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七十億の価値観、脅威と捉えるか可能性を感じるか

作者: 月澄狸

 貴方にとっての幸せは何ですか?


 お金を得ることでしょうか。

 だとしたら多分分かります。お金があれば、人の価値観や意見に振り回されることなく、自由に自分の好きなことをできますもんね。


 競争して勝つことだとしたら……

 それも多分理解できます。自分はゲーマーなので、ポイントや得点が上がるようなシステムが好きです。頭は悪いけどどちらかというと頭脳派です。

 運動は苦手ですが、ゲームだと考えれば運動派の方の気持ちも分かると思います。


「いや違う、世の中お金だとか競争だなんて考えは間違っている。私は何よりも人と仲良くすることが好きだ。心が通い合う瞬間が楽しいから、生きているんだ」というご意見であれば……

 尊敬します。そしてそのような意見が好きです。見かける度にホッとします。

 本当に、人類は素直に喜びのために生きてゆけたら良いんですけどね……。


 人を攻撃することが貴方の幸せだとしたら……

 最低ですね。多分一定数いるんですよね、そういう方。愛を知らないのか、曲がった信念があるのか、何らかの事情により心が壊れているのか……。


 けどもしかしたら共感できるかもしれません。自分は少し狩人気質で、虫捕りや釣りを好み、トカゲ・ヘビ・小鳥・鳩等色々捕まえました。

(今は生き物を捕まえません。)

 攻撃が狩猟本能やナワバリ意識の暴走からくるものなら、なんとなく理解できます。

 ちなみに自分はいじめられっ子でもありました。

 まわりにいじめっ子が結構いたのですが、そういう方たちは家庭環境が悪く気の毒な人だったのかもしれません。噂で少しそのような話を聞きました。

 あと、私はネット上で荒らしの方にしつこく話題を振って仲良くなったことが二~三回あります。仲良くとまではいかなかったけれど何日か会話が続いたこともありました。

(今は自分から荒らしに近づくような気力はありません。)


 もし「幸せになれる理由はいくらでもある。だからいつだって幸せ」という意見の方がいたら……

 きっとその方こそ人生の達人ですね。その人の話を聞きたいです。


「人や生き物のために尽くすのが幸せ」という方……

 そういうタイプなんだろうな、と感じる人を何回かネット上で見ました。そういう方を見ると心が安らぎます。理屈抜きにすごいです。


「人の話を聞くのが幸せ」という方……

 ごく稀にそのような方を見かけます。まわりの人を幸せにする何かを持っていると思います。近くにいる時は気づかないけれど、お別れした後そのありがたさに気づくことがよくあります。気になるタイプです。


「幸せなんて無い」あるいは「幸せは簡単には手に入らない」「幸せという感覚が分からない」という方……


 それが現実主義から来るものであれば……

 きっとフラフラしないしっかり者、あるいは不器用ながらも頑張り屋さんなのでしょうね。

 失礼ながら、そのような方々がちょっと苦手なのですが……理解するよう努めたいです。


 人生に迷った幻想派であれば……

 すごくよく分かります。人間って一体何なんでしょうね。


「一人で好きなことをするのが幸せ」という方……

 分かります。結局人はみんな意見が違うのだし、自分を一番喜ばせられるのは自分です。


「幸せとは結婚や恋愛だ」という方……

 失礼ながらちょっと苦手ですが、理解するよう努めたいです。


「一番の幸せ」……他にも色々ありそうですね。

 安定とか、正義を貫くこととか、ざっくりしたものや細かいもの、哲学的なことまで色々。価値観や意見はきっと人それぞれです。



 ちなみに私の幸せというかマイブームは気ままに人の作品を見たり、ネット上で交流したりすることで、それを間接的な人間観察と捉えています。……みんなやっていることですが。


「関わりを持った人の作品を見る」「好きな作者を探す」ということはあまりしません。基本的に偶然の出会いと束縛し合わない関係を好みます。

(けれど「また会いたい」と思うような人もいっぱいいます。)


