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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

椿に落ちる

作者: 朝芽龍夜

動物の臭いが鼻につく、そんな場所だった。

近くに畜産舎でもあるのか、なんだか落ち着かない場所が、私の新居の立地だった。

まだ春というには寒さの抜けない、そんな日だというのにこれだけ臭っていたら、夏の蒸し暑さの日には窓なんか絶対に開けられないと思った。いや、冷房の風すらもいやな臭いかもしれない。

どうしてこんな所にきてしまったのかとか考えても、四月の進学に合わせて私は一人暮らしを選んだ。わざわざ住み慣れた都会を離れてきたのはひとえに、家からだと通えない、ただそれだけだった。あとはここの地域が安いから、そしてそれなりにスーパーがあるから位のものだろうか。

別に私は料理なんかできないから、正直外食ばかりになるだろうな、いや、外食にしたいなと思っていた。でも、お金の都合でそんなことはさせてもらえないだろうな。だから、いっそ日に一食でもいいか、と思っていたところではある。

とはいえ、引っ越してきた初日からカップラーメンは嫌だった。

どうせこれからずっとカップラーメンとはお友達になるのだ、初日くらいいいものを食べたってバチは当たらないはず。自分にそう言い聞かせ、散策がてら外食に行くことにした。


寒い風に乗って獣の臭いが私を包んだ。


結局その日の夕飯はラーメンになった。しかも安いやつ。理由はいたって簡単で、ただ単にファミレスも何もなかったからだ。駅から徒歩15分、確かに駅まで行けば二、三軒はあった。とはいえ、駅周辺はすでにもう見てるのだ。散策なのにわざわざ駅を見に行くのは正直なんだかもったいなく思った。その結果がこれだ。

何もない。本当に何もなかった。

いや、訂正。確かにスーパーはあった。コンビニも一軒あった。あとは煙草屋が一軒。それで私にどうしろと。タバコは吸わない、いや閉まってたけど。スーパーはそもそもこの時間だ、終わってる。コンビニはこれからお世話になるだろうけども、何で初日からコンビニ飯と仲良ししなければいけないのだ。そうなれば必然的に選択肢は一つ…

しかもラーメンは脂っこかった。二度と行かない。

こんな立地を選んだ自分に対して苛立ちながら、寒さに打ちひしがれつつ帰路を急ぐ。

絶対引っ越してやる、などと思っても契約は一年契約、途中で解除したらお金がかかる。絶対許されないな、なんて思う。

そう意識散漫に歩いていたら、何か物に躓いた。

前を見てなかった私がいけないのだ。それはわかってる。けど、ここに物を放置したやつが悪い。

散漫な意識から足音を確認すれば、なんだか柔らかいもの。いや、柔らかいというには少し語弊がある。そう、躓いた瞬間にも思った、物とも言い難い感触。

人間が倒れていた。

倒れてる人間を私は知らずとは言え蹴り飛ばしたのか!

罪悪感から慌てて確認をした。正直、関わりたくなんかなかった。

けど蹴り飛ばした手前、放置するわけにもいかない。

「大丈夫ですか?」

声をかけながら頭の方に行く。てゆか、私が蹴り飛ばしたのは足だったのか、なら放置でもよかったかもしれないなんて囁く。

服装や体格から、どう見ても男性。このまま家とかまでついてこられないといいな、なんて薄情なことを思って、どうせなら救急車呼んで終わりとかのが楽だな、と思ったのは認める。だからって、これはない。

「きゃあああああああああああああああああああああああああああああ」

何で叫ばないでいられると思った。

いや、こんな人通りも人気も民家もない畑に囲まれたような大通りで叫んだってなんの効果もないだろう。わかってる。けど、叫ばないでなんかいられない。何でこんな目に合わなきゃならないのか。

聞いてみたい、あなたは目の前に首のない死体を発見して正気でいられますか、と。こんなことを呑気に思っている私自身が比較的正気なのだとは理解しているつもりだ。だからこそ言わせてほしい。

ふざけんな。

なんで何にもないところに引っ越してきたその日のうちに、ちょっと散策ついでに美味しくもないラーメンを食べて帰ってきたら、その途中の帰路で首なし死体とエンカウントしなくてはいけないのか。これがクトゥルフTRPGだったらここでキーパーの「死体発見。SAN値チェック入ります」っていうセリフが聞こえてくるところだ。やったことないけど。

