11:ぼくが強くなるために 前編
『国とあなたは同じじゃないのよ』
そう言ってくれたあの喫茶店のオーナーは優しい。でもみんながそう思ってくれるわけじゃない。あの空襲騒ぎから、クラスのみんなのぼくを見る目がだいぶ変わってしまった。
あとで知った話だけど、あの夜は民間人や都市にこそ直接的な被害が無かったとはいえ、州都の宇宙港から上がった迎撃機が何機か返り討ちにあい、戦死者を出していたらしい。
火星軌道上から撤収した爆撃艦隊についてエウロパ政府と帝国軍はいちおう関与を否定してはいるものの、エウロパ側が仕掛けたテロだということは明らかで、もともと折り合いの悪かった両大国の仲はいまや最悪の状態になっている。
もう、何が起きてもおかしくない。
混乱が回復して学校が再開された初日、ぼくは教室に入っていつもみたいに明るく挨拶してみたけれど、クラスメイトの半分くらいはぼくを無視した。無視しなかった友達もなんだかそっけない。
「おはよう、ニカくん」
いつも通り接してくれるレイチェルや彼女の友達の女の子たちがありがたかった。
「ちょっと来い。お前に話がある」
その日の放課後、リルと一緒に教室の掃除をしていると、クラスメイトのひとりがずかずか教室に入ってきた。ぼくはシャツの襟を掴まれて校舎の裏に連れて来られ、話どころかそのまま顔をしこたま殴られた。
「お前の国の軍隊が父さんを殺したんだぞ。それなのにのこのこ学校に来やがって。お前なあ、申し訳ないとか思わないのか」
そいつの顔は憎しみに歪んでいた。
「……ぼくがやったわけじゃない」
そう答えた瞬間、今度は本気で吹っ飛ばされた。
「てめえ、殺してやる」
がたいの大きなそいつはぼくを片手で起き上がらせて殴り続けた。殴られながらそいつの名前を思い出した。確かジョンっていうレイチェルに惚れているやつで、そう言えば今までぼくもそれなりに喋ったりしていた。
――それでも殴るんだな、ぼくのこと……。
「お前が学校に来るならまたボコすからな」
「……くそっ」
そいつが去ったあとぼくは医務室に行ったけど、ぼくを慰めてくれそうな医務主任は不在だった。代わりの医療ドローンから治療を受け終わって鏡を見ると、ぼくの顔はガーゼだらけになっていた。こんな弱っちい顔をリルに見せたくなかったから、ぼくは逃げるようにULEA駐機場まで走ってそのまま家に帰った。夜になって仕事から帰ってきた父さんはぼくの顔を見ると、かんかんに怒り出した。
「お前にそんな酷いことをしたやつは誰だ!」
「怒ってもしょうがないよ。ぼくがエウロパ人だから、仕方がないんだ」
自分でも不思議なことにぼくは笑顔で父さんを諭していた。それを見て父さんは冷や水をかけられたみたいに怒りの表情を消して固まった。
「すまんな」
父さんはぼくの前に膝をついて、顔をくしゃくしゃにした。
「すまん。俺がこの国にお前を連れてきたばっかりに、お前に苦労させている」
「頭なんか下げないでよ。父さんは悪くないし、ぼくも悪くないんだから」
ぼくは父さんにこんな顔をさせたくなかった。もっと腕っ節が強ければこんなに手酷く殴られなかったのに。
少し落ち着いた父さんは、お前に見せなければならないことがある、と言って自室に戻り、一枚の青い紙切れを持ってきた。
それは『国外退去命令書』と書かれた火星連邦国務省からの正式な通達だった。
「俺は火星連邦政府と共同で観光事業を進めていたから、俺とニカの退去の期限はだいぶ後回しにしてもらってるんだ。それでも秋にはエウロパに帰らなければならなくなった。遅くとも十月の頭ごろに最後のエウロパ行き交換船が出るはずだ」
ぼくは頭を抱えた。
ああ、やっぱりこうなってしまったか。
頭の中にこれまでの半年の出来事が次々と浮かんできた。
ぼくをはっきりと拒絶したリル。彼にぼくの方を向いて欲しくて始めたスキップレース。初めて勝ったとき、悔しそうなリルの顔を見て、彼と同じ世界に入れたみたいで嬉しかった。最近は少しずつちゃんと話せるようになってきた。レースは上手く行かないけどあと二回のチャンスに全力を尽くそうって決めたんだ。
