89話
あれから新年が明けて10日が過ぎた。
去年の春辺りにシンディー様に依頼した魔導具は今も肌見離さず身につけている。トーマス兄貴やラウルも同じようにしているとはシェリアやスズコ様から聞いた。
ちなみにアリシアーナの件だが。あれから進展があり、親父が教えてくれた。何でも彼女は孤児院にいたらしい。それをジュリアスの部下達が見つけた。すぐに院長に金銭を幾らか支払った上でアリシアーナの身柄はセリエス公爵邸に引き取られる。現在はメイド見習いとしてマナーなどを教えている真っ最中だと聞いた。俺はそれをなんとはなしに思い出す。
「……殿下。ソファーの上で寝っ転がるなんて。だらしがないですよ」
「ん。クォンか」
「はい。ちょっとお知らせしたい事があったので来ました」
クォンはきちんと騎士の礼をしてから俺に目配せをする。すぐに頷いて防音兼侵入者阻害の結界を張った。意外とこれを使うと魔力消費が激しいんだが。仕方がないと思っている。クォンとの話を誰かに聞かれても面倒だしな。
「さて。防音と侵入者避けの結界は張っておいたぞ。で、どうしたんだ?」
「……ああ。ちょっとアリシアーナの事で報告がある」
「ふむ。報告か。教えてくれ」
「どうやら。アリシアーナには前世の記憶があるらしい。しかも殿下と似たような感じのな」
「それは本当か?!」
俺が前のめりになって言うと。クォンは片方の口端を上げた。ニヤリと言うのがピッタリな笑い方だ。
「……面白くなってきたな。アリシアーナが殿下をシェリアお嬢から奪うのか」
「他人事みたいに言いやがる」
「まあ。実際に俺にとっては他人事だしな」
クォンはそう言ったら表情を消した。冷たい目で俺を見る。
「……殿下。俺はジュリアスさんに恩義があるからあんたにも仕えている。もしあの人がいなかったら。この国の騎士見習いもやっていなかっただろうな」
「そうか。なら。あんたは俺に仕えるのは嫌だったのか?」
「そんな事はないけどな。殿下の事は手のかかる弟みたいには思っているが」
クォンは苦笑いしながら言う。俺はひとまずほっと胸を撫で下ろす。奴が俺を嫌っていないのがわかったからだ。
「……じゃあ。今後もシェリアを見守るのを続けてほしい。一応、アリシアーナを監視しているとはいえ。
いつ何時に何が起こるかわからないしな」
「はいよ。まあ。お嬢を見守るのもやぶさかではないし」
「そうか。頼むぜ」
そう言ったらクォンはニカッと笑った。頭を乱暴に撫でられたのだった。
翌日に俺はシェリアと2人でゆっくりとお茶を飲みながら談笑していた。俺がストレートティーなのに対してシェリアはレモンティーだ。もう果実水でなくても大丈夫にはなった。
「……エリック様。今日は寒いですね」
「ああ。そうだな」
「以前に頂いたショール、大事に使わせて頂いています」
シェリアはにっこりと笑いながらお茶を口に含む。俺もお茶菓子を摘みながらも頷いた。
「そうか。気に入ってもらえたようで何よりだよ」
「ええ。それはそうと。クォンさんだったかしら。わたくしが王宮へ来た際に声をかけられましたの」
「……クォンが?」
シェリアは頷いた。あいつ、いつの間に彼女に声をかけたんだ。油断も隙もないな。
「はい。フォルド国ではあまり見ない色合いの方でしたわね」
「まあ、それはそうだな。で。クォンはなんて言ってたんだ?」
「確か。『お嬢、あんたは狙われているぜ。気をつけろよ』と小声で言われました。頷いてはおきましたけど」
シェリアは真面目な表情で言った。どうやら忠告のために声をかけたらしい。秘かに胸を撫でおろしたのだった。
お茶の時間はつつがなく終わった。シェリアは邸に帰ると言うので停車場まで送る。
「……シェリア。父上や母上に許可をもらってからになるけど。秋頃になったら一緒に離宮へ行かないか?」
「まあ。よろしいのですか?」
「ああ。一応、護衛は連れて行くが」
頷きながらシェリアに近づく。右側の頬を軽く撫でた。
「……そうですか。わたくしも連れて行って頂けるのですね」
「うん。たまには一緒に羽根を伸ばしたいと思ってな」
「わかりました。両親に許可をもらってきますわ」
シェリアは嬉しそうに笑う。ゆっくりと寒空の下、歩いたのだった。
フィーラ公爵家の馬車までたどり着くと。御者がタラップを用意したりと動く。準備が整うと扉が開かれた。シェリアはタラップを上がろうとする。俺は片手を差し出してエスコートをした。
「それでは。秋を楽しみにしていますわ」
「ああ。まあ、まだまだ先だけどな」
「そうですけど。わたくしは嬉しいです」
素直にシェリアは言う。手を離すとタラップが仕舞い込まれ、扉が閉められた。御者が馬車の前方にある台に乗り手綱を持つ。俺は馬車から離れた。ガラガラと車輪が動き出して馬車は出発する。窓越しにシェリアが手を振った。俺も振り返しながら見送る。空が曇ってきだしてチラチラと雪が降り始めた。ブルリと震え上がりながらもコートをかき合せたのだった。




