狐塚喫茶店4
一体どれだけ走ったのだろう。
額から汗が滴り、頬を伝って地面に落ちていった。
更に落ちようとする汗を手で拭いながら、息を切らしていた。
中腰の姿勢で息が整うまで、しばらくそうしていると、息が落ち着いてきた。
ふぅと一呼吸と共に顔を上げると、辺りは見覚えのない所だった。近くの広場にある時計を見上げると、走り出してから、まだ10分程度しか経っていないようで、もっと走った気持ちだったのが、ちょっと落ち込んだ。ただふと右手をかざしながら空を見上げ、
「あっついよ~」
少女、折村可愛は太陽に向かってぼやいた。それでも太陽から容赦なく降り注ぐ暑さにうだりながら、幼さが残る少女が顔を振ると右に一つ結びにした髪が犬の尻尾のように同時に揺れた。顔に残る暑さを飛ばせるかと試したが、全然暑さが飛ばず、むしろ下手に動いたことによって暑さが増した。
次に少女はワンピースの服の首元をパタパタと仰ぎ風を送るが、雲一つない太陽の真下では、そんなそよ風には負けない勢いで太陽が照らし、暑さがまとわりついた。
どこか日陰にでもと思い、辺りを見渡すと、立ち並ぶ商店街の中にある一軒の喫茶店
“狐塚喫茶店”に目が止まった。
店自体はレンガ造り風に見せた壁紙が目に付く入り口で中の様子は外との明るさの違いでよく見えなかった。ただ入り口横に並ぶショーケースに目を惹かれた。詳細にはそのなかにあるオレンジやケーキに目を惹かれていた。
10分程度ととは言え走り続けた為、汗をかき、喉が渇いている。そんな状態でおいしそうなジュースを見せられ、更には好物のケーキを見てしまっては興味を惹かれてしまう。
ふと肩から提げている赤色のポーチを開き、中からピンク色のサイフを取り出し、サイフのジッパーを開いて中を確認した。小銭を確認して、ジッパーを閉じた後、サイフを手に持ったまま、店の前にあるショーケースに近づいていった。
ショーケースに並ぶオレンジジュースの値札をしげしげと見た後、ほっとした表情を浮かべ、入り口の木製の扉の取っ手を掴み、ぐっと押した。
――カランカラン
「いらっしゃいませっ!」
扉を開くと同時に目の前でウェイトレスが笑顔で迎えた。見た目の明るさが反映されたかのような茶髪のショートの女性ウェイトレスは入ってきたお客さんが少女だと気が付くと、目線を巡らせた後、穏やかな微笑みに変わり、膝を曲げて、目線を合わせて、
「お嬢ちゃんは一人かな?」
心配そうに尋ねるウェイトレスに対して、
「うん一人だよ。 お金なら大丈夫!」
少女は手に持っていた財布を掲げ、一人で客として来たのだと胸を張って主張した。ウェイトレスはその姿を見て、
「ではお客様こちら案内します」
曲げていた膝を伸ばし、店内奥に片手を向けた。
案内された席は入り口付近のテーブル席であった。
店内にはウェイトレスさんとカウンターで隠れて見えないが、カウンター内から物音を立てている店員が一人いる以外人はおらず、空いており、またカウンターでは椅子が高い為、テーブルの席に案内されたのだろうと子供心ながら感じた。
席に着くと先程までの疲れが一気に安らぎを感じた。クーラーの効いた店内にふかふかの座布団がひかれた椅子の座り心地が良かった。くつろいでいると、先程のウェイトレスが笑顔でメニューと水を持ってきた。
机に置かれた水を見て、意識するより早く水の入ったグラスを手に取り、一口飲んだ。
氷でキンキンに冷えた水が口の中に入り、喉を通っていくのを感じ取り、
「んんっ~~~!」
水の心地良さに思わず声が漏れていた。気にせず二口目に口を付けていたところ、
「またメニューが決まったらお姉ちゃんを呼んでね」
笑顔を浮かべ店内奥の方に去っていった。
「あっ……」
メニューは入る前に決めていたので、すぐに注文しようと思っていたが、つい水に気を取られて、注文するタイミングを外してしまった。ウェイトレスを呼んで注文しようかと考えがよぎったが、水で喉を潤したこともあり、ゆっくりとメニューを見てみることにした。
メニューをめくると、料理やドリンク名と一緒にいくつかの写真も載っていた。色々な写真に目を惹かれ、どれにしようかなと悩んでいると、
