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哀しき過去と決意


 クララ・ヴァイス 身長: 約185cm。エリアスよりも頭半分ほど高く、世の男性の殆どが彼女と並んで歩くと圧倒的な威圧感を与える。髪は氷の破片を散りばめたようなプラチナブロンド。ストレートなロングヘアだが、執務中は規律正しくシニヨンにまとめられている。瞳は感情の起伏を拒絶するスチールブルー。声は訓練されたアルト。囁き声であっても、相手の鼓膜に重く響く。年齢は30歳。20代の青さが抜け、組織の腐敗と世界の残酷さを知り尽くした「完成された野心」を持つ女性。エリアスにとって、10歳の年の差がある彼女は、抗いがたい「権威」と「母性的な支配」を兼ね備えた存在であると言えるかもしれない。


 エリアスを送り届け、黒いセダンに戻ったクララは、一人、夜のベルリンの雨音に耳を傾けていた。


 彼女はダッシュボードの奥、グローブボックスの隠しスペースから、一枚の古びた写真を取り出した。そこには、警察学校の卒業式で、眩しそうに目を細めて笑うエリックの姿がある。


 エリアスには同期とだけ語ったが、かつて殉職したエリックは彼女の婚約者であった。


 (……似ているわ。あの迷いのある瞳。細い指先。……そして、この腐り果てた世界に、絶望し始めているその「匂い」までも)


 クララは、エリックの笑顔を指先でなぞった。


 エリックは、法を守ろうとして死んだ。ならば自分は、法そのものを「作り直す」側に回る。あの日、彼の命を奪ったナイフを研ぎ澄ませたのは、リベラリズムという名の甘い怠慢だった。


 彼女は写真をしまい、バックミラーで自分の瞳を確認した。


 そこにあるのは、恋人を失った女の悲しみではない。


 二度と愛する者を奪われないための、絶対的な暴力を肯定した、冷徹な独裁者の信奉者の目だった。

 



 その後ベルリンのエリアスのアパートにて


 ミアがキッチンから戻り、腫れたエリアスの頬に冷たいタオルを当てたとき、その指先は震えていました。彼女のブラウンの髪からは、いつも通りの、どこか安心させる石鹸の香りが漂っていた。


「……怖かったわよね、エリアス。もう大丈夫」


 ミアは彼を包み込むように抱きしめ、耳元で囁きました。彼女にとって、この狭いアパートの平穏こそが、守るべき世界のすべてでした。


 しかし、エリアスの身体は、彼女の柔らかな温もりを拒絶するように強張っていました。彼の鼻腔に残っているのは、ミアの清潔な匂いではなく、女警官、クララの纏っていた、雨に濡れた革と、微かな硝煙、そして「古い軍服」のような、重苦しくも抗いがたい支配の香りでした。


 深夜、ベッドの中でミアはエリアスの胸に顔を寄せ、指先で彼のシャツのボタンを一つずつ外していきました。


 「……ねえ、エリアス。今夜は、こうしていたいの。……忘れてしまいましょう、恐ろしい体験のことは...私たちには、この温もりがあれば十分でしょう?」


 ミアの誘いは、切実な「救い」の形をしていたのだ。彼女は、エリアスの心が自分から、そして「正しい日常」から離れていこうとしているのを本能で察知し、自分の肉体という防波堤で彼を繋ぎ止めようとしていた...


 エリアスは目を閉じ、ミアの柔らかな肌に触れました。


 しかし、暗闇の中に浮かび上がるのは、ミアの優しい茶色の瞳ではなかった。


 (……あの、スチールブルーの眼差し)


 自分を見下ろしていた、185センチの長身の影。


 泥の中から自分を引き上げた、黒い革手袋の冷たい感触。

 

 そして、現実を知り尽くした女性が放った、あの慈悲のない、しかし「真実」を孕んだ一言。


 『……君は、彼の中に「救い」を見ている。違うかしら?』


 ミアが吐息を漏らし、エリアスの首筋に唇を寄せます。


 その瞬間、エリアスの脳内では、クララのプラチナブロンドが夜の雨に打たれて白銀に輝く残像が、鮮烈にフラッシュバックしました。


 ミアの愛撫は、今のエリアスには、自由を奪う「去勢」のようにさえ感じられたのだ。


 彼女が求める「平和な愛」よりも、クララが提示した「血と秩序の予感」の方が、今の彼の渇いた魂を激しく愛撫していた...


 「……エリアス? どうしたの、そんなに冷たい顔をして」


 ミアが不安げに顔を上げました。


 エリアスは無理に微笑み、彼女のブラウンの髪を撫でましたが、その瞳はミアを通り越し、窓の外に広がる、クララが存在するはずの漆黒のベルリンを見据えていた。


 「……いや。少し、傷が痛むだけだよ。」


 隣にいるのは、愛し、守るべきだと教えられてきた女性。


 けれど、彼の指先は暗闇の中で、ポケットにあるスマートフォンを、クララとの「共犯の証」を、無意識に探し求めていました。


 ミアの温かな肌が触れるたび、エリアスは得体の知れない「重圧」に窒息しそうになっていた。


 これまで、彼はミアを守ることが自分の使命だと思い込んでいた。デモの喧騒から彼女を庇い、彼女の抱く「理想」が傷つかないように言葉を選び、彼女の無垢なブラウンの瞳に曇りがないか、常に気を配り続けてきた。それは正しいリベラルな騎士道のはずだった。


 しかし、今夜、泥にまみれた自分を引き上げたクララの黒い革手袋の感触が、そのすべてを瓦解させていたのだ。


 



 深夜、ベッドの中で、ミアの寝息を聞きながらエリアスは、暗闇の中で天井を見つめていた。


 隣で眠るミア。彼女は、僕が「強い男」として彼女を守り続けることを疑っていない。でも、ミア……。君を守るために、僕はどれだけの嘘を自分につき、どれだけの弱さを隠し続けてきたと思う?


 君の語る「平和」を守るために、僕は自分の内側に沸き起こる「怒り」を殺してきた。


 君を安心させるために、僕は自分の「無力さ」を認められなかった。


 (……僕は、疲れたんだ。誰かの『盾』であり続けることに)

 

 脳裏に、あの路地裏の光景が蘇る。


 自分より頭半分背が高い、美しくも力強いクララの姿。


 雨を弾く漆黒のコート。


 そして、自分を「守るべき弱者」としてではなく、「意志を継ぐべき苗床」として冷徹に見下ろした、あのスチールブルーの瞳。


 クララに顎を掴まれたとき、エリアスは生まれて初めて、「支配される快感」を知ってしまった。


 彼女の前では、無理に強くある必要はない。彼女の構築する「秩序」という巨大な揺りかごの中に、自分のすべてを委ねてしまえばいい。彼女なら、僕の泥だらけの魂を、その冷たい指先で「浄化」してくれる。


 エリアスは、ミアが回した腕をそっと外した。


 その仕草は、もはや優しさではなく、古い抜け殻を脱ぎ捨てるような冷ややかさを帯びていた。


 彼女のブラウンの髪は、春の午後のようなまどろみを与えてくれる。


 けれど、今のエリアスが欲しているのは、クララのプラチナブロンドが放つ、「冬の夜の、凍てつくような安息」だった。

 

 「……ごめん、ミア。僕はもう、君の騎士にはなれない」


 


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