24.
急に魔力をたくさん使った反動か、クリストファーはしばらく起きなかった。
「まあ、いわば過労のようなものでしょう」
メルファスが言った。
「少なくとも万全な体調とは言えないと思います。今日はゆっくり寝かせてあげてください。看護師をつけますのでご安心を」
クリストファーは自室で休ませることになった。抱き上げ、運んでベッドに下ろしてもすうすうと眠ったきりだ。レーンハルトはそっとその額にかかった髪をなでてみた。小さな額は少し汗ばんでいて、疲労の色が見える。
本当は側についていてやりたい。だが自分の王としての立場がそれを妨げる。
「一緒にいられなくてすまない――クリストファー。ゆっくり休んでくれ」
申し訳なさそうに小さくつぶやきもう一度頭を撫で、レーンハルトは立ち上がった。その表情は子どもを心配する父親から既に王の顔になっている。
「メルファス、行くぞ。アシュレイが会議の支度をして待っている」
看護師が深く頭を下げるのを後目に二人はクリストファーの部屋を出て行った。
「問題点はいくつかあります。一つ目はセベートがどこから城内に侵入したか。本来なら王城付近には生息していない虫ですから、当然なにかに紛れてきたか、あるいは誰かが連れてきたかだ。つまり『偶然』なのか『故意』なのかが問題になります。
そして二つ目は、これが『故意』なのだとしたら目的は? あの場には実際にセベートに刺されたサーナ様とすぐそばにクリストファー殿下がいらっしゃいました。本当にサーナ様が目的だったのかどうか、ひょっとしたら殿下が標的だったという可能性も捨てきれない」
アシュレイが淡々と書類を読み上げる。今ここレーンハルトの執務室にはレーンハルト、アシュレイ、メルファスの三人が集まっている。
「本来なら軍のランゲ将軍も呼ぶべきだと思うんだが――」
「将軍にはサーナ様とクリストファー殿下の護衛、それからセベート騒動の後始末をお願いしております。後で報告しておきます」
「まあランゲ将軍だからな」
「ええ、腹芸とかできそうにないですから。それで話の続きですが」
容赦なく切り捨ててアシュレイが話を続ける。
「正直『偶然』はないと思っています。セベートの生息地から王都は遠すぎる」
「はい、セベートが好むのは温暖で湿潤な気候。たとえ荷物に紛れ込んで運ばれたとしても、王都に到着するまでに死んでしまうでしょう」
メルファスが補足を入れ、レーンハルトもそれに大きく頷いた。
「そう、王都にはいない虫なんだ。おまけにその毒にはかなりの即効性がある。クリスの証言、そしてメルファスが通りかからなかったら原因を特定できず最悪サーナが命を落としていた可能性の方が高いだろうな」
「つまり仮にこれが故意に引き起こされたことなら、かなり確実な手口ということですね」
セベートに刺された毒は一秒でも早い処置が大切になってくる。もしメルファスがいなければ「セベートに刺された」という正解にすぐたどり着けたかどうか怪しい。何しろこのあたりにはいないと思われている虫だ、症状が近しくても「セベート」という単語が思い浮かぶかどうか。
考えれば考えるほどそうとしか思えなくなってくる。
「いや待て。誰かがサーナを殺そうとしたなら動機は何だ?」
レーンハルトか顔を上げた。アシュレイは難しい顔をしている。
「サーナ様がいなくなって喜ぶ、あるいは得がある人物ですが、端的に考えれば先日サーナ様に暴言を吐いた令嬢のように、あの噂に振り回された人物というのが第一に考えられます」
「確かに考えられるな。他には?」
「他に――そうですね、殿下の世話役という立場を狙っている人間、とか可能性を挙げればきりはありませんが」
三人で黙り込む。レーンハルトやアシュレイの近くにいる存在ということで、その立場を妬んだり欲しがったりする人間はいるだろう。だがそれですぐ「殺してしまえ」となるのはあまりに短絡的すぎる気もする。
