卒園記念撮影
さて、卒園式が無事終わり、在園生は各々の部屋へ、卒園生たちは外に出て記念撮影の準備に入った。
春の日差しは温かいけれども、風はまだ冷たい。
うたかと遥は寒さを凌ぐため、ひっつき合った。
「寒いよお」
「写真撮影、早く終わらないかなあ。炬燵に入りたい」
「無理だよ。これが終わっても、うちのお父さんが写真撮りまくるんだって張り切ってたから」
「それ、うたかん家の事情だろう。僕は関係ないよ」
「関係なくないよ。遥のお母さんが写真を分けてもらうんだって言ってたらしいよ」
「嘘だあ」
「嘘じゃないもん。本当だもん」
そう答えて、うたかは遥に寄り掛かった。
「重い」
すぐさま遥がうたかを押し返した。押して、押し返されて、二人は記念撮影の待ち時間を遊んで潰す。
そこへ三人の友達を引き連れて、羽月が近寄って来た。
「ちょっと! さっきはあなたたちのせいで先生に怒られちゃったじゃない! どうしてくれるのよ!」
完全な八つ当たりで怒る羽月の後ろで、羽月の友達たちは困り顔を浮かべている。羽月の友達たちは彼女が八つ当たりをしていると分かっているのだろう。
だが、諌めもしない。
分家出身の彼女らは、羽月の機嫌を損ねるなと親に言い含められているのだ。
間違っている羽月に同調はしない一方で、羽月の機嫌を損ねないため諌めもしない。彼女らはその場に居るだけの傍観者だった。
この場を丸く収めて欲しいと縋る眼差しが、うたかと遥に向けられる。
しかし、羽月を毛嫌いしている遥が八つ当たりをされて穏便に事を済ませられる筈がなかった。
遥が戦いの火蓋を切って落とす。
「どうしてくれるも何も、お前がお喋りしたせいなんだから、お前のせいだろう。僕たちのせいにしないでくれる?」
「何よ! 元はと言えばあなたたちがお喋りしていたのが悪いんでしょう! わたしはそれを止めようとしただけなのに、どうしてわたしが悪者にされなくちゃいけないのよ!」
「知らないよ。そもそも僕とうたかの間に入ろうとしたお前が悪いんだよ」
「何ですってえ!」
ああ、これは駄目なパターンだ。
それまで黙って事の成り行きを見守っていたうたかが口を挟む。
「喧嘩するほど仲がいいって本当なんだねえ」
空気が一瞬、固まった。
「うたかの馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿! 僕とこいつが仲がいいなんて、そんなわけないだろう!」
「そうよそうよ! こんな奴とわたしが仲良しですって!? はんっ、あり得ないわ」
「うわあ。『こんな奴』だって。お嬢さまのくせに口が悪い」
「他人のことばかり言わないでくれる。あなただって名家の人間のくせに」
「僕はいいんだよ。鏡見家のことを自慢なんてしてないから」
「わたしだって、自慢なんてしていないわ」
「嘘つけ。お父さんの外国土産をわざわざ幼稚園に持ってきて自慢してたくせに」
「それは! ……お父さまが買って来てくれたものだから嬉しくて、ちょっとお友達に見せたかっただけよ」
言葉尻を窄ませながら、羽月が顔を赤らめた。
ファザコン。そう言い掛けた遥の口元を押さえ、うたかが代わって話を聞く。
「はづきんも、お父さんが大好きなんだねえ。今日は来てるの?」
「また呼び方が変わったわね。前は『つっきー』でしたわよね」
「そうだね。どっちの呼び方がいい?」
「どっちも嫌」
「そっかあ。それじゃあ、そのまんま羽月でいいよね。それで、そのまんま羽月のお父さんは来るの?」
「その呼び方はもっと嫌! もう、つっきーでいいわ。ええ、お父さまはわたしのためにお休みを取ってくれているの」
「なるほど。今日でこの服を着ることもなくなるんだし、おめかしした姿をお父さんによく見せてあげたらどうかな?」
「そうしたいのは山々ですけど、まだ記念撮影が終わってませんし、お父さまのところへ行けないのですわ」
「んー。別にお父さんのところへ行ってもいいんじゃないかな。ほら周り見てみるとさ、結構みんな好き勝手な場所に散らばってるよ」
うたかに促され、羽月は周囲へ目を向けた。
確かに卒園生たちはそれぞれ親元や遊具の近くなど、思い思いの場所に散らばっている。
「それは、そうですけど」
「先生の声が聞こえる場所に居れば大丈夫だって。ほら迷ってないで、折角お父さんが近くに居るんだから傍に行かないと」
