65話
俺は翌日もシェリアちゃんが心配だった。
朝食を済ませた後、シェリアちゃんが俺の元にやってきた。ちょっと思いつめた表情だ。
「……エリック様」
「ん。どうしたんだ?」
シェリアちゃんは俺の名前を呼ぶ。そして頭を下げた。いきなりの事に俺は驚いてしまう。
「一昨日は本当にごめんなさい。わたくし、いい足手まといでしたわね」
「そんな事はないよ。シェリアちゃんはよくやっている方だって」
「……本当でしょうか?」
俺の言葉にシェリアちゃんは不安げに顔をしかめた。
「……本当だって。仕方ない。シェリアちゃんがブリザードレックスとかを怖がらないように一つおまじないを教えとくよ」
「おまじないですか?」
「うん。まずは手を広げてみな」
シェリアちゃんに手のひらを表に向けるように身振りで促す。言われたようにしてくれたので説明を続けた。
「そいで。手のひらに人っていう字を書く。すぐにその字をパクッて飲み込むマネをするんだ」
「……人ですか?」
「あ。悪い。人っていうのは……」
俺は地面にしゃがみ込むとその辺にあった木の棒を拾う。それを使って漢字の人を書いてみた。
「……これが『人』っていう字だ。俺の前世の矢恵さんの故郷で使われている漢字という字の内の一つでな」
「まあ。東方諸島の字に似ていますね」
「ああ。日本では漢字にカタカナ、平仮名を使っているんだ。東方諸島も似たような字を用いているようだな」
一通り説明するとシェリアちゃんは目を輝かせた。こういう歴史的な事には興味があるようだ。けど俺は外でしかも魔獣狩りの途中なのを思い出す。
「……それよりも。漢字の事は置いといて。人の字を手のひらに書いたら飲み込んでみな。これでおまじないは完了だ」
「わかりました」
シェリアちゃんは頷くと手のひらにもう片方の人差し指で『人』の字を書いた。すぐに手のひらを口に近づけてパクンと飲み込む真似をする。
「……できましたわ。これでいいんですの?」
「うん。上出来だ」
「……わざわざ教えていただいてありがとうございます。早速、後でもう一回使ってみますわ」
にこりとシェリアちゃんは笑う。7歳になってもやっぱり可愛い。ちょっと萌え〜というオタク系の人々の気持ちがわかった。……ような気がしたが。
「……エリック様?」
「いや。何でもない」
首を横に振った。怪訝な顔をされたが。誤魔化しきったのだった。
その後、おまじないを覚えたシェリアちゃんはバッサバッサと敵を月光剣で倒していく。イェルクの森を進み始めて4日目にして奥に入る事に成功していた。
が、奥に入るにつれて魔獣のレベルも段違いだ。少しずつ、皆の気力体力は削がれつつある。
「……エリック様。最深部までは後3日程はかかるそうですわ」
「だろうな。シェリアちゃんは大丈夫か?」
「今のところは。けど気をつけますわ」
シェリアちゃんが真面目な顔で言う。俺は皆の目があるので彼女の手を握った。小さくて柔らかな手だ。せめてシェリアちゃんが成人するまでは守らないと。その思いを込めて握る。
「エリック様。どうかしましたか?」
「……シェリアちゃん。いや、シェリア。俺に君を守らせてくれないか?」
「……え。わたくしをですか?」
「ああ。せめて君が無事に大人になるまでは。それまでは俺が父君や兄君と共に守るよ」
「……まあ。そうですか。なんだか、夢のようですわ」
シェリアちゃん――シェリアはそう言うと泣き笑いの表情になった。はらはらと涙を流す。俺は気がついたらそっと抱きしめていた。
「やっと。わたくしの事を呼んでくださいましたわね」
「……そうか?」
「ええ。今まではずっとちゃん付けでしたもの」
俺は親指でシェリアの涙を拭ってやる。彼女はそれすら嬉しそうだ。
「……エリック様。わたくしもあなたをお守りしますわ。月の聖女として。婚約者として」
「ありがとう。けど無茶は禁物だからな」
そう言ってシェリアの額にキスをした。が、後ろから冷たい空気が流れてきてビクリと身体が強張る。
「……エリック殿下。何をしておいでなのですか?」
「……その声は。フィーラ公爵か」
ちっと舌打ちをした。邪魔が入ったか。仕方ないのでシェリアを離した。
「……シェリア。殿下には無闇やたらと近づくな」
「父様?!」
「さ。向こうへ行こう。母様と兄様が待っているぞ」
そう言うと公爵はシェリアを連れて向こうへ行ってしまう。ちぇっ。惜しかったな。もう少しでキスができたのによ。
「……エリック。お前は……」
「お、親父!?」
「来なさい。ちょっと注意をしたいんでな」
親父――アルフレッド王はそう言うと俺の首根っこを掴んだ。猫の子のように引きずられていったのだった。
……俺は親父から懇懇とお説教をされた。まず、未婚の令嬢に手を出しかけるとは何事だとか公衆の面前で何しているとか。いや、俺は額に軽くキスをしただけだぞ。
こんなに注意をされるのは理不尽だ。内心ではそう思っていたが。黙っておいた。余計に叱られるのは目に見えていたからだ。俺はふうとため息をついたのだった。




