ルーンキラー――『意識喪失《フェイントミスト》』
前回の決意を速攻で破るという暴挙。
我ながら情けない限りです。
「正気ですか、将軍!」
言葉と共に振り下ろされる拳が、頑丈とは言えそうもない木のテーブルに打ち付けられる。
木が軋むような音が聞こえたが、原因となる拳の主の表情を見れば制止も出来ない。
いや、そもそも僕に制止の権限なんてものはない。
「素性のわからないこんな男を、軍へ編入したどころか副将軍相当の立場を与えるなど……正気の沙汰ではない!」
再び打ち付けられる拳。
彼はバルディオ副将軍。アーシュタット帝国東方征伐軍司令官補佐にしてナンバー2。
そんな彼が、自分に相談も無く僕のような怪しい人物を軍へと編入させると言われたのだから、怒るのも無理はない。ましてや、編入時点から自分と同等の副将軍相当なのだから。
「落ち着け、バルディオ。これから理由を説明してやる」
やや疲れた様子のアーシェ将軍。おそらく、この作戦本部に戻ってくるまでの間にも散々怒鳴られたのだろう。
なにしろ、「部下に説明してくる」と言ってからものの数分で帰ってきたのだから、その反発は想像に難くない。
「この男は優秀だ。『封じの鎖』の影響を無視して魔法を発動したこともそうだし、我が軍の現状も言い当ててみせた」
「そのようなことは理由になりません。優秀であるからこそ、他国の間諜や工作兵であった時に困るのです」
正直、バルディオ副将軍の方が正しいように思う。
素性がわからないというだけでも、敵と判断する方が正しいというのに、軍加入を認めた理由が「優秀だから」では、納得できない。僕でも反対する。
もちろん、このままでは僕が困るわけだけど。
「では、どうすれば認めるというのだ」
「何があろうと、認めることは出来ません。即刻殺すべきです」
本人を目の前にしながら言い切った。すごいとは思うけど、心臓には良くない。
「殺す」という単語に飛び上がった心臓を落ち着かせるように、静かに深呼吸した。
(見極めないと)
今、僕は窮地にいる。
一度は認められたものの、このままでは軍加入が反故にされかねない。いくら総司令官の将軍といえども、副官を始めとする部下達の諫言を無視は出来ない。
ならば、彼等にも納得してもらうしかない。
(そのための機会を見逃すな……! 必ず、好機はあるはずだ)
表面上は努めて無表情にこの場の論議を聞き流しながら、内面では付け入る隙を探していた。
「殺す、か。その意見には、お前達も賛成なのか?」
副将軍の後ろに立つ兵士達に水を向ける将軍。
装備が統一されていない所を見ると、おそらく彼等もそれなりの地位にいる人達だのだろう。
「恐れながら、千人隊長として申し上げます。
その男は危険です。『封じの鎖』で押さえられなかったのは、長年放置されていたことで力を失っていたからだとしても、どこの国から来たのか、それすらもわからない者を仲間とは思えません」
「同じく、千年隊長として同意いたします」
副将軍の後ろにいる四人の内、特に年配の二人が答える。
二人とも、右手の拳を左胸の上の方に当て、その態勢のままはっきりと言い切った。
将軍、副将軍ともに若い(二、三十代に見える)この部隊でも、彼等のような経験に溢れた兵士もいることでうまくいっているのだろう。
それはつまり、彼等の意見、彼等の賛同する意見を、軽くは見ることが出来ないことも意味している。
「ふむ……」
息を吐いて背もたれに背中を預ける将軍。彼女も、反論の余地を探しているらしい。
現状、この場での僕の味方は将軍だけだ。僕がこの世界に生きるためには、わかりやすい身分が必要になる。それこそ、軍の上層部ともなれば、(それが遠征軍内での特例処置でも)一応の身分となる。
彼等の言う、「素性がわからない」という問題点も、「帝国軍兵士」となれば解決する。
だからこそ、この軍への加入は必須条件に近いのだが……。
(……ん?)
我知らず目を閉じ、考えを巡らせていると、妙な違和感を感じた。視界の端に、何か赤いものが映ったような気がしたのだ。
しかし、今僕は目を閉じていた。視界に何かが映る、ということはないはず……。
(まさか……!)
