贅沢は500円で買える
まあ、もちろん100円でも、やりようによってはタダでも可能なんですけどね。
今日、そう感じさせてくれた、面白いことがありました。
ある映画を観に行ったんですが、それは「なぜ生きる」というタイトルの、とても大きな疑問に答えてくれる物語です。
僕は地元紙をとっていて、その原作本が何度も何度も(本当にしつこいぐらい)新聞広告に載っており、
「シリーズ累計、100万部突破!」
「えっ? あれだけ宣伝しといて、まだ100万部なの!?」
というように内容が気になってたんで、その上映がわが田舎町の公民館で決まり、喜び勇んで出かけてきましたよ。
都会に住んでる方はあんまり経験がないかもしれませんが、田舎町だと映画はすごい公開のされ方をする場合があるんです。
前年度アカデミー賞作品が、町立ホールで無料(だったと思う。人権問題の補助金かなにかで賄ってる?)とか、わりと話題になった映画が賞味期限が切れてるせいか、格安でとか。
税金を、町民へうまく還元できていない表れかもしれないんですけどね……
そんな中で、今回は蓮如上人とその弟子の生涯を描いた「なぜ生きる」が500円で上映されました。
会議室みたいな所だったんですけどね。
来場した客は20人くらいで、ほとんどが仕事を引退されたような方でした。
入室したとたん、いきなりアンケートを渡されて、映画の感想を書くように言われ、席につきました。
「どうぞ」
とお茶を側にあったテーブルに置かれ、まずびっくりです。
そこで、名前や住所なんかを記入して、あとは上映開始を待ってたんですが、時間ギリギリに入ってこられた方が、なかなかキリッとした男性だったんですよね。
いかにも丁寧で几帳面そうな、感じのよさそうな方です。
それで面白かったのが、その男性は映画が始まってすぐ寝ちゃったんですよね。
メインキャラの蓮如上人が出てきてもないのに。
弟子の苛烈な死を描く話でもあるので、どちらかと言えば主人公は弟子の方だと思うんですが、それにしても寝に来る映画を完全に間違えてるんですよ!
「生きることはこれほどに苦しい」「どうやれば人は幸福になれる?」「そもそも幸福とは? 私たちはなぜ生きているのだ!?」
という人間の根源に迫るような問いに答えてくれる映画なんですが、そういう内容の冒頭でいきなり寝始めるられる人が、よくこのタイトルに反応して来ようと思ったなあ、と呆れたんですね。
そして、昔ならいくらか軽蔑していたかもしれません。
「俺は必死になって辛いことを克服しようとしたり、地を這うような思いで小説のネタを探しているのに、なんだこのオッサンは」と。
でもまあ、今はそんな風に思えなかったんですね。
それよりも、素直にうらやましいと感じてしまいました。
こっちが死に物狂いで(は言い過ぎかもしれませんが)何かを得ようと観ている作品を、その男性は、同じようにお金を払って右から左へと垂れ流すように欠伸をしてるんです。
ひょっとしたら、もう人生で学びたいことなど特になく、最高に贅沢な日々を送っておられるのかもしれません。
物語の内容自体は、”けっこう良い”と”すごく良い”の中間くらいだったと思うんですが、何よりその、蓮如上人? 誰これ? というくらいまでは寝てたおじさんが面白すぎて、起きた後もずっと気になってました。
その人がどうストーリーを繋げたのか、空白の数十分について質問してみたかったですね。
あと、最後にもう一つびっくりさせられたのが、その上映会はどうやら商売色(出版関係の)ーーもしくは宗教色が強い催しだったようなんです。
僕はいくつも宗教を渡り歩いてきたし、その手のものには大抵すぐ馴染めるんですが、お茶が出てきた時点で驚いてしまって、最後に映画のサブタイトルにもなった『吉崎』焙煎コーヒーが出てきて、「これは500円で申しわけない」という気になりました。
部屋の端で売られていた本もサントラも買わなかったし、赤字にも黒字にもならない客だったと思います。
でもまあ、すぐに帰った人もいる中で、賑やかし会話要員としての役割は果たしましたので、悪人にはならなかったと信じています。
ああいうイベントにはよく、すごい上品なマダムがおられて、あとその他の女性の方と、コーヒーを飲みながら話を受け答えすることができました。
でも、やっぱり最高に贅沢な時間を味わった人は、なぜ生きる? の問いをBGM代わりに舟をこいでいた、すぐ帰ってしまったおじさんだったと思います。
あなたに完敗。
うまく書き入れることができなかったですが、苦しみに満ちた世をなぜ生きるかの答えは、「絶対の幸福をふだんから感じられるようになるため」でした。
浄土真宗において、(仏法において、かな)『平生業成』と言うらしいです。
般若心経にも通ずる、目の前の一見大切に見えることはすべて我執の思い込みである。自由は、救いは、そして幸福はすでに誰にでも用意されている。阿弥陀如来様より、はるか昔に与えられていたその事実に気付きを得られるような、ちょっとそこまでは迫るものはなかったような、学びの多い作品だったと思います。