喫茶店で出会った凄く綺麗な女の子、リリィ。初めて好きになった人。素朴で初心な、かわいくて、ちょっぴり怖がりな子。リルとの勝負を投げだそうとしていたぼくを励ましてくれた。この前のデートで思いっきり楽しんでいたときのあどけない笑顔。そうだ、あの時だって彼女はぼくを励まそうとしていたじゃないか。
この星に来たいちばん最初のころは「完璧な」人間関係をまたいちから作ろうとして、うんざりしていた。笑顔の仮面を貼り付けて、敵のいない無味乾燥で楽ちんな人付き合いを望んでいた。でもぼくの仮面はもう意味をなさない。ぼくはいま、初めて敵だらけの空間に身を置く辛さを味わっている。
でもそれはもういいんだ。リルとリリィ、二人と一緒に笑えるならばそれはいい。
ああ、だから、それを終わりになんかしないでよ。
ふたりと会えなくなるなんて、酷すぎる。
「お前を振り回してばかりで、本当にすまないと思ってる。ここの生活が耐えられなくなったらいつでも俺に言ってくれ。お前さえ良ければ秋まで待たずにエウロパの屋敷に帰ってもいい」
ぼくは父さんを居間に残してふらふらと自室に戻った。
出国期限まであと半年を切っている。これはもう動かせない。
問題はこれから国に帰るまでの間をどう過ごすか。
でも、今日は考えごとをするには色々あり過ぎた。ベッドに倒れ込んで深く沈み込むぼくの身体は、もうこれ以上の思考を拒んでいた。
ジョンに殴られて顔を腫らしたぼくは、三日間学校を休んだ。
でも、四日目には登校した。
意を決して教室に入ったぼくは半ばやけくそで大声を出した。
「みんな、おはよう!」
当たり前だけど状況が好転してるわけじゃない。むしろ悪化してるかもしれない。
まだ青く腫れた顔面を見てクラスメイトたちは何か納得したように、ひそひそ会話を始める。その中にはこれまでぼくを慕ってよく話しかけてきていた男友達もいた。彼らとはよく喋ったり馬鹿騒ぎをするくらい打ち解けていたはずだったけれど、もう元には戻らないらしい。
でも、これはたぶん自業自得だ。だってぼくも彼らに興味を持っていなかったから。
ぼくが作り上げようとした楽ちんな人間関係は結局中身なんてどうでも良くて、本当に上辺だけの浅いものだったんだ。ぼくはこれまで自分の周りに人が集まってくることを誇ってきた節があったけど、それはきっとただ単にぼくが人を集めやすい外ヅラの属性を持っていただけ。だからその表面的な魅力が損なわれたとたん、みんな自分の元から去っていく。
これは転校するたびにぼくがやってきたことのツケが回ってきたんだろうな。
「……おい!聞いてんのか?」
ぼんやりと席についたぼくの目の前に例のジョンが立っていた。
「てめえ、学校に来るなって言っただろうが!」
ジョンはぼくの胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。女子たちがきゃあっと悲鳴をあげてぼくらから離れる。
「いい加減にしろよ。君のお父さんを死なせたのはぼくじゃない」
「この野郎……。まだ殴られ足りないらしいな」
その時だった。二人ともうるせえよ、と少し高い澄んだ声が教室に響いた。
フードまですっぽり被った黒いパーカーとだぶだぶの作業用ズボンのナードっぽい男の子がぼくの机の横に立った。部外者はすっこんでろ、と息巻くジョン。
「俺は部外者じゃねえよ。お前がこいつを殴ったせいであれからずっとひとりで掃除しなきゃならなくなったんだ。だからお前に10秒の刑を執行する」
その瞬間、リルはジョンの腕を掴むとよく分からない関節技のようなものをかけた。
「は、離せこら!いて、痛えよ」
「いーち、にーい、さーん……」
リルはきっちり10秒数えてからジョンの腕を離した。かんかんに怒ったジョンはリルに殴りかかろうとするけど、それを見越したようにリルはひらりと躱し続け、最後の一発を両手で受け止めた。ジョンは忌々しげに舌打ちして拳を引っ込める。