突然百面相をし始めた僕に、周囲が疑惑と困惑の目線を送っているのも無視して、意識を再び自分の中へと落す。
はたして予想通りだった。
「敵です!」
「なに!?」
将軍が立ち上がり、千人隊長達にも動揺が走る。
「どういうことだ!」
求められた説明を、ほんの少し躊躇する。
僕が敵に気付いたのは、発動したまま忘れていた『自動索敵』の効果だ。
『自動索敵』は、対ストーカー用に考案したものだが、まだ未完成だ。
本来はマークした人物や怪しい人物を対象にする予定なのだが、その設定が難しく、現在は『統一言語』に使われている、他人の意識の表層をとる術式構成を流用、「敵意」と認識できるものを持つものを赤い光点で示すようになっている。
赤い光点は、『自動索敵』によって魔法領域内に作られた円状の簡易マップを真っ直ぐこちらに向かっている。
簡易マップの広さが起動者の視力に準拠しているため、その範囲は決して広くはない。急がなければ、敵がこの場に到達してしまうだろう。
(だけど……)
『自動索敵』は魔法領域内で起動している。ここで魔法を起動していたことを知られるということは、誰にも知られずに魔法を使えることを知られてしまうということ。ひいては、僕の危険性をより高める結果になってしまう。
この場を凌ぐために正直に言うか、後々問題にならないように黙っているか。
(……くそっ、そんなの無理だ)
「俺は警戒のために索敵用の魔法を使っていたんです。それに引っ掛かりました」
動揺がさらに広がった。それは、先程まで毅然としていた副将軍も例外ではない。やはり、誰にも気づかれずに魔法を使用できるのは脅威らしい。
だけど、こうする他なかった。敵襲については言ってしまった後だし、なにより『自動索敵』のマップに映る弱々しい光点を、見ていられない。
「敵は、道中にいる見回りと思われる兵を次々と撃破し、この作戦本部に直進しています」
声が意識せずとも低くなる。
『自動索敵』による簡易マップ上では、敵意を持つ者は赤、友好的な者は緑、それ以外は青の光点で記される。この魔法自体が「現在」に属する魔法なので、起動中の意識のみを基準に色づけしている。
先程から赤の光点が緑の光点に接触し、接触後の緑は弱々しい光へと変わっている。――つまり、死にかけている。
初めの方に敵と接触した兵士の光点が色を失ったのを見て、僕は本部を飛び出した。
本部を飛び出して、赤の光点を目指して走った僕はすぐに敵と接触した。
数は六人。全員が灰色のローブを纏っていて、顔はおろか体全体が隠されている。
その手には都合六本のナイフ。
「お前が、ルーンマスターか」
先頭の敵が構える。その声は不自然に掠れていて、男女の区別もつかない。
初めに構えたのがリーダー格なのか、呼応するように全員がナイフを構える。
突きつけられたナイフ、その全てが赤く濡れていた。
「よく、俺がルーンマスターだとわかったな」
冷静に声をだしたつもりだったが、耳から聞こえる自分の声は少し震えていた。
「…………」
連中は何も答えない。
腰を低く構え、僕を包囲しようとしているのか、少しづつ広がっていく。
「……わかった、もういい」
突きつけられたナイフが怖くないわけじゃない。
赤く濡れた切っ先は、否応にも断頭台での光景を思い出させてくる。怖くないわけがない。
それでも、僕の声が震えているのは恐怖ではないと断言できる。
こんな気持ちになったのは、子供の頃以来だ。――これは、僕が少しは変わり始めているということなんだろうか。
「レイネート! 下がれ!」
背後から、追いついてきた将軍が叫ぶ。
腰の剣を抜き、助けに入ろうとしてくれているのがわかる。
だけど、そんなものは手遅れだ。
「遅いな……死ね」
リーダー格の合図で、同時に四人が襲い掛かってくる。
四方からの同時斬撃。普段の僕なら、腰を抜かしたまま殺されていただろう。
だけど――今の僕は、すでに事を終えている。
「オヤスミ」
「――!」
僕に向かっていた白刃が異常に気付いて動きを止める。
僕の周囲は、すでに視認できるレベルの白い霧に覆われている。
霧は濃度を増しながら範囲を広げ、凶手へとその手を伸ばす。
動揺し、足を止めた敵に防ぐ術などなかった。
「……うぐっ!」
「あ……っ」