 音楽、動画、漫画、イラスト、映画、アニメ、ブログ、誰かの投稿等なんでも「作品」だと思います。気の向くままに、好きな部分を好きなだけかじります。浅く狭く。


 完成された売り物のような作品もいいですが、荒削りの文章なんかも人間性が見えて良いですね。SNSで誰かが何気なく投稿した一文とか。


 ずっと一緒の空間にいても何を考えているのか分かり合えず仲良くなれないタイプの人間もいますが、たまたま見かけた誰かの一言に胸を打たれることも多々あります。


 チャットやゲーム等を転々と移動し、そこで出会った人と仲良くなっておしゃべりし、そのうち自然とお別れするというパターンを何度も繰り返してきました。


 一度だけ話した人もいっぱいいます。日本語を話せる海外の方と出会ったり、英語のコメントをいただいたこともありました。


 作品を見ることも言葉を交わすことも楽しいですね。ささやかなことも全てコミュニケーションのように感じます。

「なんだか考えが似ている」「気持ちが通じ合った」「一緒に深い話をできた」という思い出がたくさんあります。

 ネット上には色々なコミュニティがありますが、場所ごとに集まる人間のタイプ・価値観・雰囲気が違うなと感じます。

 時間が経つと人が入れ替わって雰囲気が変わることもありますね。旅人気分です。


 時々ユーザー様方の「人生」や深い一面がかいま見え、印象に残りました。ネットは暇潰しだと言う方も、みんなで楽しむ場所だと言う方も、ネットが居場所だと言う方もいました。


 病気の方がいたり、今いじめられていると悩む方もいたりしました。


 誰かと喧嘩したり、知り合いのユーザー様同士が衝突しているのを見かけたり、荒らされたりとあんまり嬉しくない出来事もありましたが、人間の色々な一面を見られたと思います。


 コミュニティごとの問題やそれに対するユーザー様方からの問題提起もあり、仲の良い方とそれについて話したり、他の方の話し合いを傍観したりもしました。


 ネットだけでは人間のすべては見られないかもしれません。でもネットとは、肩書きや立場にとらわれず誰とでも対等に、一つの「命」として向き合える場所であると感じます。


 で、ネット等を巡ってみて分かったことは……


「色々な人がいる」ということです。


 ……そんなことはみんな初めから知っていると思います。色々なコミュニティを巡ったり作品を見たりすることをみんなやっているだろうし、人の意見を聞く前から色々な意見があることくらい想像がつきます。


 けど巡った後の方がハッキリと分かりました。


 例えば子供に対する教育の話で、

「子供には疑いとか厳しさよりも愛と優しさを教え、のびのびと育てるべきだ」という性善説寄りの方もいれば、

「世の中には危険がいっぱいある。その危険とか世の中の厳しさを早いうちから教えておくべきだ」という性悪説寄りの方もいますよね。


 どっちが正しいかというと……どっちの意見も必要だと思います。


 私のまわりには子供の感性を認めてくれる人が多かったため、私は長いことメルヘン思想で

「年齢とか性別とか人種とか関係なく、人と人とは仲良くなれるはずだ」と思っているところがありました。

 そしてある時、ある犯罪に遭いました。


 その後精神的に荒れ始めました。「人には醜い一面がある」なんてことを知りたくなかったし、認めたくなかったし、人間には悪意があるということを前提に話が進んでゆくのが嫌でした。


 そして「人に悪意があるのは当然。隙を見せる方が悪い」と開き直るような意見を言う方に敏感になり、そういった意見を聞くたびにイライラしました。


 人間不信になって護身用にカッターナイフを持ち歩こうかと考えたり、急に無気力・無感情になったり、かと思えば社会への憎しみが沸いてきて「人間なんか大嫌いだ。誰彼構わず殴り倒してやりたい」と思ったり、実力的にそんなことは叶わないからネット上で荒らし行為をして多くの方と衝突したりしました。


