夢の中の告白
濃厚な群青色が広がっていた。
闇に照らされたビル群が地上に星屑を散りばめるように、天空にも無数の灯火が瞬く。微かに流れたひと粒は丘の上の鉄塔に弾かれて方向を変え、別の光にぶつかってはビリヤードの球のように乾いた音を奏で合った。
弾き飛ばされた光の中で一番大きなものを指差すと、空中を跳ねる白兎と少年は手を繋いでそれに飛び乗った。
丸い光の球の上で「星は星型だろう」と言う少年の呟きにより、光は姿を変えてくれたが、若干乗り心地とバランスが犠牲になったようだ。少年寄りに傾いたまま、星は夜空を滑る。
このまま何処まで行くのか?少年が案内人の白兎・クレイバーに尋ねると、白兎はタキシードの内ポケットからクシを取り出しながら言った。
「ミスターユウヤ・キクチ、貴方のおっしゃる夢鏡ですが、実は夢世界での鏡、その全ての事であります。つまり、大小様々、普通の一般家庭でも一つ位は鏡が有るでしょう……」
「うわ、さっきお風呂場に行けばあったじゃないか」
口を挟んだ裕也に首を振って答える白兎。ヒゲと耳を整えると自信に満ちた表情をする。
「……いえ、ございません。正確には見ることが出来ません。夢鏡はその力によっては現実世界にまで影響を及ぼすモノ。厳重に管理されていますから、もし見る事が出来たとしても、力を封じられているか、もしくは……管理人がサボっているか、まぁ、あり得ませんけどね」
「管理人……?」
「ミスターユウヤは夢の中で、鏡の前で髪の毛をセットしたり歯ブラシをしたなんて夢、見たこと有りますか?」
裕也は首を横に振る。
「ない」
「当然です。まれに見たことがある人もいらっしゃいますが、遅刻をしたり歯がボロボロになって抜け落ちたりと、程度の差は有りますが、おおかた悪夢を見るハメになります」
裕也は自分の歯が抜ける事を想像して身震いした。思わず口を手で押さえる。大丈夫だ。
「夢鏡は光の住人達が管理しています。私は夢の世界に携わる、闇の住人に属する者。夢鏡についての権限はあいにく持ち合わせておりません」
「どうするの?」
「光の住人に会いに行きます」
クレイバーは街のビル群から少し離れて、一軒家が建ち並ぶ住宅地を指差した。星が輝きを増してその先に向かって流れる。
徐々にスピードが乗っていく。
裕也が心配な声を上げる。
「このままだと家にぶつかるんじゃない?」
「ぶつかるのではないか?といえばその通り。かつてパン工場の煙突にーー
全て言い終わる前に星は家の二階に突っ込んだ。
偶然なのか狙ったのか不明だが、開け放ったベランダの窓から、星にまたがった裕也と白兎は身体を滑り込ませる事に成功した。
クッションとなって光りながら砕けた星は、花火のように花弁を開き、飛散しながら部屋の中で降り注いでいた。
木目調のフローリングにピンク色のハート模様のカーテンが踊る。
木製のベッドにもハートの装飾が随所に見られ、掛けられた毛布もまたピンクハートの統一感が見受けられる。
本棚と勉強机、机の横にはピンクのランドセル。
裕也は一目で女の子の部屋だと識別すると、顔を紅潮させて白兎を捜した。着地の瞬間の光は星が砕けたモノのようだが、その刹那に白兎の姿を見失った。
部屋を見渡すと流石に女の子の部屋らしく至る所にぬいぐるみが鎮座している。
ベッドの枕元にも、ひときわ大きなウサギのぬいぐるみが。
「何をしてるのかな」
裕也はぬいぐるみに話しかけた。
「ノックも無しでひとの家に飛び込んでベッドにまで入るかなぁ」
「いや、偶然ですよ。たまたま窓が開いていてラッキーでしたね。落ちて跳ねた先がベッドだったのもラッキーでした。おしり痛くありませんでしたか?」
ぬいぐるみらしきものが呑気な声で応えた。
ベッドの中でハートの毛布が膨らみを見せる。