「幹ちゃんちょっといいかな」
カウンターの奥から女性の声が飛んできた。その声に奥にいたウェイトレスは、はい?と答えながら、カウンター近くまで寄っていくと、
「お使い頼まれてくれるかな?」
「ええっ!? 今ですか?」
「そうちょっと材料が足りなくなってね。今なら私一人で対応するから、行ってきてもらえないかな」
カウンター内にいる女性が折りたたんだ紙と財布を手に持ちながら、ウェイトレスに差し出すと、ウェイトレスは渋々といった表情を浮かべながら、それらを受け取り、折りたたまれた紙を見て、
「あ、はい分かりました。じゃあ行ってきますね」
店の奥にある部屋に入り、少しするとウェイトレスは制服の上にジャケットを羽織、外に出ていった。
ウェイトレスが出ていく後ろ姿をメニューに目を落としつつ、横目で眺めていると、
「注文は決まったかい?」
上から声が聞こえ、パッと顔を上げるとそこには、黒髪を後ろにまとめて、メガネをかけた長身の女性が立っていた。
その長身に少し威圧感を感じていると、女性も少女の反応に気が付いたようで、腰をかがめ、
「注文は決まったかい?」
改めて言われ、ついやりとりに目がいき、決めていなかったことに気が付いた。改めてメニューに目を落とし、その中の写真が載っているジュースが目に入り、
「これをお願いします」
そのメニューを指差しながら注文した。
女性は手に持っていた伝票に書き込み、
「かしこまりました。ではお待ちください」
そう言い、女性はカウンターの奥に戻っていった。
少女は女性を見送った後、改めて手元のメニューに目を落とし、頼んだメニューを確認し、最初考えていたのとは違ったが、これも興味があったからよかったかと考え直した。
待っている時間はそう長くはなかったが、外でかいた汗がひくにはいい時間だった。
「どうぞ、お待たせしました」
そう言って女性は目の前テーブルにコースターを敷き、その上に品を置いた。
目の前にある品をさっそく飲もうと思い、グラスをコースターごと手元に寄せ、ストローで吸った。
口に入った瞬間の爽やかで甘い味と香りが付きぬけた。
「このアップルジュースおいしい~!」
飲んだ感想がそのまますっと口から出た。
一口飲み余韻を楽しんだ後、ふと落ち着いた拍子に今まで思い出さないようにしていたことがよぎって、機嫌が悪くなり、机につっぷした。
「どうかしたかい?」
先程ジュースを持ってきた女性、“狐塚 紗江”とネームプレートを付けた女性が尋ねてきた。
「せっかくおいしく心地良くしていたけど、ちょっと嫌なこと思い出しちゃって」
机につっぷしたまま、頬を膨らませながら少女はつぶやいた。
「そうなのかい。」
女性はつぶやき、テーブルの向かいの席に腰掛け、
「よかったらそのことを話してみるかい? 少しは気が晴れるかもしれないよ」
女性は頬杖をつきながら尋ねてきた。
確かにむしゃくしゃしたままで溜めこんでいるより、女性が言うように吐き出すことで、すっきりするかもしれない。
そう考え、少女は頭に抱えている事を話し始めた。
昨日の事
「痛ったいな~。何するのよ」
「そんな髪を揺らして油断してるのが悪いんだよ」
あたしは引っ張られた髪を掴んでいる目の前の少年の手に向かって、思い切り右手拳を振り上げるが、少年はそれに気が付き、髪を離して一歩離れて避けられた。掴まれた髪を手で梳きながら、目の前の少年を睨み、
「もういきなりこんなことしていいと思ってるの、この馬鹿!」
語気を強めながら主張すると、少年は一瞬うろたえた表情を見せるが、
「そんな怒った顔をしてるとぶさいくになっちゃうぞ。 キュ・ア・ちゃん」
あたしの名前可愛にかけて、馬鹿にするようにからかってくる。そんな少年に向かって指差し、
「そんなへっぴり腰でからかわれてもねぇ。もっとどっしり構えないとね。 ガ・イ・ア君」
目の前の少年大地の名前にかけて馬鹿に仕返しした。
「べ、別にへっぴり腰じゃないやい」
言われて気にしたのか、背筋を正した。ただ、勢いよくした為、まるで反省されられて気をつけの姿勢を取っているように見えた。
