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 うたかと遥が雪彦を連れて外へ戻ると、ひまわり組の先生は驚いたような顔をした。

 卒園生の数が唐突に増えたのだ。驚くのも無理はない。

 うたかはそう思ったのだが――


「雪彦くん! お腹はもう大丈夫なの?」


 先生は雪彦と同じ目線の高さにするため、わざわざしゃがんで言った。


「はい、もう大丈夫です。ご心配おかけしました」

「そう、それは良かったわ」


 どうやら先生は雪彦のことを知っているらしい。

 それどころか「お母様は一緒ではないの?」と訊くあたり、雪彦が保健室で休んでいたことも聞き及んでいた様子だ。

 雪彦は困ったような笑みを浮かべて、先生の質問に答えなかった。(いや)、答えたくなさそうだった。

 先生が訝しげな顔をする。それもそうかと、うたかは思った。

 保護者が来園している今日、保健室で休む子どもに付き添わないわけがないのだ。

 先生は雪彦が此処に居ることを保護者が知っているのか、心配しているのだろう。

 だが、雪彦はそのことについて言及されたくなさそうだ。

 うたかが気づいたときには、彼女の唇は先生が口を開くタイミングと合わせて淀みなく言葉を紡いでいた。


「先生え。雪彦、保健室で休んでいたらね、さくら組の写真に呼ばれなかったんだって」


 のんびりとした、舌足らずな喋り方。

 うたかの喋りに遮られて、先生は一度口を噤んだ。

 仕切り直した先生が相槌を打つ。


「そうなの。それは先生たちが悪かったわ。ごめんなさい、雪彦くん」

「いえ、お構いなく」


 雪彦が微笑みを口元に浮かべながら応えた。

 うたかから見て雪彦の対応は、まるで年の離れた兄姉がするような硬いものだった。笑っているのに笑っていない、背筋がゾッとするような薄気味悪い表情だ。


「先生。さくら組の写真撮影は終わってますよね?」

「ええ、そうね。でも大丈夫。先生がどうにかするから」

「それなんですけど、別にいいです。さくら組に知っている子がいないですし。それよりも友達の居るひまわり組の写真に加わってもいいですか?」


 これには先生とはいえ、すぐに肯けないようだった。

 うたかは写真撮影が行われている方向を一瞥した。撮影は順調に進んでゆり組に入っている上、さくら組の卒園生たちは既に解散してしまっている。

 雪彦は無言の圧力を掛けるように先生の顔をじっと見つめている。

 そんな雪彦を、うたかはほんの少し怖ろしく思った。


「そうね。先生たちが悪いことをしたから特別よ」


 答えが出るまで僅かものの数秒。

 園長先生にお話をしなくていいのかなと、うたかは心の中で首を傾げた。

 立ち上がった先生が列の方へ向き直り、雪彦の背にそっと手を添えた。


「ひまわり組のみんな、今日だけひまわり組にお友達が一人増えました。雪彦くんです。仲良く写真を撮ってもらってください」

「はあい!」


 先生の言葉に対して元気のいい返事が上がる。

 列に並ぶ卒園生たちの好奇心旺盛な視線は雪彦に注がれている。


「三人とも列に入って」


 そう小声で先生に促されて、うたかたちは最後列に並んだ。列に戻る途中、うたかは列中から怖い顔で此方を見ている羽月を見つけた。


「良かったね、雪彦」

「うん!」


 遥と雪彦が小声で話す傍らで、うたかは羽月に睨まれる理由が思い至らず小首を傾げていた。


「どうしたの、うたか?」

「んー。何でもないよ、遥」

「本当に?」

「うん。ああ、ねえ、写真撮るときの並び方って背の順だよね。ひいちゃんは何処に入るのかな? やっぱり遥のすぐ横かな?」


 うたかが遥の疑うような視線をはぐらかすように話題を振ったとき、


「そんなことないですわ!」


 そう羽月が会話に割り込んできた。「羽月ちゃん」と、雪彦が息を吐くように言葉を漏らす。

 うたかは前から二列目に居た羽月が、いつの間にか四列目に移動していたことに驚いた。

 基本的に優等生を自称する羽月が、先生が居るのに大胆な行動を取ったことを不思議に思い、うたかは前方へ目を向ける。そこには先生の姿はなかった。先生の姿を探すと、園長先生たちと何やら話をしている。


