憧れ
地平線に浮かぶ黒い影。
影は少しづつその領域を広げ、地平線を埋め尽くそうとでもしているかのように大きくなっていく。
それが、左目の視界。
「かなりの数ですね。俺達の軍にも、勝るとも劣らない」
左目を閉じ、『遠視』の魔法による効力を受けた右目だけで敵を見渡す。
全面で砂煙を上げて向かってきているのは騎馬ばかりだが、その後方には歩兵もいるだろう。ならば、規模そのものは自分達と同等だと見た方がいい。
「それなりの数を揃えてきたわけか」
左手側には将軍、その後ろに副将軍が控えている。
やや曇った二人の顔が、これから起こるであろう戦いに対する懸念を示している。
「敵前衛部隊、停止しました。どうやら陣を張るようですね」
「わかった。偵察は十分だ、ひとまず我々も戻るぞ」
踵を返す将軍に続き、急増の高台を下りる。
『遠視』を解除し、両目の視界を通常のものへと戻す。
強化の副作用でボヤけた右目を擦りながら、確認した敵のことを考える。
東部諸国連合。
通称「連合」と呼称される小国家群が派兵してきたのが今回確認した軍勢であり、アーシュタット帝国東方征伐軍の最終打倒目標だ。
「元は西の小国と同程度の規模の国ばかりだった東方が、近年急激に帝国の脅威になった。その原因がこの連合だ。
東方には大小多くの部族があり、それぞれが国を形成していたのだが、どうもそれらをまとめ上げた男がいるらしい。東方の大国、ネイアット公国が"侵さず侵させず"の"絶対中立"を掲げている以上、帝国とて無視できん規模の国になった東部諸国連合は、唯一の脅威というわけだ」
「規模が大きくなっただけで、戦いを挑むのですか?」
「挑まざるを得ない、というのが正直なところだ」
将軍に対する問いに、副将軍が変わりに答える。
斥候の報告を受け、敵の軍勢を確認するために司令部の三人で行った簡易偵察後、現在は陣営の作成ン本部まで戻ってきた。
まだまだ僕を含め、司令部の面々にはきこちなさが残っている。互いに互いを探りあい、決定的な溝を作ってしまわないようにしているように感じる。
それでも、上辺だけで関わっている、というわけでもない。その点は、悪くないだろう。
「連合が規模を拡大したことによって、同盟国であるイシュタット、エグリゴア両国まで侵攻の恐怖にさらされることになった。だが――」
「両国とも他国との戦争中。連合にまで手を回す余裕は無い、ですか」
「そういうことだ」
要は、こういうことか。
帝国は、北と南を同盟国に挟まれることによって二方面の脅威を無くし、西と東は小国ばかりであったために安泰となるはずだった。
しかし、南北の同盟国が戦争状態になったことで、その支援に軍を派遣。その直後に東部の小国が連合を組み、脅威へと変貌。同盟を含む、三カ国が一気に狙われかねない状況となった。
帝国に援軍を要求するほどだ、同盟を組んでいる二国はギリギリなのだろう。連合にまで攻め込まれれば一気に崩される。
それを防ぐために、帝国は自国の防衛力を落としてでも遠征軍を編成。連合との戦いにあてることで注意を引き、時間稼ぎ。同盟国の戦いが終わり次第、今度はこちらが救援してもらう、ということか。
「…………」
「驚いたな……」
自分なりの分析を口にすると、二人の顔色が変わった。
副将軍は絶句。将軍は正直に驚きを口にしている。
「お前は戦いに出たことは無いと言っていなかったか? なのに、たったこの程度の説明でそこまで分析出来るとは……」
そう、そう言っていたのだ。
事実、すでに国々が魔導政府の下に併合された時代に生まれた僕は、本格的な戦いの経験は無い。
この世界は殺し合いが大前提の戦争中だ。こんな殺伐とした世界では、僕の甘い考えも、平和な時代の生活を良くするために作られた僕の魔法も、戦いの役には立たない。
それでも、僕はこの世界で生きていかなくてはいけない。
そう決めたから、僕は|自分の力をこの世界に適応させるまで(・・・・・・・・・・・・・・・・・)戦いから身を退いておくつもりだった。
そのために将軍達には伝えておいたのだ。「俺は戦いの経験が無い」と、正直に。
(調子に乗ってしまった? もう少し説明を求めて状況把握すべきだったのかな)
少ない情報から状況を把握するための能力は、あちらの世界でも重要視された能力項目だ。僕はその能力で高い評価を受けていた。
そのことが、僕の立場を再び危うくしている。
「ふっ」
「……将軍?」
「ははははは! おもしろいじゃないかバルディオ!