霧に触れた敵は、ことごとく小さな悲鳴と共に崩れ落ちる。
『意識喪失』。
人間の意識を保っている脳の中枢部分に働きかけ、強制的に失神させる。
魔導政府が犯罪者を取り締まるために開発した、数少ない対人間用の魔法。
(やっぱり、フィランツェ様のようにはいかないか)
こちらの世界に飛ばされる直前、僕の意識を刈り取ったのもこの魔法。
魔導政府でも指折りの術師であるフィランツェ様は、発生する霧を不可視にし、効力の強弱も自在だった。
僕は、まだまだその域には程遠い。
「まだ、やる?」
余裕を見せて恐怖を与えるために、わざと投げやりに言う。
それでも、まだナイフを構えていたリーダー格の凶手も、追いついた将軍を見て身を翻した。
「逃がすな、追え!」
呼びかけておいたのだろう、数人の兵士が逃げた最後の一人を追う。
「二時の方向に逃げました」
「二時?」
「森がある方向です」
僕が指を指すと、将軍がそちらへ兵士達を誘導する。
二時、という言葉が通じなかったのは、この世界の言葉に該当する言葉が無かったのだろう。つまり、時計が無いということだ。時間の概念も曖昧なのかもしれない。
「ふぅ……」
息をつく。
『意識喪失』の影響をまともに受けた人達は、あと十分は目を覚まさないはずだ。
「大丈夫か? 怪我は?」
「ありません、大丈夫です」
怪我一つ無い、というのは今更ながら運が良かった。
敵がすぐに追いかけてこなかったこと。『自動索敵』によって事前に襲撃を探知出来たこと。警戒されていたのか、すぐに襲われず、『意識喪失』の魔法を起動完了するだけの時間があったこと。
それらが無ければ、最悪死んでいたかもしれない。
(一時の感情に流されて……浅はかだったな)
この世界では、こんな無謀は何度も許されないだろう。
次からは、もっと慎重になる必要がある。
「将軍」
「ん、どうした」
「この男の腕をご覧下さい」
バルディオ副将軍が膝をつき、倒れていた一人のローブをはぎ取って腕を持ち上げている。
持ち上げられた腕の上腕部に、術式展開時に現れる構築式のような紋様と、それを突き刺すように交差する二振りの剣が描かれていた。刺青、のようにも見える。
「『ルーンキラー』、か」
「『ルーンキラー』?」
「ルーンマスターを古代にいた魔人の末裔だと考える連中だ。
遊撃戦を得意とし、三人から七人程の小集団で各国のルーンマスターのみを狙い撃ちにする。
ルーンマスターの絶対数が減っているのは、この連中のせいだが……知らなかったのか?」
まずい。どうも、ルーンマスターでなくとも知っていて当然の組織だったらしい。
将軍からの単純な疑問と、副将軍からの疑惑の視線が逃げることを許してはくれない。
何か、言い訳を考える必要がある。
「……隔離されていたので」
「隔離?」
「世間から隔離された地域で育ちました。今思えば、ルーンキラーから隠れるためだったのかもしれません」
嘘、というわけではない。
生まれた時から、魔導政府直下の執行官養成所で魔法を学んだ。全寮制で、執行官候補生になるまで一度も外に出たことは無い。
「にわかには信じがたいな」
「そうか? 納得できない話では無いと思うが」
副将軍は懐疑主義のようだ。
嘘くさい話であるのは否定しないが、信じようとする気持ちが一切感じられない。
『自動索敵』による光点表示は、将軍がやや緑の混じる青。副将軍は緑に赤が混じり合い、濁った青紫(に近い)色になっている。副将軍に賛同していた隊長達も似たような色だが、こちらは深緑と言った方が近い。
ここまで複雑な色は、『自動索敵』の試験起動段階では見たことが無かった。彼等もそれだけ複雑な気持ちなのだろう。
将軍とのこともある。ルーンマスターの有用性も考えなければならない。なにより、自分が仕えている国のことを考えているのは彼等も同じはずだ。
「将軍。この男はルーンキラーが攻めてくることを随分と早く気づきました」
「それは、魔法を使ったからだろう?」
「ですが、魔法を使うための呪文すらありませんでした。
一人で先走ったことも、ルーンキラーを一人逃がしたことにも疑問を感じます」
「回りくどいな、何が言いたい?」
おそらく、将軍も僕と同様に、聞かなくとも答えはわかっている。この場では、相手に言わせることが重要なのだ。
