エレベーターの4人
島田清治は全く急いでなどいなかった。
今日は日曜日で、いつもの洋書コーナーまで行くためにエスカレーターを使ってのんびり行くのもありだったが、ちょうどエレベーターが開いていて入るスペースも十分ありそうだったのでエレベーターに乗った。
その普通のサイズのエレベーター内には数人しかおらず、行先の7階を押して「閉める」ボタンを押すとガタンという軽い音を立てて扉が閉まった。
島田清治はK都大学法学部の2回生である。大学にもとうに慣れて、後期の授業が始まる前の最後の日曜日にこの糸川書店に来て立ち読みして過ごそうと思っていた。この大型書店に来るのは初めてでもないし、このエレベーターに乗るのも初めてではない。しかし今回は特別な出来事が待ち受けているのであった。
扉が閉まると清治は無意識に上昇感に備えたが、いつまでたってもエレベーターは上に上がる気配はなかった。不思議に思い目の前の階のパネルを見ると、なんと階のボタンが消えていた。開閉ボタンも消えており、目を疑ったが何度見てもボタンのあるべき位置には他の部分と同じステンレスの壁面しかなかった。
「あら?故障ですかね?」
とまどって周りを見回してみると、すぐ後ろに立っていた書店の店員らしき女性が肩越しから覗き込んできた。エレベーターに今いるのは清治を含めて4人。清治の後ろの書店の制服を着た30歳ぐらいの女性、私服に赤チェックのスカート姿の同年代の女性、そして濃灰色のスーツを着て書店の買い物かごを手に持ったおじさん。
「どうやら故障みたいですが、ちょっとおかしいです。ボタンが見当たらないんです。」
清治は「ほら」と言いながら脇によけながらボタンの消えた壁を指さした。
「えぇ~ボタンどこ行ったんや~?」
どうやら赤チェックのスカートお姉さんはベタベタの関西弁らしい。清治も大阪出身だがそこまで普段きつくは出さないようにしている。
「どれどれ、ほんまじゃ。おかしいでんなぁ。」
おじいさんも関西弁で驚く。
それから20秒ほど、各自自分のまわりの壁を見回しながら何か出る手がかりが無いか探し回ったが、ボタン消失以外は普通のエレベーターで、隠し鍵穴みたいなものは無いようだった。
「ピーンポーン」
「ご来店の皆様、本日はご来店いただきましてありがとうございます。」
アナウンスが鳴り、女性の声で案内が聞こえた。しかし安心できたのは一瞬でしかなかった。
「このエレベーターは只今から異世界へ出発します。ごゆっくりお楽しみください。」
「「えっ」」
思わず全員が声を上げた。
「はいそうでございます。今回、お客様がたは異世界40,203号に向かい、そこで国家経営に携わることになっております。」
「えぇ~そんなの聞いてへん!下ろして!」
「嘘でしょ。いま勤務時間中なのに。」
「そんなアホな。」
各々違った反応をしているが、感情はそんなに変わらない。
「まぁまぁ、そう怒らずに…」
「今すぐ元の場所に帰して頂戴!店に戻らないと。」
書店の女性が叫んだ。
「大変残念ながら、すでに当エレベーターは異世界に到着済みで、開くボタンを押すと異世界に開くようになっております。」
アナウンスの声はあくまで無情だった。
不思議に思った清治はもう一度ボタンのあったはずの場所に目を向けると、開閉ボタンだけが復活していた。
「なお、異世界に到着後は2,000年間元の世界に帰ることはできず、その間現地の国家経営を任されます。その間老いることも死ぬこともないのでご安心ください。国家経営期間の終了後にはエレベーターが再び出現しますので、それに乗って頂ければ元の世界、今と同じ時間に戻ることができます。」
「えっと、もし国家経営に参加しなかったら?」
清治が恐る恐る訊くと、アナウンスはゾッとするような笑顔が見えそうな声で言った。
「はい、その場合は帰還はできず、そのままその方は蒸発することになります。」
全員が沈黙した。どう考えてもこれは罰ゲームでしかない。しかも命がけとか冗談ではない。でも逃げられそうな状況でもない。
「面白そうやん!」
最初にその予想外な発言をしたのは赤チェックの女性だった。
「年も取らずに経験積めるとか、ええやん!好きなことできそうやし。」
確かに、清治は考えた。一種夢の中の状況と同じように考えれば別に悪い話ではない。国家経営と聞けば絶対に気苦労の絶えない未来が待っているのだろうが、老いも死にもしない状況を生かせば結構面白いことができるかもしれない。
「さて、どうぞドアをお開けください。異世界がお待ちしております。ピーンポーン」
アナウンスがそう言って終了した。
「では、行くしかなさそうですね。」
清治がそう言うと、他の3人も全員うなずいた。
「ドアを開けますね。」
もとのエレベーターと何も変わらない緑の「開く」ボタンを押すと、ドアが開き熱気と湿気を伴う空気の塊がエレベーターの中に押し寄せてきた。
外に出てみると夜で、月が輝いていた。しかしよく見ると見慣れた月よりもいささか小さく、しかもはっきりと土星のような輪っかが付いていた。
「月が違う。これは地球では無さそうやな。」
おじいさんが全員の思いを代弁したように言った。
4人が異世界に来たと認識した瞬間だった。