これだけ考えられるから多分私は正気。そう思いなおして、周囲を見回してこの人物の物らしき首も、犯人らしき人影も、どころか人っ子一人の人影もなかったけど、ないことを確認して、携帯の充電残量がまだ十分に残っていることも確認した上で、警察に電話を掛けた。

冷静な私の行動を褒めてほしい。そう思ったって褒めてくれる人はいないどころかどうせ第一発見者の私は容疑者候補ナンバーワンだろうな。

ああ、閉め切った部屋で動物の臭いを嗅がずに睡眠をとりたかった。そう思ったって、ここの場所も状況もすべて通知設定で警察に通報した後だ。どう頑張っても最低15分は来るまでここで待ち、きた後も一時間は拘束されるだろう。憂鬱が私の脳裏を包み込む。

十五分、私は怪しまれない程度に周囲を確認した。

それくらい、許されると思って。幸い、充電残量もまだ半分はある。珍しくラインもツイッターもせずにいたおかげだ。

ライトで死体を照らせば生々しく首から上はなく、血まみれだった。

見なきゃよかった。

そんなこと思ったって後の祭り、見ちゃったもんは仕方ない。しばらくは肉も魚も食べたくないと思うけど、好奇心が勝った。

切り口はぎざぎざで、多分のこぎりか何かを使ったのだろう。出血は首が多いけど、腹の方からも出血が見られる。

残っている部分の長さは多分160センチくらい、私の身長より少し大きいかと思われる。

多分これはおじさんの死体。身体が脂肪に包まれているし、大学生とかにしたら服装が農家すぎる。いや、農業学生の可能性もあるけど、多分違う。

周囲を見渡せば、あるのは畑とまばらにつく街灯、車の通らない幹線道路だけだった。

よくこんな大通りで人殺しなんかしようと思ったな、が第一印象。十五分たって警察がやってくるまで、一台も車が通らなかったことで認識を改めた。

ここは、人殺しに向いている。


予想通りというか、想定内というか、来た警察に私の正気は相当疑われ、第一の容疑者扱いをされた。

まあ、気持ちはわかる。私も少しやらかした。

パトカーが来た瞬間に、気づかずにライトで死体を照らしてたのだ。そりゃ、ごく一般的な女子大生、間違えた、私まだ高校生だ、はそんな冷静に警察に通報もしないだろうし、見つけた首なし死体をライトで照らして詳しく見たりしない。

でも、気になっちゃったものは仕方がない。

威圧的に質問を矢継ぎ早に投げかけてくる刑事たちに表面上はしおらしく対応する。いや、怖いんだけどさ。

まだいたいけな高校生にそんな威圧的に事情聴かなくたっていいじゃんね。一応私、単なる第一発見者なんだけど。

そもそも今日引っ越してきたばかりの私に土地勘も被害者との繋がりも当然あるわけなく、無罪放免となったわけだけれども、快楽殺人は疑われた。それについても私が凶器ももたず、血痕などの証拠的痕跡もなかったため一応放免された。

こんな寒空の下に私はすでに一時間以上棒立ちなわけで、正直寒い。体中冷え切ってる。まだしばらくは帰してもらえないかもしれないな、って思いながら聞き耳を立てる。携帯もまともに使わせてもらえない、というか電池残量やばすぎて使えないが正しいわけだけども、そんな状態でできることなんて限られてるわけで。

「いつものか?」

「模倣犯じゃないか?」

「花がないしな」

そんな会話が聞こえてきた。そりゃ、私が疑われながらも無罪放免にすることに抵抗がないわけだ。

多分、この地域で首のない死体が見つかるのは初めてじゃない。しかも、何件か起きていて、それら全部に花が置かれてる。だから今回のは模倣犯、ってわけか。

てゆか、そんな猟奇事件全国ニュースで流してよ。知ってたらこんなところに引っ越してこなかったし進学先別のところにしたわ。

一応私がまだ法律上は高校生ということで、どうにかまた話を聞くかも、という一言を添えて帰宅していいことになった。というか、一応家まで警官ついてきた。正直そっちのが怖かったとは言えないよね。

