第一話
金銭価値について。
銅貨10で青銅貨1
青銅貨10で銀貨1
銀貨100で金貨1
金貨100で大金貨1
大金貨100で白金貨1
「アーサー! そこの薪を纏めておいてくれ」
「わかった、父さん」
まだ昼前という頃合い。最後の薪が斧によって叩き割れて心地良い音と共に左右に分かれる。ほのかに浮かぶ汗を腕で拭いながら、散った薪を纏めて縄で一束に纏めた。
「それが終わったら昼まで好きにして良いぞ」
「うん、それじゃあいつもの所に行ってくる」
木製の小屋の中に薪を積み上げた後、俺が向かうのは村の先にある広い平原。少し丘になっており、そこから見下ろせば一面の緑が風に靡き薄らと白銀の波を作り出す。そして、目当ての『モノ』も目に映った。
「よしよし、今日もちゃんといるな」
確認出来たのは薄い灰色の体毛に覆われた狼達。あいつらとももう五年の付き合いになる。
だが、別に仲良しという訳ではない。向こうが俺をライバル視しており、俺はあいつらから逃げるだけ。そういった関係が五年も続いていた。始まりの切っ掛けはそう、今日の様に晴れ晴れとした日だった。
当時の俺はまだ十歳で、農作業もそれほど重労働を行える体ではなかった。とは言え働かざる者食うべからず、食事事情は安定していても、動ける力を放置する余裕は農村には無い。俺の様な子供は雑草取りや大人たちの狩猟に着いて荷物持ち、飼い馬や家畜の餌やり、水汲みというのが基本だ。日の出から昼まで働いた後は自由となり、そこで俺はちょっとした欲を出してしまった。
村から出て少し先、平坦な道からやがて小さな丘を登った先には平原が広がっている。離れた位置には森があり、つい最近は狼の群れが平原近くに出没するので村から出るなと注意されていた。『ハンター』と呼ばれる存在も狩猟依頼として森に向かっており、だからこそ俺は安心してしまっていた。
狭くない、誰にも独り占めされることのない広々とした平原は遊び場として最高であり、自由に走り回った。そんな時だった。横から何かが走って来るのが見える。灰色の毛皮に身を包み、素早く近寄って来るのは狼だった。数は三匹、でも十歳の子供程度ならば捕まえて餌にする事は訳も無い。
俺は泣きながら走った。ただがむしゃらに走った。距離が離れているとはいえ、走り回り獲物を捕まえる事に特化している狼と、普通の子供。どちらが素早いかなど説明は不要だろう。
徐々に徐々に近づいて来る。威嚇するようなグルグルとした唸り声が大きくなり始め、足音も耳に入り始めた。怖い、怖い、助けて欲しい。死にたくない。そんな一心で走っていた時だった。どうやら俺は平原を抜けていたらしく、先にある更に丘の下り坂を走っていた。
――楽しい。
今まさに命を懸けて走っているというのに、頭の中に浮かんだ感情がソレだった。別に命のやり取りが楽しい訳ではない、風を感じて、景色を追い越して走る。体に感じる風の抵抗が気持ちよかった。下り坂で勢いを増す加速がただただ楽しかった。そして背後を見れば、未だに追いかけて来る狼達。だが、既に距離を徐々に徐々に離し始め、更に加速する俺にとうとう突き放されて諦めていた。
そして俺は、気付けば隣の村まで走り込んでおり、翌日に村まで送り届けられ、こっぴどく怒られたのである。それ以来から俺はただただ速さを求める様になった。手伝いを終えた後は平原を全力で駆け抜けた。時に思い切り転んだり、景色が過ぎ去る感覚で速さを求めようとした結果、森の側面を走っていた所で木に激突したりと、ボロボロになって帰ってくる度に親に怒られた。
そのお陰か今だと頑丈になったのか、加速したまま木に激突すればむしろ木が耐えきれずに折れてしまう程だ。大人程度の大きさの岩ですら突進で砕ける様になった時は流石に笑ったのだが、新たに農地を開拓する為に、村の横にある森林を開拓していたのだが、大きな岩石を突進で砕いて回る様になってからは慣れてしまった。大人たちからは心配と同時に、大きく笑われたが今では誰も何も言う事は無い。
