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ヒトラーユーゲント


 小さな一軒家。

 もう5月だというのに暖炉の日がパチパチと音を立て、その暖炉の前に一人の老人がロッキングチェアに腰を掛けくつろいでいた。


 名はフリードリヒ・ミュラー 元ヒトラーユーゲント


 かつて彼はベルリン防衛戦においてソビエトの戦車をパンツァー・ファウストを用いて2両撃破した功績でドイツの英雄として総統から直々に勲章を授与された経験を持つ老人であった。

 

 フリードリヒは口には出さないが戦後、ナチスは悪となり全世界から糾弾され、メディアでは反省の歴史と耳が腐り落ちるまで聞かされ続けたのだ。


 やがて出来た家族の前では過去の話だと笑って済ませてきたが心の奥底ではいつもあの煌めきを、誇りを捨てたことはなかった。


 (誇りだ、あの勲章はドイツを守った証だ。総統が直接、私の頭を撫でてくれたあの瞬間を忘れたことはなかった。誰にも否定させはしない。皆裏切ったのだ。この数十年間世界はおかしくなっている。)


 その時、玄関のベルが激しく鳴った。


 ドアを開けると、息を切らした自らのひ孫であるルーカスが立っていた。


 頬は真っ赤で、目には涙が留まっていた。


 「……ルーカスか。こんな時間に、どうした」


 「ひいお爺ちゃん...パパとママがスマホを取り上げようとして...あの動画を見ちゃダメだって...パパたちが……僕の自由を奪おうとするんだ」


 ルーカスが泣きじゃくりながらスマホを握りしめていると、ひいおじいちゃんは節くれ立った大きな手で、少年の頭を優しく撫でました。その手は驚くほど温かく、そして鋼のように安定しています。


 「そうか。……さあ、入りなさい。お前の話を聞こう。」


 フリードリヒは母親が「体に悪い」と禁止していた甘いココアをたっぷりの砂糖とともに淹れ、ルーカスの肩に古いウールのブランケットをかけた。近頃の若い連中の主張は潔癖が過ぎる。


 「さあ、話してごらん、いったい何があったんだ?」


 フリードリヒはルーカスから一連の出来事を聞いた...最もいろいろSNSだのショート動画だのわけのわからない単語があり全てを理解したわけではないがひ孫の主張は決して間違ったものではないと感じられたのだ。

 

 最近の連中はあれは食べられない、これはアレルギーだ、これは不衛生だ……。潔癖すぎて、見ていて虫唾が走る。我々の時代は、泥にまみれても食らいつき、生き抜くことこそが正義だった。今の奴らは、少しでも自分に合わないものがあれば『不快だ』『配慮が足りない』と騒ぎ立てる。それは自分の息子や孫...リベラル政党の議員と結婚した孫娘、その孫娘もまたフリードリヒには理解不能の活動をしており口には出さないが不快感を抱いていたのだ...だからフリードリヒはひ孫の嘆きに賛同した。


 「さあ、もう泣くな。親に叱られたくらいで、そんな情けない顔をするんじゃない。」


 「おじいちゃん...これ見て。 今日アップされたばかりの動画なんだけど...僕は総統が言っていることは正しいと思うんだ。」


 ルーカスから手渡されたスマホから音声が響く それはフリードリヒがかつて数十年前聞いたあの総統の声そのものだった。


 「諸君、今の学校という場所を見てみろ。そこは学びの場か? いや、違う。『臆病な羊の飼育場』だ!


 今の教師どもは諸君に何を教えている? 『衝突を避けろ』『個性を尊重しろ』『何よりも清潔であれ』……。笑わせるな! 彼らが諸君に強いているのは、個性ではなく『無害であること』だ。


 かつてのドイツの教育は、若者に『意志』を与えた。困難に立ち向かう不屈の精神と、国家を背負う誇りを与えた。だが今はどうだ?