寒かったから家帰った瞬間に風呂張った。温かかった。浸かりながらもう今日のことは忘れようと決意した。二度目があるわけはないし。

思考力の低下を如実に感じながら寝ることにした。


一週間、本当に何もなかった。

本当によかった。二度目とか勘弁してほしいわー、って思ってたからよかった。語彙力が貧困。

私が見つけた首なし死体についてのニュースはテレビから流れ、報道された。やっぱり、連続殺人の可能性も視野に入れて、って言っていたから、いくつか事件が起きてるのもわかった。わかってどうするって話はこの際置いておく。

私が耳に挟んだ“花”という単語についての言及はなかった。多分、それが報道規制なんだろうな、まで思ったらそれを聞いてしまった私はもし次に同じ死体を見つけた時に容疑者になるな……って、なんで次があることを前提に考えてるんだ……

馬鹿だな。次なんてあるわけがない。フラグじゃないから。こんなフラグいらないから。

それでもいやな予感はどうしてもあった。

考えないようにするしかなかった。


そのまま何日か経った。

今日はまた動物の臭いがきつい日だった。

窓を開けた瞬間に部屋の中に入ってきた動物の臭いに吐き気を催し、慌てて閉めるも時すでに遅く、なんとなく部屋が動物の臭いに汚染されたような気がした。

本当はあまりお金を使いたくなかった。それでも、どうしてもこの家に、この地域にはいたくなかった。

気休めにマスクをしたくともマスクなんか実家から持ってきてない。帰りに買うしかないな、と思いながら充満する動物の臭いの中を駅に向かって歩く。走ったら肺いっぱいにこの不快な空気を取り込むことになる。だから、早く駅に行ってこの場所を離れたくても走れない。

そんな二律背反に苛立ちながら足早に駅へと向かう。

どこか遠いところに行きたかった。

でも、そんなことできるほどのお金、今あるわけがなかった。いや、使うわけにはいかなかった。まだ大学生になってすらいないのだ。これからあるはずの出費を考えると、本当はこんなところで電車に乗るわけにはいかなかったんだ。それでも、今はこの土地からどこかへ行きたかった。

二駅隣の、私が住んでいる街よりは比較的栄えている駅まで行った。てゆか、電車高い。これだから田舎の電車嫌い。

なんとなく歩いて散策して、適当に目のついたファミレスに入ってドリンクバーとランチを頼んだ。もう、今日の住処はここだ。何も考えたくなくて、適当な動画を見て過ごした。

充電はなくなって、夜になって、とりあえず一番安いご飯を食べた。

本当は帰りたくなかった。けれどこれ以上はお金使いたくなくて、諦めて帰ることにした。歩いて帰れるような距離じゃなくて、高いと思いながら電車に乗った。

昼は気付かなかったが駅の周辺までは臭いがいかないのか、恐れていた感じのきつい臭いはしなかった。安心して家路を急ぐ。

家に近づくにつれて、臭いがきつくなった。ああ、憂鬱。

そういえばこの道を真っ直ぐ行けばこの間死体を見つけたところだな、とふと思ってしまった。少し恐れて足元を見た。

当然何もなかった。

その事実に安心するも、なんとなく嫌な感じがして、いつもなら絶対に通らないような畑の真ん中を抜ける、いわゆる裏道とでも言われるような道へ入った。この道を行けば家の近くの道に出られることは知っていた。

まあ、この道は途中に畜産舎があるから臭いがきつい。正直通りたくなんかない。ハンカチで口を塞いでできるだけ息をしないように少し足早に狭くあまりしっかりとは整備のされていない道を急ぐ。

頭が痛くなる。

気持ち悪くなる。

それでもどうにか、どうにか家に着きたいその一心だった。家についてしまえばこの言い知れない不安も恐怖もすべてなくなる、そう思っていた。思いたかった。

どうにか裏道を抜けた。そう思った瞬間だった。

目の前に、人影がひとつあった。

これはもう動物的直感。

(逃げなきゃ……!)