 今でも錯乱中だし、冷静になっても反省してもいません。


 おっと、本筋から逸れました。

 ……で、話を戻しますが、「優しさと愛」「危険と厳しさ」、どっちも大事ですよね。

 犯人の方には「愛や優しさ」、私には「自己防衛」が欠けていたのです。

 犯人の方に優しさを教えていれば、そして私がもっと厳しさを教わっていれば、犯罪にまで至らなかったかもしれません。


 まぁ私も相手も人の意見を聞き入れるような人間じゃなかったんでしょうが。


「優しさを教える程度じゃどうにもならない」ことがあるとすれば、やっぱり大事なのは被害者にならない強さでしょうか。

 けど「欲にまみれた人」の方はお咎めなしで(ってことは無いはずですが)、被害者ばかりが責められるような社会なら、やっぱり嫌いです。


 堂々巡りですね。愛ある人がたくさんいるってことを信じておきたいです。


 そして自分もそっち側の人間になれるように軌道修正しないといけませんね。そうでないと心の綺麗な人に出会った時に、こちらが醜態を晒すことになりますから。


 あちら側の人間にも言い分はあるでしょう。「メンタルの弱い人間はほんのちょっとのことでギャーギャー騒ぐよな」とか。……感情論ではどうにもなりません。


 人の良い部分を伸ばし、欠点を補う。そのためには色々な意見が必要で、「これさえあれば良い」というものはありません。


 チョキじゃグーに勝てない。パーじゃチョキに勝てない。じゃんけんみたいなもので、全員にピタリと当てはまり効果を発揮する、すべてに通用する意見やルールなど存在しません。当たり前……ですよね。


 だからこそ様々な意見を聞くことが必要ですが、時には自分の意見を押し通してみたり、四面楚歌だと感じて腹が立ったり悲しかったり、嘆いてみたり、「考え方なんて星の数ほどあるんだからどうせ何を言い合ったって無駄」と感じることもあります。


 ここまでは、「欲」に対してイラッとくる、欲があって当然という風潮を許せない、という雰囲気の話を全面に出しました。


 けれど……。人間には欲とか煩悩があります。人それぞれ色濃く持っている特性が違いますし、自分になくて相手が持っているものを「悪だ」と決めつけたり、こちらが指摘されたりします。


 自分にだって抑えられない部分は多くあるのに、人が持っているものばかり悪く見えます。自分が否定されたら耳を塞いで反論します。


 誰かと戦いたい衝動や恐怖を日々抑えて生きている人も多分います。

 で、人それぞれの発散方を見つけてうまくやっていくんだと思います。


 多分多くの方が、マイノリティな部分、人に認められない欲求や感覚や個性を抱えていますね。それを隠す人もいるし、人によっては表現したい、認めてもらいたい、自由になりたいともがいたりします。


 実は「普通派」なんて少ない。みんなはみ出した部分を持っている。そして「そんな感覚は認められない」ということを学習して、人前ではうまく適応したように見せているだけ。

 そうなんじゃないか、って気がするだけで一人一人の意見を確かめたり聞き出したりしたことはないですけど。


 欲の薄い人は欲の濃い人の気持ちが分からないし、場合によっては厳しく責める。理解できないので黙認するとか許すってことをしないことがあります。……多分。


 欲の濃い人はあんまりそれを認めたがらず話をそらしたりごまかしたり他者への攻撃論を飛ばしたりするためややこしくなる……のかもしれません。


「ゲームには敵を倒す描写がいっぱい出てくる。これでは優しさが育たない。教育上良くない」「コンビニでむき出しのエロ本を売られたら不快。良くない」といった話、その通りだと思いますが、それでなんとか狩猟本能や欲求を抑えている人もいますので、「良くないものは片っ端から排除!」というご意見を全部実行し完璧に潔癖な社会にしてしまうと、人間の不完全な部分が過激化・暴走するかもしれません。


