Benzin und Elektrizität
ベルリン郊外にある「ホフマン・アウト・ツェントルム(ホフマン自動車センター)」。
ヨアヒムは、祖父の代から続くこの店で、磨き上げられたエンジンの金属光沢と、微かに漂うガソリンの匂いを愛していた。彼にとって自動車は単なる移動手段ではなく、ドイツの誇り高きエンジニアリングの結晶であり、個人の自由の象徴だった。
しかし今、ショールームを流れる空気は重く冷え切ってた。
「 ヨアヒム、また政府が発表したよ。2030年代のガソリン車新車販売禁止、あれを前倒しする検討に入ったってさ。補助金も電気自動車にしか出さないらしい」
部下の言葉に、ヨアヒムは愛用のレンチを握りしめました。
彼の店の裏には、まだ十分に走れる、しかし「排ガス規制」という名目で価値を奪われた名車たちが並んでいます。
「連中はわかっていない。EVのバッテリーを作るのにどれだけの希少金属を他国から買い、どれだけの電力を石炭火力に頼っているのかを。誇り高きドイツのエンジン技術を自らドブに捨てて、国民には高価な『走る家電』を買えと強制するのか」
ヨアヒムは、環境保護そのものを否定しているわけではない。しかし、今の政府が進める「強引な電動化」は、彼のような熟練工の技術を「過去のゴミ」として扱い、地方の労働者の生活を壊す、傲慢なエリートたちの自己満足にしか見えなかった。
その夜、ヨアヒムは事務所の古いPCで、最近SNSで話題になっている「あの男」の動画を目にした。
『……今日の政府は電気自動車を推進しながら原子力に反対するという矛盾した政策を打ち出している。これは愚かな行為だ! ドイツの技術力を自ら去勢し、インフレに苦しむ国民にさらなる追い打ちをかけているのだ!』
男の叫びは、ヨアヒムが喉まで出かかって飲み込み続けてきた怒りそのもの。
「……そうだ。その通りだ」
ヨアヒムは、かつて歴史の授業で習った「独裁者」への嫌悪感よりも、自分の人生と誇りを肯定してくれる「言葉」の力に圧倒されてしまった。
彼は、店の片隅にある古いラジオから流れる「多様性」や「クリーンエネルギー」を讃える単調なニュースを消し、ボリュームを最大にして、その「再起動された演説」を聞き入った...
そして新たな動画がアップロードされる。
そのタイトルは「虚飾の進歩と、去勢された技術者たち」
「諸君、誤解するな。私は電気という新たな動力そのものを否定するつもりはない。科学の進歩を拒むほど、私は愚かではないからだ。
だが! 現実から乖離し、空想に溺れた政府が打ち出す『ガソリン車販売禁止』という名の暴挙については、私は声を大にして、、断固として否定する!
諸君、考えてみろ。
もし本当に、電気自動車が既存のエンジンよりもあらゆる面で優れているという自負があるならば、政府の介入など必要か? 補助金という名の毒饅頭を配り、法で競争相手を縛り付ける必要があるか? 否だ! 真に優れたものは、人々の意志によって、自然に旧きを淘汰するものだ。
今の政府がやっていることは、環境保護ではない。
外国の自動車メーカーに打ち勝つ牙を失った国内企業を、温室の中で甘やかしているに過ぎないのだ。
たしかに、ドイツの技術は世界一であった。かつては!
だが、この数十年、利権にまみれ、胡坐をかいた政治家どもの怠惰な政策が何を招いたか?
我々が誇ったエンジン技術は、今や極東の日本にその座を奪われた。そして、国家を挙げて優遇していたはずの電気自動車ですら、アメリカや中国の後塵を拝しているではないか! これが、我々が愛した『技術大国ドイツ』の末路か?
これは悲劇だ。競争を恐れ、苦難から逃げ出した臆病者たちが招いた、必然の敗北である!
諸君、心に刻め。
競争と苦難こそが、物事を進歩させる唯一のガソリンなのだ。
これは自動車の話だけではない。教育、政治、経済……この国のすべてにおいて、『平等』や『保護』という名の甘えが、ドイツ人の魂を去勢してしまったのだ。
我々は今一度、荒野に出る必要がある。
守られることを拒否し、自らの力で勝利を掴み取る、あの強靭な意志を取り戻さねばならない。
安逸な温室を焼き払え。
真の進歩は、冷徹な現実の炎の中からしか生まれないのだ!」
ヨアヒムを最も苦しめていたのは、長年誇りを持って整備してきたガソリン車が、いつの間にか「地球を汚す悪」と決めつけられたことだった。それはガソリン車だけではなく今まで自分の歩んできた人生そのものを国家から否定されているような気分だった。
環境保護という「正義」の刃で切りつけられ続けてきたヨアヒムの心に、彼の主張が響き渡った。