物音を立てないとか、冷静にとか、そんな思考は何もなかった。叫び声をあげなかっただけ褒めてほしい。

一も二もなく私は今来た道を反対に走り出した。

逃げなきゃ、逃げなきゃ、あれは絶対に関わったらいけないやつだ。

足がもつれる。転びそうになる。必死で体勢を無理やり引き戻す。

後を見たら、私は死ぬ。死にたくはない。

「待ちなよ」

肩を掴まれた。

ああ、私はここで死ぬのか。

必死で回していた脚が、糸が切れたように止まった。

「こちら側の人間なのに、どうして逃げるの?」

嘲笑じみた気配を含めながら、想像していたよりもよっぽど高い声が耳元で囁いた。

恐る恐る後ろを振り向け、るわけがない。

硬直した肩を掴む手の力が強くなる。

誰が向くか、向いたら終わりだ、もうだめだ。ぐるぐる回る思考は意味を成してない。

死体を見つけても冷静だったでしょ、なんて突っ込みはいらない。さすがに自分の身の危機は冷静には見れない。

でも今、こいつは私のことをこちら側だと言った。いったいどう意味、いや、考えても詮のないことで、でも、殺すならここで私の肩を掴んでたりなんてしない……

思った以上に私は冷静な人間、いや、怖いもの知らずな人間のようだった。

「逃げないから、離してよ、痛い」

どうしてこんな言葉が出てきたのかわからない。こんなこと言ったら普通気が触れてれば、いや、冷静であれば、殺す。というか、私なら面倒くさくなって殺す。

「ほんとに?」

確認、たぶん本当にそれだけの単調な声。

「本当」

どこから声を出しているのか不思議になるくらい胆力の据わった声で答えたことに自分が一番驚いているわけだけれど、人影も驚いたのか、一瞬肩の手が微妙に揺れる。

何か言いたそうな気配を残して、手は離れた。

恐る恐る振り向く。

正直振り向きたくなんかない。正直このまままた走り出したい。

でも、空気が全身で人影の「逃げたら殺す」という意思を感じている。逃げたら今度こそ私は死ぬ。絶対いやだ。

「こんばんは」

言葉として認識されてしまった言葉の主は、想定よりもだいぶ小さい、私よりも身長の小さな女性がいた。そもそも、私だって大きいわけじゃない。

そこにいた女性はだいぶ小柄で、女性というには若い、けど少女というには大人びた、暗い色のパーカーをまとった彼女は私の目の前で笑って見せた。

「あー、噂の、人?」

本当に私は馬鹿なんじゃないだろうか。

下を向く私と、見上げる彼女の目線が交差する。

一瞬不思議そうな顔をしていたけど、すぐに悪戯っ子のような表情に変わった。

いや、これ多分本当に悪戯っ子なんだ。相当タチ悪いけど。

「ご名答!アタシが噂の椿ちゃんでぇすっ!」

「椿ちゃん?」

それ名前?ここで普通名乗る?おかしくない?いや、もともとおかしかった。むしろ今普通に会話してる私もそうなると相当おかしい。

「そう!首と椿をチェンジリングしちゃう噂の椿ちゃんだよ!」

その噂喜ばしくねーから、とか突っ込もうものなら次の犠牲者は多分私だな。

先立つ不孝でもお詫びしとく?それとも大学生活を迎えられなかったことを嘆く?瞬時にそんなことが頭をよぎったけれど、そうならないためにわざわざ足を止めて、狂ったコイツと話しているんだった。本来の目的を忘れてはいけない。

私は、生き延びる。絶対に。

「本名?」

聞いてどうする。

そう思ったのは私だけじゃなく椿ちゃんも思ったようで。そもそも椿ちゃんって何、いい年して……

「んー、本名といえば本名だし違うといえば違うかなぁ?」

なんだそのあいまいな回答は。

そんな私の思考でも読んだのか不思議そうな顔をして言葉をつむぐ。

「んー、この場で本名を聞いたら君はどうするって事もなんだけど、アタシの肉体につけられた名前と本来の名前が一致しなくて、だったらいつもは本来の名前でいいかなぁ?って思って」

つまり、こいつ、中二病だな……

「あ、椿ちゃんのことを疑ってるね?椿ちゃんは本来こんな肉体にいる身じゃないんだよぉ?だって本当の椿ちゃんは完璧なのだから!」

本気か冗談か全くもってわかりにくい。でも、何であれこいつの頭がイカレてることはわかった。

つか中二病とか流行らないんだけど。私がそんなことを思ってる間もコイツは一人で聞いてもいないことを延々と話し続けてた。本来はこんなに小さくもないし性別だって本当はないんだ、なんて中二病そのものなことを語って、痛いヤツだとしか思えなかった。

「アタシの戸籍名知ってどうするの?ケーサツでもいくの?」

突然なんの熱もないような声で聞かれれば答えに窮してしまう。

さっきまでの万能感に酔ってる中二病からは考えられない、ああ、コイツは殺すことにためらいを覚えないタイプだっていうのがわかる声。

知ったって、確かに何の役にも立ちやしない。でも、だからっていってここで殺人鬼に会っちゃった私はどうしろと?