「雪彦さんは私の隣に並ぶのです」

「あれ? つっきー、ひいちゃんのこと知ってたの?」

「ひいちゃん!?」


 羽月は垂れ目が吊り上げりそうな形相を浮かべた。


「私の雪彦さんを気安く呼ばないでくださいません?」

「『私の』? 何それ。気持ち悪い」

「気持ち悪いですって! 私、嘘は吐いていませんわよ。だって雪彦さんは私の許婚なんですもの」

「イイナズケ?」


 うたかと透は聞き慣れない言葉を耳して、キョトンと眼を丸くした。


「未来の旦那様という意味ですわ」


 うたかと主に遥が知らないことを知っている。そのことで優越感に浸ったようで羽月は胸を張ってそう告げた。


「え? つまり、ひいちゃんはつっきーの旦那さんに、つっきーはひいちゃんのお嫁さんになるってこと?」

「そう言うことですわ」


 その衝撃的な告白を聞いて、四人どころか、ひまわり組の子どもたち皆が騒ぎ出した。

 興味津々なもの、囃し立てるもの、憧れるもの――種々様々な反応がある中で、うたかは雪彦だけが無表情であることに気づいた。

 遥が眉を顰めて友に助言する。


「雪彦、こいつは止めとけ。こいつがお嫁さんになったら、毎日口うるさいぞ」

「そんなことないですわ! 私、雪彦さんのお母さまに将来は、えっとリョウサイ……兎に角、いいお嫁さんになるって言われてるんですもの!」

「嘘つけ」

「嘘じゃないですわ!」


 ギャアギャアと言い争う二人を尻目に、うたかは雪彦に問うた。


「ひいちゃん、本当なの?」

「――嘘、ではないかな。僕は子津(ねづ)の跡継ぎだから、丑込(うしごめ)家からお嫁さんを取らないといけないんだ」

「ふうん?」


 意味がよく分からないまま、うたかが生返事をすれば、雪彦は驚いたような碧の目をうたかに向けた。


「あれ。うたかたちもそうじゃないの?」

「そうって? もしかして私と遥がイイナズケってこと?」

「うん。酉越(とりごえ)の跡継ぎはうたかなんでしょう。支合(しごう)九頭(くず)家には春臣(はるおみ)兄さんしかいないから、三合(さんごう)の一つ鏡見家から遥が婿入りするんじゃないの?」


 『支合』やら『三合』やら。よく分からない言葉が並んで、うたかはパチクリと瞬きをした。

 しかし、二つだけ分かることはある。


「ひいちゃん、私は酉越の跡継ぎじゃないよ。それはお姉ちゃんのことだよ。あとね、私と遥はイイナズケなんかじゃない、家族だよ」

「そうなの? そうだったんだ。なあんだ」


 よく分からないけれども、雪彦はヘニャリと強張った表情筋の力を抜き嬉しそうだった。

 うたかのすぐ近くで気配がした。


「うーたーかーさん。何を、して、いるん、ですの!」

「へ?」

「私の雪彦さんに近づかないでくださいな!」


 そう力強く告げたあと、羽月は雪彦の腕を取った。

 雪彦はうたかほどではないにしろ、男女の性差のせいで彼より大柄な羽月に勢いよく腕を取られて少しよろめいた。

 黒目がちな垂れ目が強い意志を宿してうたかを睨む。


「えーと。ごめんね? でも、ひいちゃんは私たちの友達だから遊ぶときは近づくね」

「駄目です! 雪彦さんは身体が弱いのですから、あなたたちの遊びに付き合わせるわけにはいきませんわ」

「雪彦の身体が弱いことは知っているけどさ。何でそんなことをお前に言われなきゃいけないんだよ」

「私が雪彦さんのお母さまに頼まれているからですわ」

「本当なの、雪彦?」


 遥が雪彦に問い詰める。

 雪彦はうたかの兄姉が浮かべるような笑顔を浮かべた。


「はい、お喋りは駄目ですよ。さて、みなさん。ひまわり組が写真を撮る順番が回ってきました。カメラの前へ先生が前に話した通りの並び方をしてください」


 先生が戻って来て、そう指示を出した。

 雪彦の腕を取ったまま羽月が、移動を開始する卒園生の波を縫って先生に近づき訊ねる。


「先生。雪彦さんは私の隣に並んでいいのでしょう?」


 羽月の思惑に気づいた遥が慌てて後を追う。


「先生! 雪彦と僕の背の高さはそんなに変わらないから、僕の隣になるんだよね!」


 うたかは何も言わず彼らの輪に加わった。


「そうね。写真は背の順で撮ることになっているから、雪彦くんは遥くんの隣に並びましょうね」

「よし! 行こう、雪彦」


 遥が羽月から雪彦を奪い取り、うたかと手を繋いで写真撮影の場へ走る。

 羽月は三人の後を慌てて追いかけた。その更に後を羽月の友達である三人が続く。


「ちょっと、待ちなさい! 雪彦さんは走ってはいけないのですわよ!」

「そうなの、雪彦?」

「ううん、これくらいの距離なら大丈夫」


「多分ね」と続いた声は誰の耳にも届かない。


「なら問題なし」と遥たちは走る。

 ひまわり組の卒園生たちは何の問題なく並び終えたが、カメラを構えた撮影業者は困った顔をした。


「そこの可愛いお嬢さん、ほらおめでたい日だ。笑って笑って」

「何してんだよ、お前」

「つっきー。笑顔、笑顔」

「うるさいですわ! 私、笑ってますわよ!」

「はい、撮りますよ。みんな、この赤い点を見て笑って。3、2、1……」


 フラッシュが点滅する。

 記念すべき卒園式の思い出が形となって卒園生の元に届くには、もう暫らく時間が必要だ。

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