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認知戦、制御不能な「猛火」

 ベルリンの喧騒から隔絶された、冷たいコンクリート壁のセーフハウス。アルチョム・ボリソヴィッチ・イワノフは、琥珀色のウォッカが揺れるグラスを握りしめたまま、大型モニターの青白い光の中にいた。


 SVR(ロシア対外情報庁)のドイツ担当官として、彼はこれまで数え切れないほどの「毒」をこの国に注入してきた。SNSのフェイクニュース、エネルギー価格への不満を煽るBOT軍団、リベラル政権の偽善を突くスキャンダルの流布。それらはすべて、ベルリンを内側から腐らせ、モスクワに有利な空白を作るための「職人の仕事」だった。


 だが、今、モニターの中で静かに語る「あの男」は、イワノフが用意したどの「毒」よりも純粋で、鋭利だった。


 「……異常だ。アルゴリズムが、我々のコントロールを離れて加速している」


 イワノフは掠れた声で呟いた。


 当初、この「ヒトラー」を名乗る男の動画を見つけたとき、彼は小躍りした。ドイツの過去という最大の傷口に塩を塗り込む、最高の攪乱材料だと思ったからだ。イワノフは本国に極秘の予算を申請し、数百万のBOTを使ってこの男の演説を「トレンド」の頂点へと押し上げた。


 だが、ベルリン・フォーラムでの討論が終わった今、イワノフの胸を支配しているのは、達成感ではなく、胃の腑を掴まれるような「本能的な拒絶」だった。


 画面の中の男は、ドイツのエネルギー政策を「去勢された羊の行進」と断じ、一億人の孤独な魂を、一瞬で一つの「意志」へと同期させてみせた。


(……これは、我々が仕掛けた『分断の工作』ではない。……これは『統合』だ。最悪の形でのな)




 ベルリン・フォーラムの狂乱が冷めやらぬ翌日。イワノフは、モスクワ直通の暗号化回線の前に座り、最後の手順として「作戦完了」の報告を打ち込んでいました。


 彼の手元にあるモニターには、ドイツ国内のSNS占有率、トランプ大統領の投稿による拡散数、そして何より「既存政党への不信感」を示すグラフが、当初の計画を遥かに上回る「レッドゾーン」を突き破っていた。


 

 イワノフの報告書:極秘暗号通信

『……ベルリン担当官イワノフより、モスクワ・ヤスネヴォ本部へ。

「オペレーション・ヴォスクレセーニエ」は、現時刻を以てフェーズ1の全目標を達成した。対象の演説動画は、我々のBOT網の誘導により、独国内の全年齢層の40%に浸透。既存のリベラル秩序は、トーマス・ベックの失脚と共に再起不能な亀裂を見せている。

これ以上の加速は、工作の痕跡を露呈させ、かえって対象への反発を招く恐れがある。即刻、デジタル介入を最小限に留め、監視フェーズへ移行することを上申する。』


 イワノフは、使い捨ての暗号キーを物理的に破壊し、ウォッカを煽りました。


 彼は「職人」でした。火をつけ、燃え広がるのを確認し、類焼が自分たちに及ぶ前に、手際よくその場を立ち去る。それがプロのやり方。


 しかし、数分後に返ってきた返信は、彼の「職人の矜持」を冷酷に踏みにじるものだった。


『否。フェーズ2「ジニェーツ」へ移行せよ。

支援を停止するな。むしろ現状の3倍のトラフィックを投入し、炎をドイツ全土、ひいては欧州全域へと拡大させよ。

対象が「実体」として権力を掌握するまで、我々は背後から風を送り続ける。灰の中から新しい欧州を構築するのが我々の最終目的だ。躊躇いは不要。継続せよ』


「……ジニェーツ、だと?」


 イワノフは、モニターに映る「男」の、あの射抜くような眼光を凝視しました。


 モスクワの上層部は、自分たちが死者を操る魔術師だとでも思っている。だが、イワノフは現場の熱を感じていました。この男は、ロシアの「駒」になるような器ではない。


 (……奴らは、死者を呼び戻したつもりだろうが、実際に呼び寄せたのは、自分たちをも裁く「最後の審判」ではないのか?)


 イワノフは、本国からの命令に従い、さらなるBOTの濁流をネットワークに放流しました。


 かつてナポレオンを、そしてヒトラーを飲み込んだロシアの「冬」が、今度はデジタルの「嵐」となって、ドイツの背中を押し始めたのです。


 だが、イワノフは確信していました。


 この炎がベルリンを焼き尽くした後、その矛先が必ず東に向けられることを。


 彼は、自分が始めた認知戦という名の劇薬が、自分自身の祖国をも焼き滅ぼす最期の儀式になることを予感していた。


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