いや、ここで戸籍名なんか知ろうものなら確実に死ぬな。まだ死にたくないから教えられたのがふざけた名前の方でよかったのかもしれない。

でも、そういう問題じゃない。

「じゃあ、なんで私を呼び止めた?」

こいつに呼び止められなければ私はさっさと家に帰って戸締りして素直に恐怖に打ち震えながら寝て日常に戻るだけで済んだのに、それを阻害したのはこいつだ。

キョトンと何も知らないよとでも言ったような顔をして、けろっと淡白に吐き出された言葉はやっぱりさっきまでと変わらなかった。

「だから、君はこっち側の人間でしょ?」

ああ、埒が明かない。

こっち側の人間と言われたって、人を殺したことのない一般的善良な小市民の身からすれば正気の沙汰じゃない。

正気じゃないから人殺しとかできるんだ。

「えー、そんな目で見ててもどうせ君はこっち側なのに?」

可愛らしく小首を傾げられた。

確かに椿ちゃんは小さいからそういうあざとい行動とても似合う。でも、そういうことじゃない。かわいかろうがなんだろうが、目の前にいるこのイカれた殺人鬼から私は逃げなきゃいけないのに、なんで世間話をしなくちゃいけないんだ。

私の苛立ちが通じたのか、ふと考え込むような仕草をして、名案を思いついた、とでも言わんばかりに花を飛ばしながら明るく提案してきた。

「とりあえず、着いて来て!」

その提案は、今の私にとっては強制力しか伴っていない単なる命令だった。

ここで断れる人間がいるならお目にかかりたい。

何も言わずに彼女の後ろを、一定距離を開けて着いていく。

こいつはいっそ鼻歌でも歌いだしそうだった。私の足取りは重い。

さっき私が見かけてしまった殺害現場に着いたら、くるりとこっちを振り返った。

「ちょっとまってねー!椿ちゃんにしないと!」

そんなわけのわからないことを言ったかと思ったら、その死体の横には何も隠すことなく斧が置かれていた。それを手に取り、彼女は私の想像通りの行動をした。


ドン、と鈍く低い音を立てて、斧は首と胴体を切り離した。


そんな凄惨な現場を見て平然としてる私もなかなか頭イカレてきたな、なんてふと思った。別に平気じゃないけど、ここで騒いだりするほどの命知らずにはなれない。いや、もしかしたら叫び声をあげた方が椿ちゃんもお縄で私は幸せだったかもしれない。でも、どうせそんなことないんだろうなってのは楽しそうに切り離した首を持ち上げてる姿から簡単に想像ができた。

「ねえ、椿ちゃんにするって、どういう意味?」

聞く必要なんかなかったんだ。でも、楽しそうなのに静寂が支配するこの空間にちょっと耐えられなくなっていた。

「んー?そっかー、知らない?」

知らないから聞いてるんだろ、みたいな無粋な意見をぐっと押し込めて耐える。しっかりと一回、頷いた。

にんまり、そう形容するしかないみたいな顔でポケットから何かを取り出した。

それは真っ白な造花の椿だった。

何でこれでコイツ捕まらないんだろう……、それが最初に抱いた感想。顔に出ていたらしい。

「昔ねー、県外でまとめ買いしたんだよー!だからねー、残念ながら椿ちゃんお手製じゃないんだー」

そう言ってさっきまで首があったところに造花の椿を置いた。

まだ乾いていない血がついて、白かったはずの椿は赤と白のまだらに変わっていた。

「首から落ちる椿ちゃん、ってわけか」

合点がいったと小さく零せば無邪気に見える笑顔で楽しそうにこたえる。

「そのとーり!綺麗に咲いてるでしょー!」

これを綺麗とか言っちゃうコイツの感性は正直理解できない。いや、理解したくないし、しちゃダメだろ。椿だけでいいじゃん、体いらなくない?

