目つぶし探偵 -The Detective of Eye-poking-
サークルの月一テーマ『書き出し固定』全員【「あなたが犯人です!」彼の指先は私のまぶたにえぐり込んでいた。】という書き出しで小説を書く。で執筆。
「あなたが犯人です!」
彼の指先は私のまぶたにえぐり込んでいた。
「GUAAAAAAAAAAAAAAA!!」
私がその痛みに悶絶し、何も見えずに、何も出来ずにいるうちに、全てが終わっていた。
一〇年間である。
私が殺人罪で実刑を食らい、この監獄へ収監されてからそれだけの月日が流れた。
私は無実だ。天地神明に誓って人殺しなど犯していないのだ。
裁判でも、ここへぶち込まれてからも幾度となくそう訴え続けたが、聞く耳を持つ者はなく、天涯孤独の身の上で親しい人間も無かった私は、面会者も無く、ただただ孤独に耐えながらこの一〇年を生き抜いてきた。
交流のあった人間といえば、日に数度牢の前を見回りする看守のみ。それだって会話はなく、真っ黒い淀んだ両の瞳で、この世で最も劣悪な汚濁にまみれた環境に横たわる私の息があるのを確認し、ドブネズミへやった餌の残りの様な本当の意味で臭い飯を置いていくだけだ。
こんな死して地獄へと堕ちた方が楽であろう毎日の中で、辛うじて私を生き永らえさせたのは、ひとえに奴への恨みのみであった。
私を無実の罪でこんなところへ追いやった、あの探偵へのだ。
一〇年前、私は偶然にも殺人事件の現場に出くわしてしまった。
惨い事件であった。被害者は何者かに右目を抉られ、その傷が脳にまで達し絶命していたらしい。そういった類のものに耐性の無い私にはとても遺体の様子を直接見ようとは思えなかった。
スコットランドヤードの捜査が始まり――言い忘れていたがこの物語の舞台は一九世紀末のロンドンである――私は重要参考人の一人としてその場を去ることを許されなかった。
そこへ現れたのがあの青年だった。小奇麗な身なりで、具体的に何がというわけではないが、なんとなく見るものをムカムカっとさせる空気を醸し出す奴だった。
「この事件は僕に任せてもらいましょうか警部。どうせまた手詰まりでお困りでしょう」
「い、いや別に困ってないんだけど。というか、さも顔見知りーみたいな空気で来たけど誰だい君は。それにオイラまだ警部補だし」
「いえいえおっしゃらないで。分かっておりますとも警部殿。ふむふむ、なるほど」
奴は現場にズケズケ押し入ると、勝手に捜査を始めた。虫眼鏡でそれっぽく遺体やその周りを観察しているようだったが、どこまで本気だったのかも不明だ。
「なーるほど、そういうことか!」
突然そう叫んで、奴は私に言ったのだ。
「あなたが犯人です!」
ピンと伸ばした右手の人差し指、否、人刺し指を私の左目へ深々と突き立てながら。
あとはそのまま今に至る。
何がどうなったのか一切分からないが、私が目を抉られた痛みに転げまわっている間に何故か私が犯人ということになり、スピード裁判で有罪が確定、懲役一〇年の実刑判決を言い渡された。
そう、一〇年だ。
「一七五九番、出ろ。釈放だ」
今日、私は娑婆へ戻る。
陽の当たる場所へ出ても、私の左目は暗いままだ。
奴に酷く傷つけられたまま、劣悪な獄中で治療も受けられず、気づけば私の左目は腐り堕ち、この牢獄を濃縮したような暗くドロドロとした穴になっていた。
奴に復讐を。
それだけを胸に、久方ぶりに拝む太陽を右目で仰ぎ見ながら、私は一〇年分先へ進んだ世界へと足を踏み入れた。
まずは眼帯を手に入れようと思った。
流石にこのグロテスクな傷跡を晒してロンドンの街を歩くのは気が咎めた。
だが眼帯を取り扱う店などそうそう無く、革製品を扱う店に注文でもしなければならないかと思っていた、のだが――どうしたことだろう。
道ですれ違う者達全員が、紳士、淑女、老人、使用人、子供、更には阿片中毒の浮浪者に至るまで、一人の例外もなく皆一様に片目を眼帯で隠しているのだ。もちろん当人の貧富によって眼帯にかけられている費用はピンキリである。牛皮、羊皮、インドキャラコ、木片、貝殻、汚らしいボロ布――その材質と装飾は多岐に渡り、服装やアクセサリーと変わらぬ程の力の入れようである。
「旦那、眼帯はどうしたんで?」
世の変わりように度肝を抜かれていると、何者かに話しかけられた。道端の露天商である。通りの端に布を広げ、何やら商品を並べている。その男もまた右目に眼帯をしていた。
「ひでえ傷だな。ちゃんと治療はしたのか?」
「あ、いや……」
見ず知らずの露天商に詳しい事情を話す義理はない。ともかく目先の疑問を解消することが最優先である。
「なあ、なぜ誰も彼もが眼帯をしているんだ?」
「なぜって――」
