第10話 家族会議を開きます。
前回までのあらすじ
キボンヌ定期w
「ここからは、公爵家としての話をしよう」
父ジョルジュの一言で、その場の空気が変わった。
娘を案じる父の顔から、グランシエール公爵家当主の顔へ。静かな切り替わりではあったが、その場の誰もが自然と背筋を伸ばした。
母シモンヌでさえ、レティシアの手を握ったまま表情をわずかに引き締める。
公爵家としての話。つまり、これはもう家庭内の範疇を超えているということ。公衆の面前で王太子が婚約破棄を宣言し、公爵令嬢を悪女と断じた。その後始末をどうするか、という会議である。
とはいえ、家族会議というにはいささか議題が重すぎた。普通の家なら、せいぜい夕食のメニュー決めか、旅行先の相談くらいのものだろう。それが、王家への賠償請求と名誉回復について語るなど、たぶん少数派だ。
〈家族会議キターヽ(∀゜ )人(゜∀゜)人( ゜∀)ノ〉
〈そのAAなっつ〉
〈重すぎ案件〉
〈王太子、逃げろ〉
逃がすわけがないだろう。慰謝料と領地を差し出すまでは、地獄の果てまで追い詰めるつもりだが、なにか?
レティシアは心の中だけでそう返し、母に手を引かれて屋敷の奥へ進んだ。
通されたのは内向きの応接間。客を迎えるための華やかな部屋ではなく、グランシエール家の者たちが日常生活を送るための落ち着いた部屋だった。
深い色の絨毯、壁際の本棚、磨き上げられた長椅子と低いテーブル。暖炉には火が入っており、外の冷たい夜気とは別世界のようだ。
暖かい。ただそれだけで、少し泣きたくなる。
……いや、泣かんし。今泣くと話が進まなくなる。あと化粧も落ちるし、黒い涙でドレスが汚れる。公爵令嬢の涙には、しかるべき段取りが必要だ。
ジョルジュが一人掛けの椅子に座り、シモンヌがレティシアの隣へ腰を下ろす。
すでに怒り心頭のミシェルはその場で剣を抜きそうになるが、父に短く「座れ」と言われてようやく腰を下ろした。
ロランはジョルジュの斜め後ろに控え、アリスはレティシアのそばに立つ。
これで出席者は揃った。本人、父、母、兄、執事長、専属侍女。かなり込み入った話であるため、他の使用人たちは意図的に遠ざけてある。
家族会議というより、すでに小さな対策本部といった趣だった。前世の職場で何度か見た、だいたい良くないことが起きた時に立ち上がるやつだ。
「まず言っておく」
ジョルジュが静かに口を開いた。
「これは、お前を責めるための場ではない」
レティシアは、わずかに息を呑んだ。仕様と違う。ゲームでは、ここから両親による冷たい叱責が始まるはずだった。
家名を傷つけた。王家に泥を塗った。聖女候補に何をしたのか。そう責められ、レティシアは家の中でも孤立していく。
ありがたい違いだ。今夜だけで二回も公開処刑されるのは、さすがに遠慮したい。
「あなたは、ただ事実を話してくれればいいの」
シモンヌがレティシアの手をそっと握る。
「無理に整えなくていいわ。あなたが見たこと、聞いたことを、そのまま話せばいいのよ」
「……はい、お母様」
レティシアは小さく頷いた。
ただ、その前にジョルジュの視線はアリスへ向かう。
「アリス。大広間で見たことを順に話しなさい。お前はその場にいたのだからな」
「はい、旦那様」
アリスは緊張した様子で一礼したが、その声は思ったより落ち着いていた。顔色は悪いが視線はぶれていない。
レティシアは少しだけ誇らしくなる。
アリス、有能。だけど、どうか馬車の中での「ステータス、オープン」のくだりは、永遠に心の引き出しへしまっておいてほしい。
〈できる侍女〉
〈緊張した顔も可愛い〉
〈アリスたん歳いくつ?〉
〈おまじないの件も言え〉
いや、それは言わなくていい定期。
レティシアはそっと祈った。
アリスは大広間で起きたことを順に告げた。
王太子ユリウスが卒業パーティーの場で婚約破棄を宣言したこと。
聖女候補ミシュリーヌ・ポアレへの嫌がらせを理由として、レティシアを悪女と糾弾したこと。