私がそんな風に脳内でグルグルとどうしようもない思考をこねくり回しているのを尻目に、椿ちゃんはさっき拾い上げた首をビニール袋に入れた。その袋この辺のスーパーのだ、やっぱこの辺に住んでるのか。なんて、現実逃避な思考がはかどる。

「じゃあ、いこー!」

私のことなんか一切気にせずに、了承を得るでもなんでもなく、勝手に首の入った袋をぶん回しながら歩き始めた。

今なら、どうにか逃げられるのでは?なんて頭をよぎった。でもその瞬間、椿ちゃんの声が飛んでくる。

「早くー!夜が明けちゃうよー?」

今夜中に入ったところだボケ、なんて思うも口に出せない小心者。諦めて後ろを早足でついていくしかなかった。

体格のわりに椿ちゃんは歩くのが早かった。


着いた先はどこかの畜産舎。私が死ぬ気で忌避した嫌な獣の臭いが立ち込めている。気持ち悪くなるのをグッと抑えて、喉の奥からせり上がって来る不快と限界を告げる胃酸をどうにか無理やり飲み込んで、反対側に走り出そうとする足を必死でその場に繋ぎ止める。

「大丈夫?顔色が悪いよ?」

今ここで聞かれるほどなのか?とか、コイツに人を気づかえる優しさがあったのかとか、そんなことを本当は思いたかった。考えたかった。

足が震える。寒気が止まらない。嫌だ。早くここから逃げたい。ここは、嫌だ。気持ち悪い。臭いが私を侵略する。嫌だ。嫌だ。

「落ち着いて、リコちゃん」

空白。

空虚。

驚愕。

何で、私を知っているの……

名乗ってない。いや、それ以前に、どうしてその名前がわかったの……

それは私が誰にも言っていない、私の本来の名前……

誰も、知っているはずのない名前。

親すら笑い飛ばしたその名前を、どうして、知っているの……

「ね、あってたでしょ?」

その笑顔が、私に向ける無邪気なその悪意が、剥き出しの誘惑が、怖い。ああ、こわい。そう、私の本性を見透かすように、私という人間を剥いていくように、私を内側から再構築させようとする、その意識が、怖くて恐くて蠱惑的で、衝動は叫びたくて泣き出しそうで崩れ落ちそうで、それでも彼女を睨み返すしかできなかった。

「ほら、行こう?」

伸ばされた腕をとる気にはなれなかったのに、無意識に、催眠にでもかかったかのようにその腕をとろうと一瞬手を伸ばしかけた。

「一人で行ける」

何でそんなことを言ったのか。

行かなくてもいいのに、素直にその手をとって椿ちゃんのせいにしちゃえばよかったのに、それをしないで自覚的に自分で歩を進める。

開いた扉から今までの日ではないほどの濃い獣の匂いがあたりに充満する。

気持ち悪い。吐きそう。

でも、今度はそれだけだった。気が狂いそうなうちから湧き上がる何かは来なかった。

椿ちゃんは時折こちらを確認しながら先へと進んでいく。鼻歌でも歌いだしそうな気配を漂わせて。

そして突然、ある一箇所で止まって私を待った。

「いったい何?」

ここから早く出たい私はだいぶ不機嫌に苛立った声でぞんざいに聞いた。それでも椿ちゃんはいやな顔は見せずにただ楽しそうに笑っていた。

「知ってる?豚ってね、雑食なんだよ」

そういって手に持っていたビニール袋に入っていた首を乱暴に振り落とした。

「だからね、食べちゃうの」

ほら見て、って目で私に伝えてくる。伝わりたくなかったけど、伝わってしまったからにはそこを見るしかなかった。

そこには確かに椿ちゃんの言ったとおり豚がいて、鼻息荒く突然時間外に投げ込まれた餌を無心に食べていた。

「かわいーでしょ」

かわいい?