露天商は「なぜそんな当たり前のことを訊くのだ」といった気の抜けた表情で答えた。
「皆『目つぶしジャック(Jack the Eye-Poker)』にやられたに決まってるだろう。旦那もそうだろ? その左目の傷は間違いねえ」
「――『目つぶしジャック』?」
何なんだ、その不穏な名前は。
「なんでぇ、あんた目を突かれたショックで記憶でもおっこどしちまったか?」
「あ、ああ……そうかもしれないな。よかったら教えてくれないか?」
ともかく私の常識に空いた一〇年間の空白を埋めなければならない。人の良さそうな露天商は本気で私に同情したようだった。
「おう、構わねえさ。だが旦那、まずはその左目の醜い穴を隠すのが先だぜ。何かの縁だ。安くしとくよ」
露天商は自分の売っている物品を両手で示した。見ると、それらは様々な材質で製作された眼帯であった。
「これ、全部眼帯か?」
「おうよ。眼帯はロンドンで暮らす人間の必需品だからな。今じゃ眼帯の質やデザインを競うのが金持ちの流行になってる。最近のロンドンっ子に流行ってるのは……こんな感じの中華風とか、ちょっと値は張るがミツユビナマケモノの革製なんてのも――」
「ああ、いや、金が無いんだ。だから一番安いもので」
「ん、おう、そうかい。なら仕方ねえ。この売れ残りの羊皮のやつ、タダでいいぜ」
「ありがとう」
露天商が差し出した簡素な羊皮製の眼帯を付けた。少し硬く、ゴワゴワするが着け心地はまずまずだ。贅沢は言えない。
「で、目つぶしジャックの話だったか。ありゃあ一〇年くれえ前からだったかねえ……」
「一〇年前――」
「おう。夜な夜な、娼婦共が何者かに片目を潰されるってえ事件が起き始めてな。別に死人が出た訳じゃなし、大した騒ぎにもならなんだが、そのうち娼婦だけじゃなく、老若男女に被害が広がりだしてな、そのまま犯人が捕まらないうちに被害が激増だ。目撃者の話じゃ、犯人は男だってことらしい。それでついた名前が『目つぶしジャック(Jack the Eye-Poker)』だ。まあ、ここ一年は被害は出とらんがね」
「なぜ?」
「そりゃあ、ロンドンの人間全員が片目になっちまったからだな。どこにでも入り込んで手当たり次第片目を潰していきやがった。おかげで眼帯がロンドン市民の必需品よ。ただ何故かもう片方の目を潰すことはしないらしい」
「そんなことが……」
私は露天商に礼を言い、その場を立ち去った。
私には妙な確信があった。
一〇年前……目つぶしジャックが現れた。そして私があの目を潰し殺されるという奇妙な殺人事件に関わり、私自身の左目を潰されたのも一〇年前。この不可解な符号は重要なファクターであろう。無関係であるはずがない。
そして私が収監された後猛威を揮った目つぶしジャック。
私の脳裏に浮かんだのは、この左目を抉ったあの男のムカつく顔であった。
ロンドン郊外のスラム街。片足、隻腕、阿片中毒、らい病患者――社会から見捨てられた者たちが道端に座り込み、たまに通りかかる人々から施しをねだる。ロンドンで最も忌み嫌われる場所の一つ。このスラム街に置いても、あらゆる者が片目を失っていた。汚らしいボロ布を眼帯代わりに頭に巻きつけ、もう片方の虚ろな瞳で遠くを見ている。ここにその男はいた。
特殊な要素は何も見られない。ボロ布で右目を覆い、空から隠れるように物陰に座り込み、じっと動かず、生きているのか死んでいるのかもわからない。たとえ死んでいようとも誰も気にしない、そんな存在。
「おい」
そんな男に、私は声をかけた。
「顔を上げろよ探偵野郎」
男は何の反応も示さない。私は彼のボサボサに乱れた長髪を掴みあげ、無理やり顔を上げさせた。ついこの間までもっと穢れた場所にいたのだ。嫌悪感はない。
「忘れたことなかったぜ。そのムカつく顔をよ。どんなに酷い場所にいようとな」
「………………だれ、だ……?」
間違いない。こいつだ。あの粋がって探偵の真似事で私を牢へぶち込んだあの男だ。
私はこいつへの復讐を思い続けて、死よりも辛い一〇年間を生き延びてきた。もし見つけたら何をしてやろうか。どんな過酷な目に遭わせてやろうか。私がされたように目を抉るのもいい。簡単には殺さない。地獄の苦しみを味あわせながら、氷河が山を削るようにゆっくりとゆっくりと――そうやってこいつを殺すことを思い浮かべながら、ネズミとゴミムシの糞に塗れながらも意志を保ってきたのだ。
それがなんだこのザマは。
私が抉ってやろうと心待ちにしていたこいつの片目は既に、私のそれと同じように眼帯の奥で暗い穴と化し、牢獄の中の私よりも酷い、正気すら保てずに生ける屍と成り果てているではないか。
こんなカスみたいな奴を殺したところで、私の復讐は果たされるのか?