「お前、こんなことして気が晴れるのか?」
「晴れるわけねえだろ! でもこいつは敵だ。殴らねえといけねえんだ」
「もう散々殴っただろ。ニカの顔を見ろよ」
「いいや、まだ足りねえ」
その時教室の扉が開いてレイチェルが登校してきた。彼女はぼくの周りのただならぬ雰囲気を察してこっちに駆け寄ってくる。
「あんたたち、何をやってるの?」
ジョンはしまったという顔をしてレイチェルの鋭い視線から逃れようとした。
「ジョン、やっぱりあんたがニカくんに暴力を振るっていたのね」
「いや、違うんだ」
「見苦しいわよ。自分がやったことに責任を持ちなさい」
体の大きなジョンは小さなレイチェルを前にして完全に萎縮していた。
「ニカくんが悪いわけじゃない、そんなことくらいあんたも分かってるでしょ。こういう状況になって辛いのはニカくんも同じなのよ」
レイチェルは少し声のトーンを落とした。
「あんたがお父さんを失って苦しんでいるのはわたしも見ていて辛いわ。そんなことをしたエウロパの軍隊は本当に許せない。でもね、クラスメイトを傷つける人もわたしは同じくらい許せないわ」
もしまたぼくに手を出したらジョイ先生と生徒会公安部に報告書を書く、そうなれば停学じゃ済まないとレイチェルが釘を指したところでチャイムが鳴って、みんな自分の席へ戻っていった。
異国からやってきたクラスの人気者という、これまでのぼくの看板が取り外された学校生活は苦しくて、逃げ出したかった。自分はもっと強いやつだと思っていたのに。
放課後の掃除の時だけが楽しみだった。今まで通りに絡めば、今まで通りに嫌がったり、うざがったり、怒ったり、ほんのちょっぴり笑ったりしてくれるリル。
彼の前ではいちばん自然体でいられるような気がしていた。
だから言わないといけないと思った。
「ねえ、リル」
「なんだよ?」
ぼくはホウキがけを止めて、壁の汚れをチリトリの先っぽで削り落としているリルに何気なく喋りかけた。
「ぼく、秋頃にエウロパへ帰らなきゃならなくなった」
リルは黙ったまま、背を向けて汚れ落としを続けている。
「君との勝負に勝っても、結局ここから追い出されてしまうんだ」
ぼくがそう言って自嘲気味に笑うと、リルはこっちに振り返った。彼はたぶん怒っている。
「お前、レースはどうするつもりだ? 俺との勝負はまだ終わってないだろ」
「出るよ、約束したからね。意地でも君に勝たなきゃ」
「そっか」
リルがぱっと顔をあげたからその勢いでフードが少し捲れる。ちらりと見えた大きな二つの目がちょっと潤んでいた。リルはそれを払うように首を振り、不敵な笑顔を作って見せた。
「そっか。もうレースを止めてしまうのかと思った」
「正直に言うと、レースはきつい。ついでに今の学校生活もきつい。でもぼくはあと半年もこの国にいることができないから、せめてレースでもう一度君にちゃんと勝ちたいんだ」
勝負に勝ったらぼくの言うことをなんでも聞いてくれるんだろ? とぼくは念のため最初の約束を持ち出してみる。
「ま、まあな。でもお前はもう俺に勝てない。二度も負けてたまるかよ」
それにこの前みたいな順位じゃあ全然勝てっこないさ、とリルは鼻で笑った。
――ちくしょう、馬鹿にしやがって。
「ぼくは強くなるんだ!」
「えっ」
「強くなって君を見返してやる。エウロパがなんだ、火星がなんだ! ほんっとこの町に来てからはぼくの思い通りにならないことばっかりだ。こんなにみんなから責めらせたり嫌われたりしたのも初めてだよ。あと、リルも全然優しくならないし!」
リルはぽかんと口を開けてぼくの啖呵を静聴していたけれど、そのうち口を横一文字に結んで下を向いた。また怒らせたかなと思っていると、リルはぷっと吹き出して、堰を切ったみたいに腹を抱えて笑い出した。
「あはは、おかしいやつ。いや運がついてないやつだな、これは」
「ぼくは本気だからな。次のレースで覚悟しておけよ」
リルはひとしきり笑うと、いつもよりちょっとだけ優しい顔になっていた。
「俺、お前みたいなやつ嫌いじゃないよ」