その姿勢に思わず、ぷっと吹き出してしまった。すると大地はその笑いに苛立ち、詰めよって来ようとした。それに対して今度こそ手をはたいてやると意気込み右手を振りかぶる気持ちでいると、
「可愛。もうご飯よ。」
公園の入り口から声がして、そちらを振り向くとママが手を振って呼んでいた。
辺りを見渡すともう夕方になっていたようだ。気が付かず、もうこんな時間になっていたんだなと思っていると、ママが近づいてきた。
「あら大地君こんばんは」
「……こんばんは」
挨拶された大地は伏し目がちに挨拶を返した。
「じゃあ可愛帰ろっか」
そう言うママに対して、
「待ってこの馬鹿に仕返しをしてからじゃないと!」
さっき髪を掴まれた仕返しをしないと気が済まないと思い、大地の方を睨んだ。ママは困ったような表情を浮かべながら、
「もう馬鹿とか言わないの。それで一体どうしたの?」
「さっきこの大馬鹿に髪を掴まれたり、人の名前を馬鹿にしてきたの!」
「いやいやそっちだって人の名前を馬鹿にしただろっ!」
ママに説明をしている中、大地は違うだろと言ってきた。
そんな二人の様子をママは見比べ、くすっと笑みを浮かべ、
「可愛ちょっと待ってて、大地君とお話してくるから」
そう言って、大地の方に向かって行った。いきなり近づいてきたママに怒られると感じたのか、大地は身構えたが、ママは大地の近くで腰をおろし、大地に耳打ちをした。
何を話しているんだろうと不思議に思いながら、その光景を眺めていると、
「そ、そんなことないやい」
顔を真っ赤にしながら叫んで帰っていった。
その様子をポカンとしながら眺めていると、ママが歩いて戻ってきた。
「一体大地に何を言ったの?」
不審そうな眼を向けて言うと、
「ふふーん、内緒」
笑顔のまま応えるが、納得できず頬を膨らましていると、
「まぁまぁ、大地君今度からは、もう少し落ち着くと思うから」
頭を撫でながら優しく微笑みを向け、
ぐーっ
お腹の虫が盛大な音を鳴らした。その音にさっきまで怒りで顔を赤くしていたのが、恥ずかしさで顔が一層赤くなった。
「じゃあ帰ってご飯にしようか」
ママと一緒に家に帰った。
家に着いた後、
「ご飯もう少しかかるから、その間にお風呂に入っちゃいなさい」
促されるまま、洗面所に行くと、パジャマが用意されていた。帰ってきてお風呂に入らせる予定だったのだなと思いながらも、お風呂に入った。
湯船につかると、先程まで大地と揉めていた時のもやもやした気分が少し拭われる気がした。
そのまま身体がぽかぽかになるまでつかり、お風呂から出ると、おいしそうな料理の匂いがして急いで着替えた。
キッチンを覗くとママが鍋をおたまでかき混ぜている様子が見えた。
何かなと、匂いで分かっていながらも鍋の中を覗いてみると、予想していた通り、鍋の中実はカレーだった。
ママがもうすぐできるから食器の準備をするようにと言い、それに従い食器棚からお皿を鍋の近くに置き、スプーンとコップを取り、食卓にあるテーブルの上にママとあたしの所にそれぞれ置いた。それから冷蔵庫からお茶を取り出し、ママの分とあたしの分にお茶を注いだ。
準備完了と共に料理ができたと言われ、キッチンに向かうと一つの皿にカレーが盛られていた。それを嬉々として運び、席に着くと、少ししてママも鍋の火を消し、皿を持ってきて食卓に着いた。
「「いただきます」」
揃って言い、食事に手を付けた。
料理を食べ始めていると、
「今日は楽しく遊んでたみたいね」
「そんなこと無いよ。なにかある度に大地がちょっかい出してくるもん。それにこの間なんか……」
大地の普段の愚痴を伝えていると、
「そうなんだね」
ほほえましそうに聞いていた。こっちの苛立ちを分かってくれず、さっきも何であんな対応したんだろうかと疑問を感じた。
それからは、大地の話しを止め、学校の事等たわいもない話をしながら料理を食べ勧め、
「ごちそうさまでした」
手を合わせ、そそくさとお皿を流し台の方に持っていこうとすると、
「きゅ~あ~」
ママが怒気を含んだ声で呼びかけた。