そして目の前にいる狼。こいつも俺が走り回っていた時に遭遇した狼で、当時は森の入り口で怪我をして倒れていた子供の狼だった。野生の、それもそれなりに知恵が回る動物にエサをやるとそれを学んで催促に来る為、絶対に餌付けをするなとは言われたが、心細いのか鼻を鳴らしながら鳴いているのを見て捨て置くのは心が痛む。なので介抱したのだが、結果としてやはり懐かれてしまい、村まで着いてきた時は大人が大慌てしたのだが、今では番犬代わりで、森に暮らす事を条件として近づくのを許可されている状態だ。
「さぁ、走ろうかラムレー」
「ウォン!」
小さく、しかし鋭く力強い鳴き声を確認してから走り出す。最初は小走りで馴らす様に、そこから徐々に徐々に速度を上げる。毎日鍛えているお陰かラムレーも当初よりも素早くなった。村の伝令役として利用されているので、そこいらの伝書鳩や早馬なんかよりも圧倒的に素早いのが良い点だ。
「ラムレー、ちょっとだけ飛ばすから気を付けてね」
「バウッ!」
そして、これは必ずやらないといけない。それは、現状で出せる最高速度で走る事だ。日に日に速度が上がるのを実感しているが、数日程、ある程度速度を抑えた状態で走り込んで居たら目に見えて最高速度が遅く感じられてしまったのだ。それだけは絶対に嫌だ。なので、全力で走る瞬間を少しだけ作る様にしている。ラムレーに注意したのは、その際の衝撃や風で吹き飛ばされない様にする為だ。前に一度ラムレーが遠くに転がってしまい、途轍もなく怒られた。
「フッ!」
空気が張り裂けた様な音が聞こえる。まるで首を素早く何度も振るったかのように景色が歪み細い線が世界に走る。速く、速く、もっと速く。音よりも先に行きたい。しかしだ。
「……此処も狭くなってきたなぁ」
視界の先にあるのは隣の村だ。距離としては本来ならばかなり離れているのだが、これ以上続けてしまえば被害が出てしまう。これが今の限界、正直言ってモヤモヤする。だからこそ、俺は一つ決意をしていた。それは、ハンターになるという道だ。
ハンター、それは聞こえは気軽だが実際の内容は非常に厳しく難しい道だ。ただ腕っぷしに自慢があるだけの人間では到底続ける事が出来ず、大怪我をして引退したり、そのまま帰らぬ人となる事もザラな危険な職業だ。加えて、一定の才能、つまりはまず『ハンター』に登録できるかどうかの判断があるが、それに通らなければ大人しく後戻りするハメとなるのだ。
ハンターとして登録するにはハンターギルドにある道具を使って契約を行い、狩猟の女神であるアルテミスの加護を授かる事で『ステータス』という物を獲得し、晴れてハンターとして活動する事が可能となる。ステータスには五つほどあり、体力、筋力、防御力、敏捷、魔力が数値化される。これらの数値は生まれ持った才能や鍛錬などによっても反映されるそうだ。故に、ハンターになるにはまず前提としての条件を幾つもクリアしなければならなくなる。
「父さん、俺ハンターになろうと思うんだ」
「なればいいんじゃないか?」
昼も過ぎて夕方、家に戻った俺は不安を抱えながら胸の内を告白したのだが、非常に淡泊な返事だった。
「もうちょっと止めるとか、そういうのは無いの?」
「そもそも農民がハンターになれるなんてほぼほぼ無理さ。ああいうのは貴族みたいな生まれつき才能がある人間や腕のある傭兵が認められるもんさ。まぁ、お前は王都に行った事もないだろうし、一度はいい経験だ、ちょっと旅でもしてみると良い。王都まで気の向くまま走れば気分も紛れるだろうさ」
父さんはどうやら、俺がハンターになれるとは一切思っていないらしい。確かにハンターになるには難しいとはいえ、こうまで期待されていないとなれば俺だって悔しい。その後は乱暴に扉を開け放って自分の部屋に戻り、明日に備えて出発の準備をして即座に眠る事に決めた。
働いた際のお小遣いなんかもこんな農村では使い道は無い、だからこそこまめに溜めて今では銀貨が二十枚。王都で数日寝泊まりするくらいなら問題ない。
「そうだ、これを持っていけ。一応の護身用だ」
「なにこれ。父さんが持つにしては随分と立派な篭手と脚甲だね」
