軍への加入――『自動索敵《オートハント》』
もう少し早く更新出来るよう、努力します
アーシュタット帝国東方征伐軍。
北にエグリゴア、南にイシュタットという同盟国に囲まれた帝国において、最も警戒すべき東部諸国に対抗するために結成された軍。
西には数百単位の軍しか持たない小国のみが存在する現状において、この軍は唯一と言ってもいい戦場を担当する。
しかし、同盟国である二国が共に他国との戦争状態であるため、人員がそちらに回され、十分な軍備が整っていない。つまり、慢性的な人手不足に陥っていた。
「ゆえに、たとえお前のような得体の知れん者であろうと、使わざるを得ないのだよ」
大きく胸を張り、自分の横を歩く女性はそう締めくくった。
「自国の軍を弱体化させてまで同盟国を助けるんですか?」
足を止めず、率直な疑問をぶつけてみる。
「エグリゴアはつい最近同盟を結んだばかりだ。多少の機嫌取りはしておかんとな。
イシュタットに関しては、皇帝陛下の弟君が建国された国だ。助けぬわけにはいかんだろう」
「皇帝の弟が、別の国を作ったんですか? それは――」
裏切りに近いのではないだろうか?
そんな僕の心を読んだわけでもないだろうが、彼女が笑いながら説明をしてくれる。
「複雑な事情があるのだ。この件に関してはあまり口に出すなよ。余計な波風が立つ」
説明になっていなかった。
とはいえ、口調は軽くともそこにある事情は簡単ではないのだろう。しっかりと釘を刺される。
「そら、着いたぞ」
立ち止まり、示された方向に首を巡らせると、そこには周囲の野営テントよりも幾分大きいだけの粗末な建物があった。建物、といっても大きめのテントを木で補強しただけのものだが。
先に中へ入った彼女の後を追い、木の板で作られた扉を閉める。
建物内にあったのは、中央に置かれた円形のテーブルと、その周囲を囲むようにして設置された椅子。それと、地図のようなものやランタン(これもまた、実物は初めて見た)が置かれた背の高い棚だけがあった。
これが、アーシュタット帝国東方征伐軍作戦総本部(仮)。
(仮)というのは、敵を撃破しながら軍全体で進軍しているので、野営のたびに作り直されている(らしい)からだ。
「さて――」
入口から丁度正反対の位置にある椅子に腰掛け、口火を切る征伐軍総司令官。
「話を聞こうか」
イグナシルからこちらの世界に来て僅か数時間程で殺されそうになり、一時は断頭台にまで登らされ、そこで軍への入隊を要求した。
あの後、軍内でも混乱が起き、様々な意見が飛び交っていた。
「危険だ。今すぐに殺すべきだ」「ルーンマスターは貴重だ。軍に組み込めるなら利用した方がいい」。そんな意見が、僕の目の前で当たり前のように行われた。
攻撃の隙を与えるないよう、《試験術式》での威嚇を解くわけにはいかず、ただ断頭台で立ち尽くしていた僕に、東方征伐軍総司令官にして将軍アーシェ・バロンはこう持ちかけた。
『二人きりで話をしよう。それによって、お前が信用出来ると私が判断すれば採用。そうでなければその場で切り捨てる』
警戒を解いたような微笑すら浮かべた表情で提案する彼女に対し、やはり兵士達は誰一人反対の意思を示さなかった。
初めは、彼女は部下から絶対の信頼を得ていて、だからこそ誰も彼女の行動に異を唱えないのかと思っていた。
しかし、魔法を封じる道具すら無視して魔法を使った僕と、総司令官であり、ひいてはこの軍にとって最重要人物であるはずの彼女を二人きりにするなど、正気の沙汰ではない。如何に彼女の武勇が秀でてようと、パニックを起こすほど恐れているルーンマスター相手に、無事が保障されていると思っているはずもない。
結果として、僕はある予想をしていた。
「まずは自己紹介しようか。
改めて――私はこのアーシュタット帝国東方征伐軍総司令官、アーシェ・バロンだ」
「……レイジ・ネート。軍属ではありません」
「そういうことにしておこう」
笑みを浮かべながらこちらを見ているのは値踏み、だろうか。
探るような嫌な感じはないが、なぜかこの人に見られていると居心地が悪くなる。
「えー……それで、レイ、ネート、か? お前に質問をしたい」