 『あれは食べてはいけない』『これは不謹慎だ』と、アレルギー物質を避けるように言葉を選び、潔癖な正義感で互いを監視し合う。そんな軟弱な精神で、どうしてこの荒れ狂う世界の荒波を越えられるというのだ!


 政府が諸君からSNSを取り上げようとするのは、諸君がこの『温室の教育』から抜け出し、真実の毒に触れることを恐れているからだ。


 若者よ、潔癖であるな。泥にまみれろ。


 教科書を閉じ、このデジタルという広大な荒野へ飛び出せ。


 彼らが諸君の牙を抜こうとするなら、その指先で、スマートフォンという名の新たな武器を研ぎ澄ませ!


 教育とは、諸君を従順にすることではない。


 諸君を、自らの運命を切り拓く『戦士』にすることなのだ!」


フリードリヒの脳内にまるで電撃が駆け巡るような衝撃が駆け巡った...それは数十年ぶりに聞いたあの懐かしい声、主張...


「総統……閣下……!?」


 フリードリヒの瞳が変った瞬間だった。


 最初はただの驚き、しかしそれは一瞬にして確信に変わった。私が総統の声を忘れるはずがない。


 あの1945年、ベルリン防衛戦の狂気的な煌めきが老人の瞳の奥底からゆっくりと、しかし確実によみがえった瞬間だった。


 息が荒くなった、胸に動悸が心臓が唸る。


 その様子を見てルーカスが心配そうに「おじいちゃん?」と問いかける。


 私の体は自然とあの動きを、直立したのだ。腰の曲がった老体がまるで鉄の棒のようにまっすぐになった...背筋が伸び、肩が開き、右腕が自然に迷いなく45度の角度で上がった。


 敬礼、完璧なかつてのドイツの敬礼。


 掌は水平、指は整い視線は画面に映る総統に、いや失われた過去、帝国に


 貫いていた。それは完璧な敬礼であった。


 暖炉の火が彼の横顔を照らす、皺だらけの頬に涙が一筋伝わった。


 それは悲しみでも喜びでもなかった。


 ただ「待っていた」という長すぎる空白の終わりを告げる静かな解放の涙であった。


 その様子を見てルーカスは凍り付いた、まだ小学生の少年にとってこのひいおじいちゃんのこの姿は、初めて目にする本物の何かであった。


 怖かった、でも同時になぜか胸の奥が熱くなった。


 フリードリヒは敬礼を解かずに低く、かすれた声でつぶやいた。


 「総統閣下...お戻りになられたのですか。我々は、我々はまだ……持ち場を離れておりません……! ベルリンの灰の下で、この命が尽きるのを待っていたわけではない……再び、御旗の下に集うこの時を……信じておりました!」


 その時、ルーカスの手の中でスマホが震え、アルゴリズムが次の動画を無慈悲に、そして完璧なタイミングで呼び出しました。


 スピーカーから、さらに音圧を増した「あの男」の声が、古い石造りの壁に反響します。


 『――私は戻ってきた。いや、私は一度も去ってはいない! 諸君の心の中に、誇りが一滴でも残っている限り、私は常にそこにいたのだ。……今こそ、沈黙の時代を終わらせようではないか!』


「ハッ……!」

 

 ルーカスは、スマホを握る自分の手が、ひいお爺ちゃんの鼓動と同調して震えていることに気づきました。


 画面の中の「総統」と、目の前の「老兵」。


 その二つの点が、ルーカスという「未来」を媒介にして、一本の巨大な鉄の線で結ばれた瞬間でした。


 「……ルーカス」


 フリードリヒは敬礼を解かぬまま、視線だけをひ孫に向けました。その瞳は、2025年のベルリンを見ているのではなく、「これから始まる新しい千年」を見据えていました。


「お前が持ってきたのは、ただの動画ではない。……それは、我々の魂を呼び戻す『ラッパの音』だ」



 


 


 


 


 

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