ホラー小説を書く上で考えている事。
私みたいな者の日記を読むよりも、スティーブン・キングなどを含めた、
旧来のホラー作家達のホラー論考を読めば良いと思うのだけど。
まあ、昼休みの暇潰しくらいに読んで欲しい。
ワケあって、色々と大量にホラー小説を書いたり、大量にホラーコンテンツを漁ったりしているのだけど、
こんな拙文でも、これを読んでくれている方が、ホラーを書く上で何か参考になればいいと思う。
人間が生きていく上での根源的な不安が、ホラーに対する興味関心なのではないかと思う。
つまる処、ホラーというものは、ある意味で言うと、哲学的な問題なのだと思う。
あらゆる嫌悪感、あらゆる未知な存在に対する恐怖が、ホラーというジャンルを形作っている。
日本においての怪談と、海外においての怪談は違う。
日本において幽霊が怖がられる要因になるが、
海外においては幽霊は陽気な存在として描かれていたりして、
海外において、日本の幽霊にあたるものは、ゾンビや悪魔だったりする。
おそらく、日本において幽霊を怖がる風潮は日本の土壌や文化、宗教に関連しているのだと思う。
日本においては八百万の神を信仰する神道が根付いている為に、その土壌があるのかもしれない。
ちなみに、仏教においては幽霊の存在を認めないとも聞く。
それにしても、幽霊というものは奇妙なもので、古今東西、存在する。
古典で言えば、四谷怪談や牡丹灯籠、シェイクスピアのハムレットやマクベスなどが有名だろうか。
平安時代においては、怨霊などの逸話は枚挙にいとまがない。
人間は根源的に、死の不安、死後の不安に対して何らかの命題を持って生きているのかもしれない。
つまり、幽霊を語るという事は、その人間の死生観を語っているのかもしれない。
それにしても、
ホラーに関してのジャンルは様々だが。
思い付いたものを述べてみると。
幽霊に襲われる恐怖を描いた幽霊譚。
動く死体の恐怖を描いたゾンビ・パニック。
人間の怖さを題材にしたサイコ・ホラー。
未知の怪物の恐怖を描いたモンスター・パニック。
他にも、サイエンス・ホラーやスペース・ホラー、ドキュメンタリー風のホラーといったものもあるらしい。
新たなジャンルはつねに作られているような気もする。
写真が存在しなかった頃は心霊写真という概念は無かったし、
電話やインターネットが存在しなかった頃は、それに類するホラーというものは無かった。
人間は根源的に未知なるものや、理解出来ない他者と怖れる存在だ。
ホラーというものは、ある種、その時代、時代に合わせた現象なのかもしれない。