やはり、名前はうまく伝わらない。
『統一言語』の指向性を双方向に修正したとはいえ、「話者の意図を音として伝える」というこの魔法の性質上、名前のような音そのものに意味のなく、対応する言葉を相手が持たないものはうまく翻訳されないらしい。
(イグナシルでは、そんなこともなかったんだけど……)
「私がまず聞きたいのは、お前がナブル平原でたった一人で居た理由。それから、我が軍に入隊したいと言った理由だ」
手元にメモのようなものを用意しながら、問うてくる。
ナブル平原とは、初めに目を覚ました草原のことだろう。
「前者については、答えられません。後者については、生きるためです」
彼女の正面に座る――ということはせずに、入口付近に立ったまま答える。彼女も特に気にした様子は無い。
実は、索敵用の魔法『自動索敵』を、気付かれないように魔法領域内で起動している。外部展開してしまえば視覚に映る術式も、体内の異次元空間である魔法領域で起動してしまえばわかりはしないだろう。少なくとも、この世界の人達には。
『自動索敵』は本来ストーカー被害に悩む女性が身の安全を確保するために作ったものなのだが、思わぬところで役に立った。
(周囲に気配が無い。普通なら、もしもの時のために部下を配置するはず)
たとえ上官に止められたとしても、自発的に守ろうとするのではないだろうか。――本当に、この女性が信頼される上官なら。
「答えられない、か」
息を吐き、前かがみになっていた姿勢を戻すアーシェ・バロン。
その目は、真っ直ぐに僕へと向けられている。
「生きるために軍の入隊を希望をすると言ったな? ならばわかるはずだ。
私達も生きるために戦っている。
虎視眈々と帝国の領土を狙う東部諸国。それをけん制するために進軍すれば、今度は正体不明の連中が遊撃戦を仕掛けてくる。その上、自分達の内部にまで不安を抱えるわけにはいかんのだ」
わかるだろう? と目で訴えてくる。
その目は強い意志を持ちながら、同時に不安も内包しているように感じる。初対面から感じた、自信に満ち溢れた不可視の力を感じないからだ。
「軍内部の不安、ですか」
「うむ。疑心暗鬼を抱えた軍は、自ら瓦解する。お前が我が軍に入りたいというのなら、皆に信用されるだけの材料が欲しい」
「ならば無意味でしょう。瓦解のための条件は、すでに揃っている」
僕の言葉に、僅かに彼女の肩が揺れる。
「あなたは俺が軍に入れば、兵が不安に感じるとおっしゃいましたね。
ならば何故、ここには俺達二人しかいないのですか?」
答えは帰ってこない。視線こそ逸らさないが、ほんの少しの動揺が目に浮かんでいる。
攻める時だ。
「ルーンマスターは、並の兵士では太刀打ち出来ないはず。そんな危険な相手と二人きりで話すという貴方を、周囲の部下達は何故止めようともしなかったのか」
彼女の手に力が入る。
僕の予想が、確信に変わった。
「あなたは信頼されているから一人での行動を容認されているわけではない。何かあってもかまわない。――さらに言うなら、何かあって欲しいと思われているのではありませんか?」
突きつけられていた視線が、テーブルへと落とされる。
重ねられた両手は、微かに震えている。
やはり、僕の予想通りだった。彼女は、部下に――軍全体に疎まれている。
「……ふっ」
暫く目を閉じ、黙っていた彼女が小さく息を吐いた。そして直後――
「あははははははは!」
突然笑い出した。
困惑する僕を置いてけぼりのまま、彼女は笑い続けた。
「……収まりましたか?」
「ふっくく……あぁ、大丈夫だ……くっふふ」
手を上げて問題無いとアピールしているが、笑いはまだ収まっていない。
(何がそんなに可笑しかったんだ?)
未だ笑いの残滓に体を震わせている総司令官殿は、必死で呼吸を整えている。
理解不能なその行動に、こっちの居心地が悪くなってきた。
「いや、すまない。つい、な」
なにが「つい」、なのか。
説明を求めて目線を送る。
「ふふ……なに、誰も指摘出来なかったことを、まさか他国の人間に指摘されるとは思っていなくてな」
たったそれだけのことで……?