その声に手に持っていたお皿を咄嗟に後ろ手に隠そうとするが、母親は逃がすまいとその手を掴んだ。目の前にさらされたそれは……
皿の隅に寄せられ残った玉ねぎだった。
ママが何故玉ねぎを残している理由を尋ねきたから、
「だって嫌いなんだもん。苦くておいしくないし」
「もうそんな好き嫌いせずに食べなさい!」
叱られて食べ終わるまで、ごちそうさまは駄目だと言われ、嫌々ながら席に戻り、しばらくその玉ねぎをスプーンでつついた後、皿を掴んで口元を皿の端に付け、スプーンで残った玉ねぎに狙いを定め、一気に口の中にかきこんだ。そして手元にあったお茶をぐっと飲み、
「ごちそうさまっ!」
言うやいなや食器を持って流しにいき、そのまま自室に行った。ベットに横になりながら、まどろみの中で、まだ残る口の中の苦みと心の中にある引っ掛かりがあり、沈んだ気持ちが残った。
翌日学校が創立記念日で休みということで、
「せっかくだし、買い物に出かけよっか」
誘われ、友達と約束があるわけでもなかった為、一緒に出かけることにした。
一駅離れた所にある商店街に来て、ぶらぶらと歩く事にした。
目に付いた服屋に入り、ママに勧められた服を何着か試着して、色々感想を話し合った。
別の店では、アメリカ雑貨が売っているグッズで、普段使用している個ものが一風変わったデザインをしている物に驚いたり、一体どういう風に使うのか分からない物に頭を悩ませた。
そんなこんなで色々な店を見て楽しんだ後、夕飯を買う為、スーパーに来た。
一緒に並んでたわいもない話しをしながら買い物をしていると、ママは気にする様子もなく、玉ねぎを手に取り、買い物カゴの中に入れた。
その様子を見て、昨日の事が思い返し、そして怒りが沸いてきた。
「なんであたしの嫌いな物を食べさせようとするの? あたしが嫌いだからそんなことするの!?」
それからも何を言ったか覚えてないくらい叫んだが、母親は困惑した表情を浮かべながら、
「可愛……違うのよ。これは……」
なんだか言い訳をするような様子を見え、
「もう知らない!」
そう言い残し可愛はその場を走り去った。
そうしてここに至る。
可愛は語り終えると不服そうな顔を浮かべながら、両手で包むように持っているグラスを眺めていた。
目の前に座って聞いていた狐塚は席を立つと、一度カウンター内に戻り、冷蔵庫を開け、その中からお盆に何かを乗せて持ってきた。
「じゃん」
狐塚は得意気な様子で皿を机に置いた。
可愛はグラスに向けていた視線を目の前の更に向けてみると、
皿の上にはまるで宝石のように色とりどりのフルーツが輝いて見えるフルーツタルトだった。
「ほぁー」
あまりの綺麗な光景に可愛は、感嘆の声が漏れ出た。
狐塚は包丁で6等分に切り分け、そのうちの一つを先に用意していた可愛の前に置いている皿に乗せた。
「サービスだよ」
ニカッと狐塚は笑みを浮かべた。
「ほんとに! ありがとう!」
フォークを右手に一口サイズに切って、口に運んだ。
リンゴやイチゴの甘みやキウイやミカンの酸っぱさが重なり、下地のタルトがサクッとした音を立てて口の中を満たしていく。
一噛み、二噛みと口の中で味を楽しむように食べた。口の中に残る余韻に浸っていると、
「おいしかったかい?」
食べている目の前で笑顔を浮かべながら尋ね、
「うん、とってもおいしいよ」
満面の笑みで返答した。
「さっきの話しだけど、可愛ちゃんのお母さんは別に嫌がらせをしているわけじゃないんだよ」
ふと母親の話を振られ、笑みが薄れ、むすっとした顔を浮かべた
「そんなことないもん。それだったらあたしの嫌いな物をわざわざ出さずにこういったのを出してくれるはずだもん!」
強い口調で否定した。
「可愛ちゃんのお母さんはきっと色んな美味しいものに触れてほしいと思っているんじゃないかな」
「えっ……」
「今食べているフルーツタルトは、可愛ちゃんがどれも好きだから、おいしく食べることができるけど、それが一個二個苦手な物があるだけで、その料理を純粋においしく食べることができなくなる」
そう言いつつ、狐塚はフォークを持ってフルーツタルトのキウイに刺し口に運んだ。