皮膚は引き千切られて残っていた血液と一緒に脂肪が表面を覆い、肉のつかないところはすでに筋肉が露出している。それを食べている状態はすごく醜悪で、ひどくグロテスクで、到底かわいいなどと思えるようなものではなかった。

「どこが」

だんだん私の態度が横柄に、乱雑になってきたことに私自身気がついていたけど、椿ちゃんは特に何も言わず、私の感想に対して不思議そうに小首を傾げて見せた。

その行動のほうが私にはよっぽどかわいく見える。

「普段食べてる豚さんに、食べられることなんて考えたこともないやつが食べられてる上に、豚はそんなことなんっにも考えてなくて、ただそこにあるからってだけで食べてるの、すっごく食物連鎖で醜悪で哀れでかわいくない?」

絶対椿ちゃんの感性狂ってる。

「でもあんたもこれ直視できるから変わんないよ」

見透かしたのか、抉りにきた。ちょっと薄々思ってたことを言葉にして突きつけられると中々居た堪れない気分で、中々反応に困る感じだった。

「ほら、リコちゃん冷静だよ」

「うるさい。あんたなんかと一緒だなんて認めない」

「認めなくたっていいよ、リコちゃんはリコちゃんだもん。ただこっち側なだけ」

あっけらかんと言ってみせる椿ちゃんに私は言葉を失う。

目の前で食べられていた頭はだいぶ肉が削がれていた。

「この骨、どうすんの?」

つい聞いちゃったのは純然たる好奇心。そんな私に目を丸くして、うれしそうにテンションを上げて、とびきりの笑顔を向けた。

「洗って砕いて畑にまくよ!」

あ、この辺で採れた野菜買うのやめよう。あと豚肉も買わない。椿ちゃんの魔の手がどこまで伸びてるのか全く見当がつかない。この県以外の野菜と肉にしようそうしよう。

「そうしたらもう頭は見つからない。でもそれは食物連鎖の中に組み込まれてる。なんだか楽しくならない?」

「ならないよ」

即答した私が面白くないのか唇を尖らせる。

「えー、こんなにかわいいのにー。あ、通報しとかないとリコちゃん怪しまれるよー!」

今ソコ?!この状況で私に見た殺人現場を通報しろと?!どんな神経してるのか全くわからない。というか、それを顔色一つ変えずに私ができるとでも思ってるのだろうか……

「椿ちゃんのこと、話すかもよ」

この聞き方だともう絶対話す気なさそうだよね、私も思った。

「大丈夫、リコちゃんは、話すことはできないから」

屈託のない、純粋に見える笑顔を向けられた。そんな顔されてもどうすればいいのかわかんないけど……

背中を押されて畜産舎を出される。

「ソコのマットで足の土一回落としときなね!じゃあ、またね!」

そう言って椿ちゃんは扉を閉めた。

どうしろと?私に何をしろと?

そんなことを考えながら言われた通りにマットで土を落としてる私もなんだかなぁ……とは思うけど。

これ、またさっきの死体のとこに戻んなきゃなんじゃないか……?

とりあえず、家の前まで帰ってきてから警察に通報した。

前回あまりに冷静に死体の観察しちゃってたもんだから、今回は現場にいなかったのがすごく不審がられた。

とりあえず、二回目があると思ってなくて動転した。怖かった。と、言って誤魔化した。いや、気分としては本気だけど。

そして今回も、ほとんど家に引きこもっていた引っ越して来て一週間の法律上女子高生の私に動機や接点が被害者との間にあるわけなくて、今回もめでたく晴れて無罪放免。

さすがに三度目はご遠慮願いたい。


次の日目覚めたら夕方だった。もうこれはしょうがない。

昨日と同じくらい畜産舎の動物の臭いが辺りを覆っているのに、今日は何も感じなかった。


明日から私は大学生になる。


頭が痛い。

楽しみにしていたわけじゃないけど、夕方まで寝てた代償は寝付けないだった。つまり寝不足。慣れない化粧に当初予定より早く起きなきゃいけなくなり、確保された睡眠時間なんて雀の涙、猫の額。

学校に行けば当然ながら新入生がいっぱいいた。

ここの中に私は入る。十把ひとからげの世界から抜け出すことなんてできない。

学科ごとのオリエンテーションはとにもかくにもつまらなくて、何度逃げてやろうかと思った。

「院生に手伝ってもらっているから、なんか気になることがあったらその顔を覚えておいて、聞きにいきなさい」

へー、院生ってのがいるのかー、って思って偶然横を通った院生の顔を確認すればなんてことはない。椿ちゃんだった。

なんてことないなんて顔をしながらウインクを一つ飛ばして一言。

「これからよろしくね、***さん」

なんで私の名前知ってるのかなぁ、名簿?

楽しそうな椿ちゃんとは対照的に私は頭を抱えた。


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