壁には姿見と絵画が掛けられている。

 その大きな鏡の前に、目的の物と思われるドレスがトルソーに着せられあった。

「わあ……」

「素敵っ!」

「見事やなあ…」

 光を宝石のように纏うそれを見た瞬間、三人はそれぞれ感動の声を上げた。

 ほっそりと窄まった首元から流れるように延びた袖。リボンやフリルといった装飾は一切なく、ただ体のラインが美しく見えるように作られたレースの身頃(みごろ)。腰から下には後ろへ引きずるための長くふんわりとしたスカート。襟元から裾先まで余すところなく気品を漂わせる仕上がりで、それが静かに光輝を放っていた。

 三人は部屋に入って数歩のところでドレスに見とれ、しばらくその場に突っ立っていた。そこへドアを叩く音がして女王の到着が告げられる。シュピッツは急いで二人を部屋の奥へ引っ込め、片膝をついて城主を迎えた。

 係がしずしずと扉を開け、その後ろからやはり薄絹で顔を覆った女王が入ってくる。女王が入室し、一人の従者を残し他が退出すると、彼女はやっとベールを取った。

「ふう…、御機嫌よう皆様。昨晩はゆっくりお休みになら……な…、なれましたでしょうか? こちらにあるのが、洗濯を依頼したい例のウェディングドレスです。どうぞお近付きになって状態を見、お確かめください……」

 女王は犬のように口先が長く、ぴんっと立った耳をしていた。クルミ型の目に長いまつげと、揺れる耳飾りが特徴的である。昨日も感じた慣れない口ぶりでドレスを指し示し、カールたちに汚れの確認を促した。

「…ねえ、婆や、これまだ続けないと駄目?」

「お客人様の前ですよっ。ほら、こっちを向かないで頑張ってください!」

「でもぉ……」

 全員でドレスの前に移動したものの、後ろから小さな会話が聞こえてくる。ドロシーとシュピッツはそれが気になり耳をそばだてていたが、カールはドレスを見るなり直ぐにシミを見つけ、状況を確認し始めた。

 真っ白なスカート部分についたシミは薄らと黄ばんでいた。

「すみません。これは、何を付けてしまったのか覚えていらっしゃいますか?」

「え? ああ……じゃない、ええと、それは香水が付いてしまったの」

「なるほど、それで。大丈夫ですよ。香水ならきっときれいに落ちます」

「えっ? 本当?」

「はい。道具が足りないので少しお時間いただきますが、香水のシミは何度も…」

「ありがとう! 良かったわ。古くさい型だけどお母様の形見だし心配だったのよ! でもちょっと待って。今ドレスがきれいになったら結婚相手があの男になっちゃうわ。洗うのはもう少し待って! ね? 洗えるなら、いつでもいいでしょ?」

 女王から汚れの詳細を聞き、カールは直ぐに頷いて明るい返事をした。香水のシミなら何度も経験があったからだ。

 香り付けや臭い消しで親しまれるこの化粧品の汚れは、実家を手伝っていた頃から馴染みがあった。液体だが中に油分が含まれているため、布などに付着すると乾いた後でシミが残る。これは普通に石けんで洗ってもなかなか落ちないので、困った持ち主が店に持ち込むことが多かった。当然、カールは落とし方を知っている。あまり使うことのない薬品なので持ち合わせがなかったが、ピペトに言えば調達してもらえるだろう。

 カールはそう思い色よい返事をしたつもりだった。

 だがそれを女王本人に止められたのである。

「姫様ッ! 言葉使い! それにその件はっ……」

 急に勢いづいてカールの手を握った女王は、随分と砕けた口調になっていた。今までの躓いた慣れない感じがなく、おそらくこれが素であろう。それを従者がきつく窘めたが本人は構わずに続けた。

「いいえ、譲らないわ、婆や! これがきっと最後のチャンスだもの! ねえ、カールさんお願い! 私、自分の好きな人と結婚したいの! ドレスが汚れちゃったのは偶々だけど、きっと運が味方したんだわ。彼は役務から帰ってきたし、シミはアナタが落としてくれる! だから私が告白を成功させるまで洗うのを待って欲しいの! お願いッ!」

「え……、ええっ?」

 ぐっと掴まれた手に熱が籠もる。

 カールは強い獣の目で見つめられて、どこへ助けを求めれば良いのか分からなかった。




2019/8/31

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