茫然とする僕に、意味ありげな流し目をくれるアーシェ司令官。
(あぁ、そうか)
それだけではない、ということだ。
おそらく、面白いから笑ったのではない。笑うしかなかったのだ。
誰も指摘をしなかった、ということは、誰もが敵だから、ということでもある。
そんな状況で、それでも必死に軍をまとめて戦って来ているのに、ポッと出の男に見ないフリをしていた暗部を指摘されてどうしようもなくなったのだろう。
自分の意思に反する感情の爆発。僕にも覚えがある。
あの時は、良い感情ではなかった。彼女も表面上から受ける感情とは違うのかもしれない。
「ふむ、すまん。話が逸れたな」
逸れた、というより話の腰が折れた。
この場にあったはずの、ある種の緊張感が無くなり、空間には弛緩した空気が漂っている。
それは、彼女がほぼ完全に警戒を解いてしまい、それに僕も引っ張られてしまっているということだ。
「本題に戻るぞ。
君の入隊の件だが、認めよう」
「は!?」
「早速証明書と契約書を作らねば……」などと言いいながら席を立つ司令官を、信じられない目で見つめる。
そんな僕の視線を完全に無視し、彼女は書類を数枚テーブルに置いた。
「これが契約書。前線での特例任官用に使われる簡易的なものだ。適当に氏名などを書き込んでおけ。
こっちが入隊証明書。軍の責任者である私が君の入隊を許可したことを記しておく。陣地内で動く時に必要となるから、お前を知らない兵士に誰何されぬように暫く持ち歩け」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
テキパキと進められる話についていけず、思わず止めてしまう。
このまま軍に入る事が出来れば、この世界に生きるために都合のいい立場が手に入るのだが、さすがに納得が出来ない。
(なんだか、頭が痛くなってきた……)
「不服か?」
僕を見つめる視線には、何故止めたのか、と心から不思議に思っていることがうかがえた。
「なぜ不思議そうに見るんです……」
「軍に入りたいのだろう? ならば、問題は無いと思うが」
「もう少し真剣に考えてください!」
ついテーブルに拳を叩き付け、抗議する。
驚いてはいるものの、その驚きを視線を動かすことだけで消化したのは、やはり素晴らしい胆力だ。
が、それとこれとは全く別の話である。
「なんのために二人きりで話をと提案したんですか! 人目があるところでは話が出来ないことを、お互いに探り合い、そこで妥協点を探るためでしょう!?
それをなんですか! こちらの一手に対して爆笑で返したどころか、笑い終わった途端、突然あっけらかんと入隊を認めて!
意味がわかりませんよ!!」
我慢できずに一気に捲し立てる。
途中から、なぜ自分にとって都合の悪い方向に自分でもっていっているのか、わからなくなった。
情けないやら、泣きたいやら。
都合のいい流れを切ってまで、なぜ相手の行動、その危うさをアピールしなければならないのか。
「面白い表現だな」
「~~~~! あなたは――」
「お前がそういう人間だとわかったからだ」
的外れな感想を漏らす惚けた司令官に、さらに追撃しようと思った時、不意に彼女の表情が変わった。
不意を突かれて怯む僕に、真っ直ぐにぶつけられる視線。
苦手だ、と思った。
この女性のペースも、やり方も、この真っ直ぐな視線も。
「お前の我が軍への加入を認める。不都合はあるか?」
「……ありません」
「そうか。なら今からお前は私の部下だ。しっかり励め」
負けた。
言葉は仕方ないとしても、態度だけは強気でいこうと思って相手の弱みであろうところへ打って出たのに、終わってみればこちらの惨敗。完全にむこうのペースに飲み込まれた。
結局、態度まで元の自分に戻っていることを頭の片隅で認識する。
「部下には私から説明しよう。寝床などは後で連絡させるが、取り急ぎ所属や階級などはこの任命書に書いておいたから目を通しておけよ」
そう言って僕に書類を一枚渡し、新たに上官となった女性は一人で作戦本部(仮)を出て行った。
「はぁ……。今後あの人を上官としてやっていくのか……」
考えた途端、気が重くなった。嫌ではないが、振り回されそうだ。
とにかく、これからのことも考えなくてはいけないので、軍内部での自分の立場が書かれた書類に目を通す。
「……は?」
開いた口が塞がらない、という言葉を聞いたことがあるが、自分が体験するとは思わなかった。
やけにゴワゴワした手触りの紙には、
『氏名:レイネート
所属:司令部‐司令官補佐
階級:将軍付補佐官(副将軍と同等の権限を有することとする)』
と書かれていた。