空港
飛行機が、白い残像を残して、青い空に飛び立った。
M.Cはそれを見送った。日が傾くまで見上げて、そして、疲れて俯いた。
握りしめた鉄のフェンスは冷たく、M.Cの両手はすでに感覚をなくして久しい。
「これでよかったと、あんた、言える?本当に、これで、よかった?」
背後からかけられた声に、M.Cはびくりと肩を震わせた。緩慢に振り返った先に、パンクスタイルの女性を見つけて、M.Cは肩の力を抜いた。
真っ赤に染め上げた、アシンメトリーの髪型。黒で固めた服装だが、どうしてか赤のイメージを思わせる女性だ。
伸ばし放題の黒髪、化粧気の全くない顔のM.Cとは大違いだ。普通の人が見て、接点があるようには思えない。
「涼子姉さん」
M.Cの声に、その女性―-相司涼子は頷いた。M.Cは意図があって呼びかけた訳ではなく、ただ答えてほしいから呼びかけた。
「これで、良かったの。あたしも、浩孝も納得してるわ」
「納得、ねぇ……愛してたんだろ?なんで……」
「愛してるよ。でも、あたしには夢があるの。大学に行って、結婚して、子供を産んで。程々に老いたら、眠ったまま死ぬっていう夢。でも、その夢に浩孝は頷かなかった。なら、同じ道は歩めないもの。愛していても、同じ道を歩まないなら、それは――それは、幸せになれない。一緒になれない。ずっとずっと、あたしと浩孝は、別々の個体だ」
肉体を重ねることを、二人は拒絶した。絶対的なプラトニックにあって、精神の統一を求めて、それでも、叶わなかった。それこそが望みでありながら、ただ一つの違いを認められず、無くせないために、固体であることを余儀なくした。
「愛してるの。愛してるんだ。愛して、たんだ……」
涙の混じるM.Cの声を、涼子は黙って聞く。ほとんど独白のようでも、それを分かち合える人がいるのといないのでは違う。胸の張り裂けるような切なさや、虚しさが、そこに共有される。
「あいつに、……会い、たいか?」
「会わないって、決めた。だから、会えない」
「今追いかければ、まだ、間に合う」
涼子の言葉に、M.Cは頭を振った。その頬は、霜が張り付いてあかぎれのように赤くなっていた。
「遅いよ。もう、遅い」
追いかけるべきだったのは、いつだったか。夏の始まりか。冬の終わりか。少なかれ、空港でないのは確かだった。
「いっちゃったんだ」
「……帰ろう、M.C。帰ろう」
「……家に、帰るの?浩孝がいないのに、帰ってどうするの。また、毎日同じことを繰り返して、退屈な勉強して、それで何になるっての?もううんざりよ。あたしは、行く。浩孝を探す旅に出るの」
「旅に?」
涼子が問い返すと、M.Cは頷いた。もう涙は枯れて、その目は強い意志を持って輝いている。その双眸は血走り、一種狂気を覗かせた。
「あんたまで、行くつもり?それだけは許さないよ」
「許さない?涼子姉さん、貴女にはあたしを束縛する権利はないよ。あたしは、あたしのしたいようにする。それを抑止できるのは、浩孝だけ」
「ふざ、けんな!その浩孝は、もう居ないだろ!」
かっと頭に血が上り、涼子はM.Cの頬を打った。よろめいてフェンスにぶつかったM.Cの首に手をかけ、息が絶えるか絶えないかの瀬戸際まで力を込める。
「浩孝のいない剥き出しのあんたに負けるほど、あたしは、弱くない。あんたを殺すくらい訳ないんだ」
「ぐ、か……」
息苦しさからM.Cは涼子の手を掻き毟る。だが、血が滲もうが皮膚がずるむけようが、涼子はその手を離さない。
「どうせあんたは、あたしのものにならないんだろ。なら、あんたの意思なんか関係ない。一生涯飼い殺してやる」
後頭部に鉄柵が当たって、メリ、と骨の軋む音がした。じわりと視界が膨張して。涼子の顔が不細工に広がる。馬鹿、そう呟いて。M.Cの意識は途切れた。