「では逆に、サーナ様ではなくクリストファー殿下の命を狙っていたものだとしたら?」
「普通なら王太子に一番近い殿下を弑して――とか言うところですが、今のところ殿下の次に次代の王にふさわしい魔力量をお持ちなのはフィザール公爵キース様ですが、キース様は――」
「あの人は全く興味ないだろう。王座というものに」
「はい。むしろ王座を毛嫌いしている節も」
「だよな。その次は?」
「前フィザール公爵フランシス様ですね。でもフランシス様はもう御年八十を超えていらして」
「まあ年齢的なこともあるが、やはりキース同様フランシスも王座には全く興味がない」
「そうなりますとその先は正直王座につくには心許ない魔力量の方々ばかりです」
アシュレイが語ったことは本当だ。今現在王として立てるだけの魔力量と資格を保持しているのはクリストファー、キース、フランシスの三人だけ。そう、魔力量と資格のある者は。
三人の間に思い沈黙が落ちる。アシュレイは眉を寄せ、必要もないのにパラパラと書類をめくって言いにくそうにしているし、メルファスは長いあごひげを指で撫でながら「先を続けろ」と言わんばかりにアシュレイの方をチラチラと見ている。
わかっている。二人が頭の中でどんな結論にたどり着いているのか。レーンハルト自身も同じ結論にしかたどり着けないのだから。
仕方なくレーンハルトはその人物についての話題を自分から振ることにした。
「――あとは一人しかいない。それだけの魔力を持ちながら、王位継承権を持つことができない人物、二人ともわかってるんだろう?」
「は、申し訳ございません」
「ですな。陛下を裏切り王位継承権を剥奪され追放された男――ジェラール」
メルファスが低くつぶやいたその名に自然とレーンハルトの顔がこわばった。
王族、それもレーンハルトの叔父に当たる男ジェラール。叔父と言ってもレーンハルトと年はそれほど離れているわけではない。レーンハルトの父テオドールとジェラールとは親子ほど年の離れた兄弟だったので、むしろレーンハルトの方が年齢が近いほどだった。確か今年で三十五歳ではなかったか。
ジェラールはとても頭がよく人当たりのいい男で、周囲からは慕われていた。だがその実彼には二面性があり、野心家な上笑顔の裏で他人をあざ笑うような面も持ち合わせていた。ごく近しい親戚としてジェラールを見てきたレーンハルトは正直彼が苦手だった。
ジェラール自身もレーンハルトに対しては人当たりよく接してはいたが、なぜかあまり深入りしてこようとはしなかった。
やがてレーンハルトが即位し、そして起こったジェラールの裏切り行為――
「彼はキース様たちと違い野心家です。あの事件で王位継承権を失ったとしてもなんとか国の実権を握りたいと考えていても不思議はない。ただ――所在は不明です」
「メルファスにもわからないか」
「申し訳ございません――とはいえ、もしもジェラールが殿下のお命を狙ったのだとしたら少々腑に落ちませんな」
「というと?」
「ジェラールには殿下を殺めてもなんの得にもならないと言うことです。王位継承権を剥奪されたジェラールには、殿下ではなく陛下を狙ってクーデターでも起こさない限り王になることはできないからな」
「確かにな。ということはジェラールには動機がない、ということか」
まあこの話はここまでにしよう、とレーンハルトは大きく息を吐いて椅子の背もたれに寄りかかった。
そもそも「クリストファーが狙われたのなら」という前提の元の話だ。誰が狙われたのかもはっきりしない現段階では机上の空論にしかならない。
「そうですね。可能性の一つとして考えておきましょう――それに実際に害されたのはサーナ様。すべての可能性は捨てず、まずはお二人の安全対策が第一です」
そうして話を一区切りさせ、三人はサーナたちの護衛計画について話し始めるのだった。