「この男が、ルーンキラーと繋がっているのではないかと言っているのです」
副将軍も、物怖じせずにはっきりと言った。この点はさすが副将軍となれるだけの人物といえる。
「ありえんな」
そんな副将軍の危惧を、にべもなく切って捨てる将軍。
しばらく睨みあうように視線を交差させる二人には、怒りは感じられない。
「……なぜ、そう言えるのです」
「お前達には言っていなかったが、ルーンキラーはすでに滅んだとある国の生き残りだ。
やつらは、自国にいた十数人のルーンマスターを全て殺害している。
ルーンマスターの有用性と希少性は、お前達も理解しているだろう? レイネートを強行にでも殺さないのは、その二つを考えた時、この軍に大きな利益をもたらす可能性がこの男にはあるからだ」
違うか? と副将軍に言葉を返した将軍の顔は、心なしか笑っているように見えた。
「自分達の国に仕えていたルーンマスターをも殺した連中が、外部のルーンマスターと手を組むとも思えん。あの国のルーンマスターは全員の死亡が確認されているしな」
副将軍は黙り、千人隊長達は困惑している。
「なぜ、ルーンキラーについて今まで隠していた事実を、教えてくれたのですか?」
しばしの逡巡の後、副将軍の放った言葉は、それまでの会話の方向からはやや斜め方向にずれたものだった。
外野から会話の行く末を見守るだけの僕には、目の前の会話がどのような思惑で行われているのかがわからない。
「いい加減、お前達との不和を解消しようと思ってな」
完全に笑みを浮かべて話す将軍。
余裕すら感じる声音には、楽しんでいる節すらある。
「不和、とは何のことでしょうか」
「とぼけるな。お前達もわかっているだろう?
私の置かれている特殊な立場もあるのだろうが、お前達は私に良い感情を抱いてはいまい。私も、そんなお前達に歩み寄ろうとしてこなかった。
結果、ここにいる部外者にすら不破を見抜かれた」
指を指されてたじろぐ。
副将軍の視線が、疑惑と疑念に満ち溢れているように思うのは気のせいではないだろう。
「歩み寄るべきだろう、お互いに」
「……いいでしょう」
副将軍が立ち上がり、千人隊長等にいくつか言葉をかけると、隊長達は右腕を左肩に当てる例の敬礼を行い、走り去っていく。
「この男の入隊を全軍に知らせるよう言っておきました。
ただし、立場は百人隊長と同格とし、司令部配属は監視のためと理由をつけておきました。かまいませんね?」
「うん、落としどころとしてはそんなものだろう」
「それと、あともう二点」
居住まいを正し、将軍と僕に交互に視線を送る。
「将軍、私があなたを良く思っていないのは事実です。認めましょう。
しかし、だからといって軍での進言や指揮の手を抜いたことはございません」
「あぁ、それは認めている。だからこそ、今まで放置してしまった」
「それと、この男を信用することも出来ません。あなたが自らの補佐官としたのは、この男の力を利用すると共に監視するためであるはずです」
「異論は無い」
「ですので、しばらくは様子見とさせていただきます。少しでもおかしな動きをした場合は、私の判断で処断させていただく」
「だ、そうだが問題はないか?」
最後の部分は、僕を見ながらの言葉だ。
「余計なことをすれば殺す」という脅し。
言われなくとも、怪しまれるような行動は極力避ける。僕には、他に行くところもないのだから。
「問題ありません。信用は、働きで得ることにします」
大きく頷く将軍と、まだ納得しきれないのか鼻を鳴らすにとどまる副将軍。
兎も角、これで当面の居場所は確保できた。
問題があるとするなら、僕の魔法がどこまでこの世界で通用するのかということと――
(ルーンキラー、か)
千人規模の軍でさえ恐れさせるルーンマスターを狩る組織。
今回は凌ぐことが出来たが、話を聞く限り、対ルーンマスターの秘策があると考えるのが妥当だ。
それが、知識か技術かはわからないが。
(警戒は続けた方が良さそうだ)
今後は『統一言語』に加え、『自動索敵』も常時起動とすることに決めた。
9/30 なぜか副将軍の名前が「バルディオ」だったり「バルディア」だったりしていたので、「バルディオ」に統一しました。何故こうなった。