「い、言われるまでもありませんわ」
行きましょうと、友達に一声掛けて羽月が去って行く。
「つっきー、行ってらっしゃーい」
うたかはヒラヒラと手を振って羽月の背中を見送った。
ヒラヒラ、ヒラヒラ。
やがて力なく腕を垂れ下げ、うたかは遥のつむじに顎を乗せた。
「うたか、痛い」
そう訴えながら遥は、口元を抑える手を退かしたあとも、うたかの顎を振り落としはしなかった。
うたかは遥のつむじに顎を乗せることを止め、頬を彼の頭につけた。絹糸のようにサラサラな髪からは鏡見家ご愛用の洗髪剤の香りがした。
「なにしょげてるの。うたかもお父さんのところに行けばいいよ」
「んー。何を話せばいいか分からないし、別にいいや」
うたかは本音で答えた。
しょげていたことは事実だ。父親を真直ぐに慕う羽月が眩しくて、羨ましかった。
干支村の十二名家――子津、丑込と名が上がった時点で鋭いものは察しがついているとは思うが、皆十二支にちなんだ家名がつけられている。
子の子津、丑の丑込、寅の寅若、卯の卯城、辰の九頭、巳の鏡見、午の午頭、未の未蔵、申の申吉、酉の酉越、戌の戌丸、亥の荻窪。
丑込羽月がお嬢様であり、鏡見遥がお坊ちゃまであるように、うたかもまた西越家のお嬢様であった。
うたかの酉越家は私立四君子大学付属幼稚園の園服を手掛けた服飾ブランド『そまり』の開業一族であり、代々当主が社長を務めている。
日本発祥のブランドはけれども、日本より欧州に数多くの店舗があり、本社の籍を日本におきながら欧州が市場の中心に移行している。
酉越家の次期当主の地位が確定している母親や、『そまり』専属モデルのヘアメイクアーティストである父親は、自宅どころか片手で数えるほどしか日本に居ない。
うたかは頭では両親が忙しいことを理解している。しかし本心では両親について行きたいと願っていた。
だが、十二名家の子どもは分家の人間であれ十二名家の威光にあやかる以上、寅若家が経営し、十干が理事会を占める四君子学院で義務教育を治めなければならないと定められている。
その不文律がうたかの願望を邪魔した。
四君子学院中等部に通う兄と姉が居ることも災いした。
年が離れているとは言え、兄姉が傍にいるならば大丈夫だろうと、両親は息子娘への信頼を盾に幼いうたかを日本に置き去りにしていく。
中学生ともなれば日中は、ほとんど家に居ないと言うのに。
幼いうたかが抱える孤独に気づき、手を差し伸べてくれたのは、兄秋人の許婚である鏡見葉菜であった。
――うたかちゃん。私ね、去年から小学校に通ってるんだけど、そのせいで弟の傍にあまり居られなくなっちゃったの。
弟の遥はうたかちゃんと同じ三才なんだ。
よかったら、弟の遥と仲良くしてくれないかな。
酉越にも分家は存在する。ただ分家の親たちは一般的な感性の持ち主で、せめて義務教育が始まる六歳までは子どもの傍にいてあげたいと願い、子どもを海外に連れ帰っていた。その関係でうたかの周りに彼女と同い年くらいの子どもは居なかった。
お絵描きや、ひとりままごとで遊ぶ日々。
遊び相手が欲しいと切望しているときにあったのが、葉菜の誘いだ。うたかは迷いもせず頷いた。
世話好きな葉菜の弟、遥は甘えん坊で、うたかの存在に慣れると傍目から見て鬱陶しいと思えるほど馴れ馴れしい態度を取り始めた。
しかし、そのような遥の態度は人肌に飢えていたうたかにとってみれば、まさに理想的だった。
うたかと遥は大の仲良しだ。それは幼稚園に入園してからも変わらず、鏡見の分家の子どもたちは友達の座を射止められず、二人が知らないうちに脱落していった。
うたかは忙しい両親を厭んだり、恨んだり、況してや両親に愛して欲しいなんて願わない。
ただ、うたかは年中行事や特別なことがない限り傍にいない両親の存在に戸惑いを隠せずにいるだけだ。
「遥の傍がいいね」
「なに当たり前のこと言ってるの」
「うーん。言いたくなったから」
うたかは甘えるように遥の身体に腕を回した。
遥はうたかが抱きすくめるように回した腕を嫌がる素振りさえみせず、寧ろ、うたかの言動が嬉しくて堪らないとばかりに破顔した。
「まだ始まらないみたいだし、ちょっとどこかで座って待ってよう」
「そうだね」
うたかは遥の提案に肯いた。
二人は適当な場所に並んで腰掛けながら、撮影業者たちの近くで何やら揉めているらしい園長と保護者のやり取りを眺めた。