「おお……おお……」
クソ探偵が枯れ枝のような両腕を私の顔へ伸ばし、震える手で眼帯をずらした。見るも無残な窪みが外気に晒される。
「……ぼくの……これはぼくのあけたあなだ…………! あいつじゃない……ぼくの……」
「ああそうだ。思い出したか。私はお前にこの目を潰され、耐えがたき境遇を忍び、地獄から蘇ったのだ」
「ああ……またあけたい…………あなをあけたい……!」
「――やはり、そのようだな」
そいつの様子から、私は確信した。目を潰し、顔面に穴を開けたがるその執着――
「お前なんだな。『目つぶしジャック』は」
私の問いに、そいつはニタリと嗤って頷いた。
「うん、ぼくがめつぶしじゃっくだ……」
こいつだったんだ。
あの全ての始まり。私の人生を狂わせたあの殺人事件。私の左目を潰したこと。そして己の欲望のままに全ロンドン市民の片目を抉り、この国を恐怖に陥れたこと――
こいつが『目つぶしジャック』という悪魔。
今思えば、あの時強引に私を犯人ということにしたのも、自分に疑いが及ぶのを避けるためか。私はこんな悪魔の身代わりとして、一〇年間も汚濁に塗れてきたというのか。
何たる屈辱。
何たる汚辱。
そしてこの怒り。晴らす術は分かっている。市民もそれを望んでいる。
殺してやろう。
全ての始まりを、最悪の凶悪を、今ここで天誅を以て処するのだ。
「『目つぶしジャック』――」
「うん、ぼくがめつぶしじゃっくだ……」
「私は、今からお前を……」
だがしかし、次のそいつの言葉が、私を混乱の坩堝へと叩き込む。
「うん、ぼくがめつぶしじゃっくだ……でも――」
「――めつぶしじゃっくは、ぼくだけじゃない……」
「……………………は?」
『目つぶしジャック』は、こいつだけではない……?
「な、何を……言って……」
そういえば……
なんで『目つぶしジャック』であるこいつの右目が潰れているんだ?
「ぼくはひだりめしかつぶさないんだ……」
そいつはニタニタと私の左目を眺めて嬉しそうに言う。
「もうひとり……みぎめをつぶしてたやつがいる……」
右目。
ロンドン市街ですれ違う者達は、眼帯を右目に着けている者、左目に着けている者、どちらも同じぐらいの比率だった。
眼帯をくれた露天商も右目に眼帯をしていた。
そして――
「むかし……ぐうぜんそいつのはんざいげんばをみつけて……てんしょんあがっちゃってたんていのまねごとしてたら……たまたまだれかのひだりめにぼくのゆびがささって……それいらいそのかいかんがわすれられなくて……みんなのひだりめをつぶしてた……」
――あの殺人事件の被害者も、右目を抉られて殺されていた。
「いつのまにかめつぶしじゃっくとかよばれてて…………でもぼくいがいにもみぎめをつぶしてるやつがいて…………そしたら……あるひぼくのみぎめもつぶされて……いたかったからもうひとのめをつぶすのはやめたんだ……」
「――ということは、その『もう一人の目つぶしジャック』はまだ目を潰されていないんだな?」
そいつはカクンと頷き、「ぼくはつぶしてない」と言った。
頭の中を整理しよう。
こんなにいろいろものを考えるのは久しぶりなんだ。脳が錆び付いている。
私を含め、左目を潰された者達はこいつにやられたのだ。
それ以外の、露天商や最初の被害者、そしてこいつ自身の様に右目を潰された者は、『もう一人の目つぶしジャック』に目つぶしを喰らっていたのだ。
そして『もう一人の目つぶしジャック』は、両目共に無事と思われる。
現在ロンドン市民のほぼ全員が片目を失っている。つまり『もう一人』は、このロンドンで唯一両目が残っている奴ということだ。
「――ありがとうよ。おかげで本当の元凶を見つけられそうだ」
「へへへ……おやくにたてたかい…………れいをいわれるというのは……うれしいことなんだな……」
