ダーク・ファンタジーを書く上での魅力について。
ダーク・ファンタジーを書く上で色々と考える事がある。
そもそも、何を持ってして、ダークなのか、という事だ。
王道ファンタジーは、トールキンの指輪物語だろうし、
私も映画ロード・オブ・ザ・リングを通して指輪物語は大好きである。
だが、古典的なハイ・ファンタジーは、いくらでも遡る事が可能だ。
古くは、オウィディウスの変身物語なのかもしれない。
原型となるのは、ギリシャ神話辺りではないだろうか。
それにしても、
残虐な描写や性表現があれば、ダークな表現になるのかというと分からない。
中世ヨーロッパは人権の概念が存在しなかったので、
拷問や処刑や、奴隷制や魔女狩りなどが蔓延していた。
そもそも王道ファンタジーと呼ばれるものは、現実の事物を嫌悪する余り、作られた物語なのかもしれない。
だが、昨今は普通に王道ファンタジーのジャンルも、ダークと定義するという風潮を感じる。
どんな王道物にも主人公が人生に葛藤したり、暗い陰鬱な描写は存在する事が多い。
だが、暗いシーンや主人公達が一時的に不遇に陥るシーンが挿入されているだけで、ダーク・ファンタジーと定義するのならば、四大悲劇だけでなく、シェイクスピア作品の大半がダークで陰鬱な作品という事になる。
それに関しては、現代という時代はつねに暴力的なものが隠されていく風潮が強まっていると考えているのだが、それはまた別の機会に考察したいと考えている。
さて、私が何故、ダーク・ファンタジーというジャンルが好きかについてだ。
一言で言うと、私がダーク・ファンタジーというジャンルを選んでいるのは、
自分のやりたい事が全部、出来るだろうと踏んだからだ。
人間を虐殺する描写も出来るし、拷問も出来るし、猟奇殺人犯も出せる。
同性愛も書けるし、性倒錯も描けるし、死体の描写も出来るし、登場人物を景気よく殺害する事も出来る。やりたい放題である。
邪悪な存在に立ち向かう善や正義を信じる英雄を活躍させたかったら、邪悪な存在に立ち向かわせる展開に作っていけばいい。
なんというか、最高に自由度が高いと踏んでいるわけだ。
超能力者バトル物というジャンルを選んでいるのも、それに等しい。
なんでもアリとしか思えない混沌として風景を出したくて描きたいわけである。
画一化されて形式化された物語は正直、面白いと思わないので、意表を付く話が面白いわけである。
勿論、王道物の全てがつまらないわけではない。
王道物の英雄譚の原型は、プロットが丁寧に練られて作り込まれているので、読んで素直に面白いと感じるわけだ。
もっとも、私の作品のジャンルは90年代や00年代などのライトノベルを意識したものではないし、
つねに新しい作風であると考えている。
私の作品は登場人物の多くが、アナーキストであり、反倫理的だ。
アナーキーさは普遍的に新しいと考えている。
悪徳を称えるマルキ・ド・サドは、人類愛と絶対平和を唱えるロマン・ロランよりもかなりの古典だが、何処までも新しく感じる。
もっと分かりやすく一言で言い表すと「真面目に不真面目な事」をやるのが何処までも魅力的だって事だ。
私の作品は、おそらくはダーク・ファンタジー・ジャンルに加えて、アナーキー(反社会、反倫理)といったカテゴライズが可能だと思う。
だが、正直、このエッセイにおいて、私の作品を紹介するのは趣旨とズレている。
なので、話を戻そう。
前回、悪役、敵役が物語の骨子だろうという趣旨の記事を書いたのだが。
結局の処、人間は普段抑圧している部分を創作物を通して満たしたい願望がある為にアンチ・ヒーローが欲しいのだと思う。
大抵の人間は英雄的かつ善を行使出来るわけではなく、光と闇、善と悪、清濁を併せ持つ混沌とした存在だからだ。
だから、ダーク・ファンタジーの類型として、ピカレスク・ロマンなどというジャンルが出てくるわけである。
ピカレスク・ロマンというジャンルは、具体例を上げるとブラック・ラグーンというアニメだ。
登場人物全員が主人公であり語り部でもある元サラリーマンのロックを除いて「利益の為に悪なる行為は正しい」と主張する。
マフィア同士の対立と銃撃戦の話だ。
ブラック・ラグーンという漫画の一貫したテーマは「正義なんて吐き気がする」である。
ストーリーが燃え上がらないわけがない。
おそらく、アンチ・ヒーロー物やダーク・ファンタジーというものは、ある種の現実における、一つのリアリズムに通じ、勝利者が必ず善とは限らず、主人公側が必ずしも正義とは限らず、英雄譚に登場する英雄が、必ず善人であるとは限らないという人類普遍的なテーマだからではなかろうか。
敵役の魅力やダーク・ファンタジーに関しての考察は、今後も不定期で思い付いたら執筆していくつもりだ。
貴方の考えるダーク・ファンタジーに関しての魅力を感想で頂けると嬉しい限りだ。