8.
今回は早苗視点ではありません。
「アシュレイ。お前はどう思う」
朝議を終え執務室で書類の整理を始めていたレーンハルトが顔を上げないままポツリと言った。書類を提出しに来たアシュレイはレーンハルトの執務机の前に立ったまま「そうですね」と相づちを打つ。
「予想以上にクリーンです。信じて良いと思います」
「私もそう思う」
そう答えてからレーンハルトは顔を上げた。アシュレイはにこやかに視線を返すだけだ。
「――――なんの話かわかってるのか?」
「伊達に長いことつきあってないよ、レーン」
切れ者と有名なこの宰相はレーンハルトの幼馴染だ。時折二人きりのときにこうやって態度をくずし人懐っこい笑顔を見せる。穏やかな顔をして仕事にきびしく、時に大胆に切り込むアシュレイのこんな表情はレーンハルトくらいしか見たことがないだろう。
「サーナ嬢のことだろう」
「ああ。実は昨夜庭でばったり行き会って」
レーンハルトは夜中の顛末を話して聞かせた。
彼が庭に出たのは本当にその場の思いつきで事前に計画されたことではない。そして警護だ何だとうるさくついてこられるのも嫌だったのでかなり人目を忍んでの行動だった。だというのに早苗と庭で鉢合わせした。これが単なる偶然でなく、実は早苗が悪人で何らかの意図を持ってレーンハルトに近づこうと画策したのだとしたら、彼女はかなり手練の間諜を放っているかすごい魔法の使い手ということになる。
「それこそ私以上の、な」
「メルファス師の細密な結界を抜けられるのはこの国一番の魔力の持ち主であるレーンくらいしかいないからな。だが彼女の魔力はゼロ。あれはごまかしようのないテストだからなあ」
早苗が王城へ来た日にやった魔力のテストを思い出してアシュレイは頷いた。計測装置はこれっぽっちも魔力の反応を見せなかった。本来なら持っている魔力に反応して、水に沈めた魔石が輝くものだ。火属性が顕著なら赤い石が、水属性なら青い石が……というように属性ごとに反応する。そして魔力を持っている者なら隠そうとしても隠せるものじゃない。
「認めざるを得ないな。確かに純粋に魔力量だけなら私の方が上かも知れないが、メルファスの結界は何というか――――こう、いやらしいんだ。緻密な上に細かくて解きほぐしにくくておまけに解きほぐした端からねっとり絡みついてくるような、なんて言うか……そう、蜘蛛の巣を払ったらそれが絡みついて取れなくなって、その先に更にまた蜘蛛の巣があって、みたいな」
かといって力業で押し切った日には衛兵が大挙して飛んでくるだろうしな、とレーンハルトは肩をすくめて見せた。
「そして昨夜サーナから聞いた話は驚いた。今まで聞いたこともないような制度を山ほど聞かされた。あんなもの、そうそう考えつくことじゃない」
義務教育の制度。給食。その辺りをかいつまんで聞いただけでもあまりにファルージャとは違う。
「そして何より、メルファス師が言っていた。魔力テスト以前にサーナには魔力を全く感じない。なのに魔力ではない暖かな力が彼女を包んでいる、と」
「女神ロリスの加護、でしょうね」
「なあ、サーナは何のために呼ばれたんだと思う?」
「正直わかりませんね。今まで必要な物資ばかりだったのに――――」
二人の間に沈黙が流れる。
「だが女神ロリスは作物では贖えない何かがこの国にあるとお考えなんだろう。だからこそ人間、それも異世界から召喚してまでお遣わしになった」
「人間でないとだめなこと、知識や技術か」
「可能性はある。とはいえサーナはまだ学生だと言っていた。特別な知識はないと」
「サーナ嬢はそう思っていても我々には有用な何かかもしれないぞ。レーン、彼女と話す時間を作ろう」
「ああ」
レーンハルトは大きく頷いた。頷いてからふと思い出した。
「そういえばサーナが仕事がほしいと言っていた」
「仕事? 例えば侍女のような?」
「何でもいいようなことは言っていた。今のところ私が考えているのはクリスの世話役だ。クリスも彼女には今のところ癇癪を起こしていないみたいだからな。
サーナはただ何もせずここにいることがいたたまれないらしい」
「とはいえ、サーナ嬢は女神の恵みですよ? いいのかなあ……」
「サーナがちょっとでも嫌なそぶりを見せたらやめる。そして続けるのも辞めるのも自由。どうだ?」
「ええまあ……そういうことなら……」
とはいえアシュレイもよくわかっている。
レーンハルトは息子クリストファーのことを心配していて、サーナに期待してしまっていることを。そしてアシュレイはそんなレーンハルトの心の負担を減らしてやりたいと考えてしまう。
(まあ、サーナ嬢本人がやりたいと言うなら良しとしましょう)
アシュレイはそう思い直して、付き人が皆一度は泣かされていると評判の王子の世話役を早苗に打診することにした。
そして早苗が二つ返事で了承したことに目を丸くするのだった。