『戦いの経験は無い』『ルーンキラーに狙われている』『軍内部の不破を助長する危険性がある』。
悪い面ばかりが目立っているが、ここまで能力が高ければ、そんなものを考えることすら馬鹿馬鹿しくなってくる!」
また出た。将軍の突発的爆笑。
普段感情を抑えている節があるせいか、ある一定の段階まで感情が高ぶると、それが爆発する癖があるらしい。
「くくくっ。お前を司令部所属にしたのは正解だったな」
将軍が、司令部の木で作られたテーブルに大きな紙を広げた。
「概ね、お前の言うとおりの状況だレイネート。よって、我々は連合と戦わねばならん」
将軍の言葉に頷く。
「開戦の準備だ」
将軍のどこか楽しげなあの言葉に、気持ちを引き締めた。
「宣戦布告は?」
「ありませんね。数年前に北方地域で乱用された、布告無しでの奇襲戦法に影響を受けているのか、近年は戦線布告無しでの戦闘が増えています。今回もそれに倣うと考えていいでしょう」
「レイネート、敵の正確な戦力はわかるか? 一応、斥候から大まかなものは聞いているが」
「魔法を使っても相当に遠い距離だったので断定は出来ませんが、前衛が騎馬で埋め尽くされていたことと斥候からの戦力報告を考えると、騎馬戦力五千と、歩兵が八千弱といったところかと」
「主武装やルーンマスターの有無は?」
「槍ですね。大き目の石を腰に巻いている兵も多くいましたが、用途はわかりません。
ルーンマスターの有無は確認できませんでした」
「そうか、わかった」
次々と情報が飛び交い、それを受けてテーブルに広げられた陣営地周辺をマッピングしたと思われる地図に書き込まれていく。
物語の中くらいでしか知らなかった世界を自分が体験していると思うと、不謹慎だが奇妙な昂揚感が湧き出てくる。
とはいえ、それも実際に戦いが始まるまでだ。戦いが始まってしまえば、おそらくそれどころではないだろう。
「もう一度偵察に行って、戦力を確認してきます」
「あぁ、頼む。私はもう少しバルディオと戦法について検討しておく」
「……間違っても敵に発見されるなよ」
二人に頭を下げて本部を出る。
一息ついて、形容しがたい昂揚感によって心拍数の上がった心臓を落ち着かせる。
落ち着いたことを確認し、閉じていた目を開けると、目の前に見知らぬ男性が立っていた。
ルーンキラーの第二波がもう来たのかと、落ち着いた心臓が再び跳ねたが、身に着けている平服には帝国のものと思われる紋章が縫い付けられていた。
「第七斥候部隊所属のバーツです。あなたを敵陣近くの偵察可能地点まで案内するよう、バルディオ副司令官より命を受けております」
「あ、ありがとうございます」
いつの間にか手配しておいてくれたらしい。そんな素振りは無かったのだが、意外と気の利く人なのかもしれない。
バーツと帝国独特の敬礼をしたまま所属を述べた姿や声音から、顔は若く見えるのに随分と厳格な印象を受ける。
「では、ついて来てください」
無駄なことは一切口にせずに歩きだすその背中を、慌てて追った。
「なんて、ことを」
思わず言葉が漏れた。
隣にいるバーツさんも、詳しくは見えていなくとも、火の手が上がっているのを見れば何が行われているかはわかっているだろう。
拡大された右目の視界には、褐色の肌に、木を織って作ったような奇妙な形状の鎧を纏った男達が映っている。
男達は槍を振り回し、大口を開けて笑っている。心底楽しそうに。
「どうして、笑えるんだ……!」
彼等の足元には、首が転がっていた。
兵士のものではない。
帝国でも、もちろん連合に所属する褐色の人のものでもない。
それは、村人の首だった。
連合が陣を張った平原から少し離れたところに、森を隔てて村があった。バーツさんは、その村の近くに天然の高台があるからと案内してくれたのだが――見えたのは、嬉々として略奪を行う連合兵と、泣き叫び、逃げ惑い、抵抗も出来ず殺されていく村人達。
気分が悪くなる、なんて生易しいものではない。
ルーンキラーによって帝国兵が殺されていくのを『自動索敵』で感じた時も同じような感覚があった。 今はその比ではない。