 もっと人間を動物としてきちんと捉えるべき、って部分もあると思います。人間の主張には理想論が目立ちます。倫理と正義だけじゃ進みません。


 人間の弱さや不完全さを冷静に見つめて受け入れる、ということができない完璧主義もまた、人を導く上で不完全であると思います。


 いじめ問題も同じです。

 いじめは最低、という意見は元から存在しますし、ダメだと言われて気付くくらいなら最初からいじめなどしません。


 否定するのは簡単ですが、それだけではどうにもならないと思います。抑圧したりペナルティを与えてもダメかもしれません。


 本気で、人を攻撃することを道楽とするサイコパスもいるでしょうし、ストレスや不安、動物的本能からくる行動なのかもしれないですね。

 一人一人ケースが違うでしょうし、新しい捌け口を考えてあげるとか、ストレスとなるものを改善するのが良さそうです。


 これも意見だけ言ったってどうこうなるものではありませんけど。


 それに被害者としては加害者に手厚いケアをするのはムカつくし、加害者を特別扱いし何らかの施設やシステムを作ったりするとそれも差別的ですし、いじめとか序列的な問題も含め学校での学びであり、人として生きてゆくための通過儀礼であるとも取れますね。



 結論……


 色々な意見を表現し、分かち合い、認め合うべきです。


 けどそんなんじゃらちが明かないですね。どうせ一個人の意見を振りかざしたって社会が動くわけじゃなし。意見など心に秘めて当たり障りなく振る舞う方が無難です。

 意見の相違により衝突したり目の敵にされたりする危険性もありますし、言うだけ損ですね。


 そんなことより相手の価値観を受け入れたり許容したりして、できるだけ多くの方と仲良くしてみませんか。


「思ったことをきちんと表現することに価値がある」と思う方の中には、仲良くすることを見下したり、仲良くするだけじゃ成長しないと思う方もいるかもしれませんが……


 人としての成長って、大切なことって結局何でしょうか。私にはそんなこと分かりません。成長しているつもりが退化していることもあるでしょうし。何を得て何かを失う、その程度の変動かもしれません。


 自分にとっては意見を戦わせることより仲良くすることの方が難しく、価値が高いです。


 結構「上手い文章」が書ける方でも人と仲良くするのは苦手なんじゃないでしょうか。文章を上手く書こうとしない人の方が「心」や「気持ち」を大切にしている確率が高そうです。

 ……失礼しました。これは私の偏見です。


 せっかく日本語が使えて会話が成立するのに、意見を戦わせるなんてもったいないです。言葉が通じるのに殺し合いをするくらい妙です。

 会話が成立する地点である程度相手と意見が同じ、あるいは感性が合うのだと思います。


 ……何してるんでしょうね、人間って。同種同士でも全然まとまりませんし。


 どうしても相容れない意見は……冷静に見られるようになったら良いですね。


 もし、

「カバ、ワニ、キリン、ライオン、シマウマがいます。誰の味方になりますか?」って聞かれたら、偏見のない人なら

「誰の味方でもない」あるいは

「みんな頑張れ!」って言うでしょうね。

 人間が介入するべき場面でなく、関わりがなければそう言えます。気楽な立場です。


「それぞれの意見」を「色々な動物」のように捉えて、「面白い生態だな~」と楽しめれば良いですね。どっかで聞いたような話ですが。


 人間は人間のことに介入するし、人間界から逃れられないので

「Aさん、Bさん、Cさん、Dさんが争っています。誰の味方をしますか?」という質問だとグッと意味合いが重くなり、回避が難しい場合もありそうですね。


 けれど気楽でありたいものです。人間いつ死ぬか分からないですし、心の通じ合う瞬間を実感することもなく終わるのはつまらないです。


 純粋に交流を楽しみ、感動し、幸せになりたい。温かさや優しさを大切にしたい。争いに時間を割きたくない。傷つきたくない。世界が平和になる方向ですべてを考えたい。

 素直にそう言えるようになって、そういうタイプの人と関われるようになりたいですね。


 心から「ありがとう」と言えるような思い出をたくさん作る。そのために生きたいです。

 こんなグダグダな長文をここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。

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