「お前が開拓してくれた岩場に小さな祠があってな。その中の木箱に置いてあったんだが、錆びは取ったが妙に重くてな。体力もあるお前になら問題ないだろう」
貰えるのなら貰っておく。その篭手と脚甲は何故かサイズがピッタリだったが、父さんが言う程重さは感じられない。それを装着して、いざ目指すは王都だ。王都行きの馬車を使えば数日程で到着するが、俺にはそんな物は必要ない。むしろ遅すぎて利用する気にもなれない。何せ俺が全力で走れば、現在の早朝から全力で走れば、計算上は夕方には王都に到着出来る筈だからだ。
「じゃあ、行ってきます」
暫くは帰ってこれない心づもりのまま、地面を強く蹴って駆け抜ける。王都はこの村から北北西の位置。超広大な幾つもの街を支配下に置くこの王国、ペンドラゴンはそれこそ果てがあるのかと言わんばかりに遠い。俺の住む村も大陸全土で見れば王都に近い方だ。これ以上東はあまりにも距離があり過ぎて一切情報が無いくらいだ、意図的に情報収集しようとしなければ何一つとして話題が手に入らない程の大きさと言えばしっくりくる。
「っ、ハッ! ハハッ!」
無駄な考えは止めて走る事に集中するが、気兼ねなく走れるというのは心地いい。ラムレーに挨拶しようか考えたのだが、アレは村の人にも懐いているし最後の別れという訳でもないので問題ないだろう。正直言うと、今でもハンターになれるかどうかはかなり不安だ。強気で出たものの、確証なんか一切無い。
さて、既に村を幾つも飛ばしてなおも全力で走っているが、やはりというか当然というか、道中の魔物とは一切遭遇しない。街道の移動に馬車が勧められる理由の一つに、必ず護衛のハンターが数人宛がわれるからなのだが、この速さには自信がある。相当な相手じゃない限りは魔物相手ならぶっちぎれる自信があるからだ。
「おっ、こいつ速いな」
途中、俺に追いすがる形で飛んでくるのは『ソニックイーグル』と呼ばれる、風属性の加護を持つ鳥型の魔物だ。大きさはおよそ三メートル程で巨大だが、彼らは人間を襲う事は無い。というのも、繁殖期以外では非常に温厚であり、俺の様に、素早い相手がいたり、馬で走っている相手の横に並んで飛翔し、速さ比べをするお茶目な部分もあって王都では非常に人気が高い。軍ではこれを飼いならして移動手段に使用したり、伝書鳩では間に合わない危急の連絡を任せる事もあるらしい。
「よっしゃ、負けないからな」
「ピィヨロロロロ!!!」
お互いの視線が交差した瞬間、一気に加速する。今までの全力以上に更に素早く。風の抵抗を抑える為にやや前かがみになりながらひたすらに走った。ソニックイーグルも負けじと追い付いて来る、速いと言われるだけあってやはり流石だ。けど、負けない。それならこっちだって本気だ。
途中、少し立派な王都行きの馬車、恐らくは個人の馬車が横を通りすがったが、遠目からは確認できなかった為にそのまま横を思い切り通り過ぎさせてもらった。もし何かしら被害が出たら事だが、まぁ俺の姿なんてそうそう捉えられる事は無いだろう。
「ハハッ、俺の勝ちだ!」
やがて、ソニックイーグルから徐々に徐々に差をつけ始めた頃、ソニックイーグルは突如として反転し、速度を殺して上空へと舞い上がった。
「おっ、羽根だ。なんか縁起がいいな」
まるで俺が勝った事を称える様に、俺の上空を何度かぐるぐると回ったソニックイーグルが俺の前に降り立ち、嘴に咥えた羽根を俺へと差し出してくれた。あれか、勝った事を祝ってくれたのか。良い奴だなお前。もしハンターになって、繁殖期になって暴れるソニックイーグルの討伐依頼が出たとしても、お前を狩る事だけは避けたいな。
貰った羽根はポーチへと大事に仕舞って、再び走り出す。時間としてもそろそろ夕方に差し掛かる頃だ。空には薄らと夕方のオレンジ色が目立ち始めた。そこからもう少し走れば、ようやく見えた、王都。遠目から見てもわかる巨大さと賑わい。それを見た瞬間、なんとも言えない高揚感が起こる。何かが起きる、そんなワクワク感が胸の内にあった。
逸る気持ちを押さえながら、俺は王都への門へと走り出した。