レティシアが証拠の提示を求め、王太子はそれに答えられなかったこと。
レティシアが婚約破棄を受け入れる代わりに、嫌疑が事実無根であった場合の謝罪と慰謝料、そして身を置くための領地を求めたこと。
王太子が、公衆の面前でそれを認めたこと。
そして、最後までレティシアがミシュリーヌを責めなかったこと。
アリスの声は途中で何度か震えたが、報告そのものは簡潔だった。感情を抑え、見たことと聞いたことを客観的に伝えている。
すばらしい。前世の職場にもほしかった人材だ。
報告が終わると、部屋の中には静寂が広がる。最初に口を開いたのはロランだった。
「つまり王太子殿下は、陛下の裁可なく王家とグランシエール公爵家との婚約を衆人環視の中で破棄すると宣言された、ということでございますな」
言葉は淡々としている。だが、冷たい。とても冷え切っている。思わず身ぶるいするほどに。
見てほしい、このさぶいぼを。
「加えて、明確な証拠を示さぬまま、お嬢様を断罪した、と」
事実を並べただけでこの温度である。
ロランは何ひとつ誇張していない。ただ、起きたことを順に確認しただけだ。それなのに、部屋の空気は冬の廊下より冷たい。
つまり問題はロランの言い方ではなく、王太子の行動そのものだということだ。
〈事実しか言ってないのに辛辣w〉
〈いいぞもっと言え〉
〈地味にディスってるw〉
ディスりたくなる気持ちもわかる。許されるなら、私だってあの場で『このハゲっ!』と言ってやりたかった。
「……今から王城へ戻ります」
低い声で言ったのはミシェルだった。見れば、すでに立ち上がりかけている。
目が据わっていた。それは近衛騎士団副団長ではなく、妹を傷つけられた兄の顔だった。とてもありがたい。胸が熱くなる。だが、かなり危うい。
「座れ、ミシェル」
ジョルジュの声が落ちた。
「しかし、父上」
「座れ」
二度目の言葉は短かった。ミシェルは奥歯を噛みしめるようにして、再び椅子へ腰を下ろす。
「剣で片づく話なら、とっくにそうしている」
ジョルジュが静かに言う。それは父としての言葉であり、当主としての言葉でもあった。
聞いたミシェルは黙り、レティシアも口をつぐむ。
――いや、今の一言、少し怖いんですけど。
〈兄ちゃんガチギレ案件〉
〈腕力で解決しようとすなw〉
〈脳筋かw〉
〈パパ上も本音では斬りたい説〉
やめてほしい。王太子を斬るルートなど、前世の私も設定していない。たぶん。いや、没案にあったかもしれないが、実装はされていないはず。――そう信じたい。
「今回の件には、三つの問題がある」
ジョルジュは指を一本立てた。
「第一に、レティシア個人の名誉が傷つけられたこと」
次に二本目。
「第二に、グランシエール公爵家が、公衆の面前で侮辱されたこと」
そして三本目。
「第三に、王家が神殿の聖女候補を巻き込んだこと」
部屋の空気がさらに重くなる。
「これはもはや若者の痴話喧嘩ではない。王家と公爵家、そして神殿をも巻き込んだ問題だ」
そのとおりです、お父様。そしてその中心にいるのが、真実の愛とやらを叫んだ王太子だ。
前世の企画会議ならここで全員が黙るか、誰かが「いったん持ち帰りましょう」と言う場面である。だいたい持ち帰ったところで、翌日さらに紛糾するのは目に見えていたが。
ジョルジュの言葉に部屋の空気が重く沈んだ。
レティシアは、ようやく実感する。
自分が大広間で切り抜けたのは、断罪イベントの一幕だけではなかった。
王家と公爵家。
そして神殿。
いくつもの立場と思惑が絡み合う、もっと大きな盤面に、自分はもう立たされていた。
前世のゲームなら、ここでチュートリアル終了の文字が出てもおかしくはない。けれど現実には、そんな親切な表示など出なかった。
いまさらながらに事の大きさを再認識したレティシア。
その姿を見つめるジョルジュの瞳は、決して笑っていなかった。