明確な"殺意"。
そんなどす黒い感情が、自分の内側から沸々と湧き上がってくる。
「戦いの経験が、無いそうですね」
終始無言だったバーツさんの、突然の言葉。
「……はい」
「こんなことは、日常茶飯事です」
「!!」
冷めた声で、目の前の光景が当然だと言わんばかりの言葉に怒りを覚え、自分でも驚くほどの勢いで隣の男を睨みつけた。
怒気を含んだ僕の視線を、バーツさんは真正面から受け止めた。
「これは戦争です。戦場では、兵士の精神をいかに安定させ、確実な戦果を得られるかが重要事項。しかし、それは簡単ではありません。『いつ死ぬかわからない』『殺さなければ殺される』。そんな強迫観念が、さらに兵を追いつめる。
精神安定のための方法は様々でしょう。
戦闘を続けることで感覚を麻痺させ、兵の価値観を戦いのみに向けさせる軍もあるでしょう。将の言葉によって奮い立たせ、極めて健全に戦果を挙げる軍もあるでしょう。情欲を満たすことで、娯楽を与えることで――此度のように、略奪を行うことで。
これらは、戦場に立ち、常に死と隣り合わせの兵士にとって一種の"救い"なのです」
納得できる話では、なかった。
しかし、理性の面では理解できた。
目の前の理不尽な光景と、バーツさんの話す現実で、僕はどう行動すればいいのかわからなくなった。
「戻りましょう。どちらにせよ、我等だけでは救うことも出来ません」
バーツさんにつられて、フラフラと立ち上がる。
足元が覚束ない。
この世界が、自分の生きる新しい場所だと決めた。だけど――。
「心が、折れそうです」
漏れ出た弱音に、バーツさんは何も言わなかった。
本部に帰り、見つかる危険性から偵察を中止して帰ってきたこと、連合により近隣の村が略奪にあっていたことを報告した。
将軍は一言「そうか」とだけ言って、遠征による影響を見るために陣営の見回りに行った。
今本部には、多くの情報が書き込まれた地図を睨む副将軍と僕の二人きりだった。
「戦う気力を失ったか」
「――え?」
地図から目を離さずにかけられた声に、壁にもたれ掛り呆けていた僕は答えられなかった。
「これが現実だ。お前の知らなかった、な」
"お前は甘い"。そう、糾弾されているのだろう。
「……バルディオ副将軍は、どう納得したんですか?」
あの光景を、どうやって自分の中に現実だと落とし込んだのか。
答えが欲しかった。
「納得するものではない。受け入れるものだ」
返ってきた答えは、求めていたものより簡潔なものだった。
「納得できないなら、無理にする必要もない」
余程腑に落ちない顔でもしていたのか、言い足してくれる。
「私も将軍も、略奪という行為は肯定しない。だが、軍がある程度の規模になれば似たような手段をもって統率が乱れぬようにすることもある。ならば、全てを否定するわけにもいかない。
ようは、自分なりに無理矢理な目的を作ってしまえばいいということだ。
連合の略奪行為が許せなかったのだろう? ならば、それを戦う理由にしてしまえ」
「ぁ……」
不意に、視界が開けた気がした。
決していい言葉ではないだろう。憎しみを糧に人殺しをしろと言われたのだから。
それでも――確かに先人の言葉に聞こえた。
「……私は、元は文官として士官した。そこから素養を見いだされ、指揮官として軍属になった。前例の無い、喜ばしい出世ではあったが、突然放り込まれた殺し合いの現場に葛藤もあった」
「え?」
「だから! 私にもお前と同じように悩んだ時期があったと言っている!」
顔をしかめ、決してこちらを見ようしないその姿に、僅かに頬が緩んだ。
「ありがとうございます」
「……ふんっ」
バルディオ副将軍の本音を、垣間見た気がした。
「ふっきれましたか」
本部前で立っていたバーツさんが、声をかけてくれる。
一度目こそ驚いてしまったが、その反省を生かし、常に一定の意識を『自動索敵』に向けることで対応できた。
「……はい!」
「ならばけっこう」
それだけを言って去っていく。
「かっこいいなぁ、皆」
かつて感じた憧れ。それに近い感情。
(あの人達を今度は目指してみようかな)