その3
ポメ子の吠える声で目が覚めた。
一階でママが「静かに!」と言っているのが聞こえる。
ポメ子はうちで飼ってるポメラニアン。名前が安直なのは知っている。
躾けてあるから、そんなに無駄吠えしない犬なんだけど、どうしたのかなと思った。
瞼をこじ開けて時計を見ると、12時過ぎ。
「やばい……今日は早く寝ようと思ってたのに……」
最近寝不足気味だったから、いつの間にか自室の机で寝落ちしていた。
半分寝惚けたまま、ベッドへダイブしようとしたとき。
スマホの音で一気にバチッと覚醒する。発信者はリリだった。
『乃亜、起きてる?』
通話開始した画面の向こうから、リリが話しかけてくる。
背景は真っ暗。リリの左斜め上で街灯が白く光っている。
「起きてるよ。どした? 外?」
こんな時間に、コンビニでも行ってたのかと思った。しかし私が細かいことを聞く前に
『うん、今、家の前でね……』
小さな声で話すリリは普段着。くつろいだ感じの白パーカーだった。
『まゆるがいる』
「ま、マジ!? 帰ってきたの!?」
リリの一言に私は机の上で跳ね起きた。
あれ以降、まゆるは行方不明だった。
学校からは『家出』の可能性が高いと、昨日の保護者会で報告があったそうだ。
『家庭状況』、『学校の成績不振』、『失踪寸前の友達との会話内容』。
等々の理由から、そう判断されるということだった。
『家庭は冷え切っており』
『勉強のペースに追いつけず成績は落ちる一方で』
『些細なすれ違いから、仲の良い友達にも無視された気がして』
まゆるは、ふらっと遠くへ行きたくなってしまったと。
思春期の子供には、そういう過剰な繊細さも不思議ではないという説明だった。
それが急展開。最後に連絡があった日から一週間。まゆるが帰ってきた!
と同時に、リリの異様なテンションの低さが引っかかる。
まゆるが帰ってきたら、この子は大爆発でぎゃーぎゃー大喜びすると思っていたのに。
「まゆる、大丈夫? 具合は? 結局今までどこ行ってたの?」
『わかんない……さっきから話しかけてるのに、全然返事しないの』
変だ、と感じた。
『返事をしない』まゆるだけじゃない。映っているリリの顔が強張っている。
暗い中で、ライトの具合でそういう風に照らされて見えることも考えた。
でも、それだけじゃない。
親友のまゆるが帰ってきて、目の前にいるのに真っ青になっている。
そういえば、まゆるは何でリリの家に行ったんだろう?
リリはどうして外にいるんだろう?
「……どうしたの? まゆると話せないの?」
不穏な予感に押されるように質問した。
『まゆるが、おかしいんだよ』
震えるリリの答えは、私の質問と食い違っている。
「おかしいって? ケガしてるの?」
『……ケガは、してない、みたい……でも』
状況を確認しようとする私へ、目線を前方へ向けたリリが途切れ途切れで言う。
『足が三本ある……』
何言ってんのこいつ?
でも狭い画面越しにも、怯えたリリの表情と唇がワナワナ震えているのがわかる。
リリの目はさっきからスマホで話している私ではなく、目の前の『まゆる』に釘付けになっていた。
「ねぇ、リリ?」
つとめて普段どおりの感じで、リリに声をかける。
「まゆる、そこにいるんでしょ? まゆるにスマホ渡してくれない? 私も話したいから、代わって」
『ダメ、そんなの出来ない』
「どうして? じゃあカメラだけ、まゆるの方に向けてみるとか、出来る?」
『出来ない、無理、無理、怖くて、動けない……動けないよおッ!!』
リリは絶叫して突然、うああああー……! と泣き出した。
動けない? 怖い? 何で? 口以外、指も動かせないの?
「リリ、ちょっと落ち着いて。落ち着こう」
深夜の道端でぼろぼろ泣きじゃくっているリリへ、必死に呼びかけた。
この子、パニックになってる。
きっと、まゆるに普通じゃないことが起きたんだ。それを目の当たりにしてリリは混乱してるんだ。
でもこれじゃ、まゆるがどんな状態なのかもわからないから、二人を助けることも出来ない。
部屋で話していてもダメだ。そばに行ってあげないと。
そう判断し、スマホ片手に、椅子に放り出してあった鞄を取って私は部屋のドアを開けた。
「今、リリの家の前にいるんだよね?」
『うん……』
階段を駆け下りながら尋ねると、リリが嗚咽まじりで返事する。
「わかった。私もすぐそこ行くから、このまま切らないで話し続けて」
『うん』
「少し時間かかるけど、大丈夫だからね」
『うん』
玄関で靴を履きつつ、リリと会話を続けていた。
その私に、リビングから飛び出してきたポメ子がキャンキャン吠えて飛びついてくる。
「ポメ子、静かにして!」
「乃亜? どうしたの? リリちゃん?」
ポメ子を叱っている私に、パジャマを着たママが顔を出して聞いてきた。
「まゆるが帰ってきたんだって。今、リリの家の前に一緒にいるみたい。行ってくる」
鞄を肩に引っ掛け、振り返る。
後でよく考えたら、出掛けるって親に言うのも忘れるところだった。
「本当!? 良かったあ! 待って、ママ車出すわ! 迎えに行ってあげよう!」
ママがそう言って車のキーを取り、大至急出てきてくれた。
よし、これでリリの家に早く着ける。車なら10分くらいで……と思ったとき。
「リリ?」
もう一度見たスマホの画面に、リリがいなかった。
画面に映っているのは暗闇で、街灯の白い光が片隅に映っている。
リリのスマホが、地面に落ちてる?
持っていた人は?
「リリ……? リリ! どこ行ったの!?」
返事はない。リリもいない。
そうだ。
ポメ子の鳴き声に気をとられて、私はリリから目を離してしまった。
『話し続けて』って自分でも言ったのに。
私は「やっちゃった」と呟いていた。