もぞもぞと動きながら、その中で埋もれるのは、髪の長い少女だった。毛布から顔を出し、ベッドの前に立つ裕也と目が合う。
歳は裕也とさほど変わらないようではあるが、それもそのハズ。
「わっ、裕也くんだ、びっくりした」
少女と少年は同い年で、
「由香ちゃん……」
クラスメイトだった。
「うわっ、何?なんで居るの?うわっ、ウサギでかい!可愛い!」
「こんばんは、お邪魔してますミス……ユカ・サクライ」
「ちょっと、ベッドから降りてよクレイバー」
「うっわ、喋った!ウサギが喋ったよ裕也くん!何で私の名前知ってるの?」
「そこの壁にある額縁にお名前が書いてございます」
「ちょっと!今すぐ降りてよ!クレイバーってば!」
「うっわうっわチョー恥ずかしい、めっちゃ喋ってる、何?あなたクレイバーって言うの?裕也くんが連れて来たの?」
「どちらかと言うと私がご案内しました」
「クレイバー!降りてこーい!」
「ああんっ裕也くん引っ張っちゃダメ!ひどいことしないでっ」
「そうですよミスター、羨ましいんですか?」
「お前わざとやってるだろ」
夜の闇に溶け込むには似つかわしくないやり取りが、星の煌めきが部屋の塵と消えるまで続く。
裕也は違和感のようなモノを感じていた。
「由香ちゃん、ちょっと元気過ぎるよね」
思わず言ってしまう程に。
学校で見る桜井由香はけして暗い性格ではないが、おしとやかとか、純情を絵に描いたような女の子のイメージがあったし、大きな声で話す事が既に初めて見る一面だった。
男子と会話するのも珍しく、桜井由香から裕也への用事は友達を介した伝言で知る事のが多かった。
それはやはり恥じらいであり、直接話す事でクラスメイトからの冷やかしを避けての行動だと裕也は認識している。何故ならば二人きりの時は普通に話すし、すぐ照れるしよく笑う。
むしろそういう小さな仕草と行動が、お互いに好感を持っているとばかり思わせた。勝算があると感じたからこその告白の手紙だったのだから。
「え?そう?そんな事ないよ。だって裕也くんが来てくれるなんて思ってなかったもの。だからだよ」
いつになく饒舌だと感じるのだが、裕也はこういう知らない由香の一面も新鮮で嬉しかった。
「夢の中では自分の抑制が効かなくなる人も多いですからね。彼女もそうなのでしょう」
白兎がベッドから降りてきて裕也に言った。
「え?夢の中?これ夢なの?」
由香はベッドの中で大きな瞳を丸くする。
「今、ミス・ユカ…あなたの夢にお邪魔させていただいてます」
「えーウソ、じゃあ起きたら覚めちゃうの?もったいなぁい」
由香はハートの毛布を剥ぎ取るとベッドから飛び出した。ピンク色のパジャマは小さなハートがいっぱいだ。
袖口から白い肌を覗かせながら腕を伸ばし、裕也の右腕にしがみつく。
困惑する少年。
「ちょっと、どうしたの!?」
「触っておかないとソンじゃない」
当然のように返す由香。
裕也にはもうひとつの疑問が湧き上がった。
「僕、年賀状でごめんなさいって言われたよね?キライなんじゃないの?」
好きだと言った返事がごめんなさいなのに、すぐにキライと解釈してしまうのは若い思春期の万国共通なのだろうか。
由香は少しムッとして応えた。
「キライなわけないじゃない、いきなりあんな事言われてすっごく悩んだんだから。何て返事していいか解らなかったのよ」
すぐ近くで由香の顔が裕也を見つめていた。唇がツンとなって尚も言葉を紡ぐ。
「むしろ好きよ。大好き」
裕也は硬直しながら紅潮した。
本当ならば飛び上がって喜びたいのだが、腕を掴まれていたり、すぐ近くに由香の顔があったり、大変な事を告白されたり、一度に起きすぎて頭が全て処理出来ないで居た。
クレイバーは突如部屋の天井を見上げた。