「だが、私がお前に受けたことの償いはしてもらうぞ。この腐れ目つぶし探偵気取り野郎」
私は、そいつの残った左目に、後頭部まで貫く勢いで深々と人刺し指を突き立てた。
「警部、『目つぶしジャック』と思われる者を逮捕しました」
「ご苦労、お手柄だぞ!」
「はっ! ホシは路地にて浮浪者の目を指で刺し殺しているところを現行犯逮捕。態度はおとなしく、拍子抜けするほどでした」
「うむ。相手の目を指で潰す。間違いなく『目つぶしジャック』だな。やっと奴を捕らえることができたか……歓びでワシの右目の傷が疼くわい」
「しかし警部……少々不可解な点が……」
「なんだね?」
「『目つぶしジャック』は絶対に既に片目の相手は狙わないはずだったのですが、被害者は既に右目を潰されており、今回やられたのは残った左目とのことで……また容疑者自身も一〇年前に左目を潰されていると……」
「そんなもの! もう両目無事なターゲットがいなくなり、我慢できずに自分の目を抉ったり、一度襲った人間を再度狙っただけだろう!」
「はあ……でも大部分の事件が起こっている間、彼はずっと牢に……」
「さ、今夜はパーティだ! これで君も昇進間違いなしだな。〝さる高貴な女性〟もお喜びになるだろう」
「……はっ! 真に光栄の至りであります!」
私は再びここへ戻ってきた。
地獄の底へと。
「おら、さっさと入れ」
相変わらず真っ黒く淀んだ瞳の看守が私を急かす。
奴を殺しているところをスコットランドヤードの者に見られ、その場で逮捕されてしまった。あの時は無能だったくせに、今回はやけに手が速いのだな。
二度目の殺し。恐らくもう二度と太陽は拝めないだろう。
だがそれで構わない。まったくもって構わないのだ。むしろ私にとっては好都合である。
「なにを立ち止まってやがる。この狂った目つぶし野郎が」
「すまないなぁ看守。もうここに入ったら出ることはないだろうから、最後の檻の外での時間がつい惜しくてね」
「ふん、知るか」
「それはそうと看守」
「あ?」
「お前のその真っ黒い両の瞳、潰し甲斐がありそうだな」
私は手錠のかかった両手の人刺し指、否、目つぶし指で、看守の両目を潰した。
「GUAAAAAAAAAAAAAAA!!」
「KHUUUUUUUUUUHHHHHAAAAAAA!! イヤ――ッ! あんた達が目つぶしに憑りつかれるのもわかる気がするなァ――! スイッチを押しこむような感触がズクズクと快感に変わるゥ! お前だよなァー『もう一人の目つぶしジャック』――右目を潰していた方のジャックはよォー!」
すぐに思い出せた。一〇年間こいつの顔くらいしか見るものが無かったのだから。
看守は私が釈放されるまで、両目共に健康だった。
「スッキリだ! こんなヘドロの洞穴のような汚らしい監獄にはとても似つかわしくない晴れ晴れとした昂揚感ッ! ついに! ついに私は遂げたのだ復讐を!」
私は足元に蹲り、両目を抑えてピクピク痙攣する看守を監獄の端まで蹴っ飛ばした。
「ご苦労でありましたァ看守殿! では私はご命令通りに檻に入って鍵をかけますので、これにてさらば! もう会うこともないでしょう。何故ならあなたの目はもう私を見ることなどないのだから!」
私は自らの足でのんびりと牢へ入り、看守の落とした鍵で施錠した。
これでよし。
もう私の人生を邪魔するものなど、何もないのだ。
狭い牢に私の高笑いが反響する。
その音色は、天使の吹く喇叭の響きに似ていた――
死亡した前任の看守に代わって、稀代の殺人鬼『目つぶしジャック』の牢の番を任された若い看守が、その初出勤の朝に最初に見た光景は、自らの両目を潰し自殺した牢の住人の死体であった。
その硬直した口元には、狂気じみた笑みが残っていたという。
〈了〉