「苦手だからといって、食べないでいると、どんどん食べることができなくなってしまって、結局その物は食べないままでいてしまう」
「だけど、今は苦手でも、少しずつ食べれるようになっていったなら、どんどん美味しく食べることができる料理が増えていく」
「私も昔はこのキウイが苦手で酸っぱくて、食べた後口の中がイガイガする感じがしてたけど、少しずつ食べることで不思議とこれの美味しさが分かるようになってきて」
フォークでフルーツタルトを一口分切り、口に運び、食べ終えると、
「こうやってキウイが入っている物でも美味しく食べる事ができるようになったんだ」
「だから可愛ちゃんのお母さんはそういった嫌いなもので味を楽しむことができなくなってしまわないように、苦手だと感じている物も食べてもらいたいんじゃないかな」
狐塚はテーブルに右ひじを立て、手の上に顎を乗せながらこちらを見た。
「本当にそういうことだったのかな? 本当にそう思ってのことだったのかな?」
心にある不安をぽつりぽつりとつぶやいた。
そんな不安そうな顔をした可愛に対し、狐塚はニカッと笑みを浮かべ、
「大丈夫だよ。だって……」
――カランカラン
狐塚の言葉を遮るように店内に鐘の音がした。
「あんなに必死に心配してくれるお母さんなんだから」
その狐塚の続きの言葉に可愛ははっとして、店の入り口を振り返ると、そこには全身汗をかき、息を見出した母親の姿が見えた。
「あっ……」
可愛は母親の姿を見て、何かを言おうと思うが、言葉が詰まった。それに対して母親は息を整え、一歩一歩可愛の元に近づいていき、
パシンッ
店内に乾いた音が響いた。
「なんで勝手に一人で走り出しちゃったの!」
続いて母親の怒声が響いた。
可愛は頬に走る痛みに気が付き、自分は頬に平手を受けたのだと気が付いた。ただ肉体的な痛みよりも、目の前の母親の姿で心が痛む気がした。
「お母さん……」
可愛が言いかけた所、母親は近づき、
「本当に心配したんだから……」
優しく可愛を抱きしめた。その母の温もりを感じ、
「お母…さん……ごめんなさい」
母親に抱きつき、涙を流しながら謝った。
可愛が泣き止むのを母親は感じ、可愛の背中をあやすように叩き、店のオーナーである狐塚へ視線を向け、
「ご迷惑をおかけし失礼しました」
深々とお辞儀をするが、狐塚は気にしなくていいですよと、頭を上げさせた。
少し母親と狐塚が話した後、可愛は席を立ち、
「ありがとうございました」
そう言って、清算を済ませ、母親は出ていった。
その後を追うように可愛は歩きだそうとしたところ、
「可愛ちゃん」
後ろから呼びとめられ、振り返ると狐塚が中腰で目線が合い、
「色々思う所もあるかもしれないけど、疑わず頑張ってみなよ」
微笑みを浮かべながら、可愛の頭を撫でた。
「…うん、頑張ってみる」
そう言い、その言葉に安心し、狐塚は撫でていた手を止め、中腰から背筋を伸ばした。
「色々聞いてくれてありがとう。お姉ちゃん」
可愛は片手を挙げ感謝の意を示し、
「こちらこそご来店ありがとうございました。」
狐塚はお辞儀で見送った。
店を出ると母親が警察の人と隣に店の中に入った時にいたウェイトレスの人がいた。
母親は二人に感謝の言葉を述べていた。
ウェイトレスは可愛の視線に気が付き、右手で軽く手を振った。
母親も可愛が出て来たことに気が付き、隣に立ち、
「この度はご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした」
お辞儀をし、可愛もそれに倣い
「ごめんなさい」
お辞儀をした。
そんな様子に警察の人もウェイトレスも笑顔で大丈夫ですよと応え、よかったですねと喜んで見送った。
ママとの帰り途、途中でスーパーから抜け出した為、再度スーパーに買い物に来ていた。
ママと並んで買い物をしていると、母親は玉ねぎを取ろうとしたが、はっと気が付き、手を引っ込めようとすると、
「お母さん……玉ねぎ食べてみる……」
ママの服の裾を掴みながら言った。そんな様子に驚き、
「大丈夫?」
心配そうに尋ねてくるママに対して、
「うん、あたし頑張る!」
意気込んで応えた。