由香の部屋の天井の辺り、空間を見つめて目を凝らす。
部屋の至る所から軋むような音が聞こえる。それは裕也にも由香にも聞こえない程に微かだが、クレイバーの聴力は確実にそれを感知した。
「ミスターユウヤ、急いでここを離れないとマズイです」
白兎が緊張した声で告げると、由香は裕也を掴む手に力を込めた。
「ダメよ!まだ行かないで!」
……ピシッ
今度は裕也の耳にも届いた。木がひび割れるような、不快音だ。
裕也はすぐに理解出来なかった。現在の自分も、クレイバーの焦りも。情報が不足し、混雑して何も行動を起こす事が出来なかった。
由香の掴む腕がわずかに緩む。だがそれは解放されたからなどではなく、由香の腕が裕也の傷口の包帯へと向けられたからだ。
由香は左手で裕也の腕を掴んだまま、右手を伸ばして裕也の顔に触れた。
「事故だったんだよね、かわいそう。痛かったでしょ。でもどんな姿でも、私の想いは変わらないわ。まだ五年生だし先の事は解らないけど、私は信じてる。裕也くんはカワイイしモテるだろうから浮気の一回くらいしちゃうかもしれないけど、大丈夫よ。私も迷ったけどアレからずっと考えたの。事故したって聞いた時は心臓が止まるかと思ったわ。今度の土曜日に病院にお見舞いに行くつもりだったのよ。みんなで行くと迷惑になるから、私が代表って事で行くつもりだった」
「……本当?」
「もちろん、本当よ。でも、私が一人で代表っていうわけにはいかないかも。男子か女子でもう一人……かな、多分」
裕也の発した短い問いは、その事だけを確認しているわけではない。夢の中で、いつもと違う様子の由香の言葉が何故か不安で現実味が無いモノのように感じられた。その不安感から来る問いだった。
本当?
何が本当?
好きって本当?
僕の事が好きなの?
今の君は本当の君?
クレイバーが叫んだ。
「彼女の言葉は偽りない想いです!自制心が無くなって本音が出ている。だが、想いが強い!強すぎる!危険です、ミスター!」
部屋のあらゆる場所からギシギシと不快音が騒ついた。
地震が来た時のように空間が振動を帯びていく。音が激しくなり、もう部屋が揺らいで見える。
「由香ちゃん、手を離して、もう行かなきゃ」
「私は裕也くんが好き。好きよ。裕也くんは?私の事、好き?」
振動が激しくなり、机や本棚から物が落ち始める。
「クレイバー!どうなるの!?壊れちゃうの!?」
「もっと深刻な事態が現実世界で起きているんです!想いが、彼女の強すぎる想いが【ヤツら】を引き寄せている」
裕也の漠然とした問いにクレイバーは応えながら、部屋の片隅に置いてあるぬいぐるみの中から、カエルの人形を手に取る。
「ミス・ユカを落ち着かせる手もありましたが、ここまで膨らんでは止まりようがない。まだ向こうでは防人たちが堪えていてくれますから、いっそこの夢を最高に良い夢にしてしまいなさい!想いに答えて差し上げるのです!でなければ【ヤツら】に喰われます!」
「裕也くん教えて。私の事どう思ってるの?」
見つめる由香の瞳、
裕也はそれを見つめ返しながら一瞬の戸惑いを見せる。
だがクレイバーの声と、異常なまでに大きくなる振動に、危機感を全身に覚えて、口を開く。
それはいつか年賀状に書いた言葉だ。
「僕は由香ちゃんが大好きです。結婚したいと思っています」
刹那、空間が七色に光り輝いた。
その輝きに目を奪われる裕也。
クレイバーが裕也の背中から襟首を引っ掴み、持っていたカエルのぬいぐるみを宙に投げる。
光りを浴びたカエルがゆっくりと一回転すると、カエルの口が大きく開き、少年と白兎を呑み込んだ。
ただ一人、部屋に残された少女は、恍惚とした表情で立ち尽くしていた。が、程なく、糸の切れた人形のようにベッドへと倒れ込んだ。