Kurzvideo
2025年 5月
様々な人々がそれぞれの小さな世界で「彼」の声を聴き始める。
ベルリン とある一家、とある小学生の場合
ルーカス・ミュラー、10歳
幼い少年ルーカス 父親はリベラルな政党の地方議員を務め、母親はNGO団体で難民支援のコーディネーターをしている多様性を重視するごく普通の家庭であった。
家にはRefugees Welcomeと呼ばれる難民歓迎のステッカーが貼ってあり、夕食時の話題などは多様性、平和、気候変動などよく持ち上がったのだ。
幼いルーカスにはその意味について詳しくはわからなかったが両親が正しいことをしているというのは知っていた。
ベルリン市内の公立小学校。休み時間の教室は、多文化が混ざり合う色彩豊かな場所であると同時に、時として剥き出しの悪意が飛び交う戦場でもあった。
「おい、アミール! お前の持ってるパン、変な匂いがするぞ。アラブの腐った豆の匂いだ!」
教室の隅で、数人の男子生徒がシリアから来たばかりのアミールを囲んでいました。一人が鼻をつまむ仕草をすると、周りがどっと沸きます。
「ドイツ語だってへたくそじゃないか。『お腹すいた』もまともに言えないのかよ?」
「なんで俺たちの学校にいるんだよ。パパが言ってたぞ、お前らみたいなのが来るから街が汚くなるんだって。国へ帰れよ!」
アミールは、耳まで真っ赤にして俯き、震える手でランチボックスを握りしめていました。その瞳には、絶望と、言い返せない悔しさが滲んでいます。
その輪の中に、ルーカスは迷わず割って入りました。
「やめろよ! そんなの全然かっこよくないぞ!」
ルーカスはアミールの前に立ちはだかり、クラスの「ボス格」の少年を真っ直ぐに見据えました。
「パパが言ってた。言葉が違うのは、その人が悪いんじゃなくて、僕たちがまだ仲良くなる方法を知らないだけだって。アミールのパンが変な匂いなんて嘘だ。僕、こないだ一口もらったけど、すごく美味しかったよ。……『国へ帰れ』なんて、パパやママが聞いたら、君たちはすごく恥ずかしい人間だって言われるよ!」
ルーカスの背筋はピンと伸びていました。自分は正しい。パパやママと同じ、「善い側」の人間として振る舞っている。その全能感が、10歳の彼を強くさせていました。
「……ふん、ルーカスの家は議員さまだもんな。気取ってやがる」
捨て台詞を残して少年たちが去っていくと、ルーカスはアミールに微笑みかけました。
「大丈夫だよ、アミール。僕がパパに言って、もっとみんなが仲良くできるようなポスターを作ってもらうからね」
アミールは小さく「ありがとう」と言いました。
ルーカスは誇らしかった。自分は多様性を守った。パパたちの理想を、この小さな教室で体現したのだと。
放課後、学校の校門を出たところで、ルーカスは待ち伏せていたボス格の少年、マックスと数人のグループに囲まれてしまった。マックスの父親は、ハンス議員が進める再開発計画で立ち退きを迫られている、小さな運送会社の経営者でした。
「よう、正義の味方ルーカス。今日も『多様性』のパトロールか?」
マックスが、ルーカスの肩を乱暴に小突きました。周囲の少年たちが、冷ややかな笑い声を漏らします。
「アミールを助けてカッコいいつもりかよ。お前のパパがテレビでいい顔してる間に、俺の家は借金まみれなんだ。お前のパパが『緑の道』を作るせいで、俺のパパのトラックは街に入れなくなったんだぞ!」
「……それは、地球のためなんだよ。パパが言ってた、未来の子供たちのために……」
ルーカスは、いつもの「正しい言葉」で反論しようとしました。しかし、マックスは顔を真っ赤にして叫びました。
「未来の子供? 俺だって子供だろ! お前のパパが守ってるのは、アミールみたいな遠くから来た奴らと、お前みたいな金持ちのガキだけだ。俺たちの生活を壊して、何が『多様性』だよ。偽善者め!」
マックスは、ルーカスの足元に唾を吐き捨てました。
「お前のアラブの友達と一緒に、国へ帰るか? あ、お前はドイツ人か。じゃあ、その気取った議員の家ごと消えてくれよ。お前みたいな『いい子ちゃん』、見てるだけで反吐が出るんだ」
ルーカスは言い返せませんでした。パパの言葉が、目の前のマックスの怒りに対して、あまりにも「薄っぺらな呪文」のように感じられたからです。
「……ルーカス、アラブの匂いがうつってるぞ。あっち行けよ、汚いな」
グループの少年たちが、ルーカスを避けるようにして去っていきました。
一人残されたルーカスは、震える手でランドセルのベルトを握りしめました。
自分が正しいことをしたはずなのに、なぜ自分は「汚い」と言われ、拒絶されているのか。パパが守っている「未来」の中に、友達のマックスは入っていないのか。
夕食前の静かな時間。階下からは、母がオーガニックコットンの洗濯物を畳む音と、父が電話で「不寛容な勢力への対抗策」を同僚と議論する熱い声が漏れ聞こえてきた...
ルーカスはベッドの上で丸まり、スマートフォンのバックライトに顔を照らされていました。
画面の中に現れたその男は、あまりに場違いで、あまりに滑稽でした。教科書で見た、あの「絶対的な悪」のコスプレをした変なおじさん。最初は、クラスの男子がやるような悪趣味なパロディ動画だと思って、鼻で笑いました。
(なんだ、これ。パパが見たら、顔を真っ赤にして『歴史への冒涜だ!』って叫ぶだろうな)
そう思うと、不思議と画面を閉じる指が止まりました。
今日、マックスに「偽善者」と罵られ、正義の味方ごっこを全否定されたルーカスの心には、両親が作り上げた「正しい世界」への小さな、しかし鋭いヒビが入っていたのです。
「……見てやるもんか。パパたちが禁止してるものなんて」
口ではそう呟きながら、ルーカスは音量を最小にして、動画を再生しました。
『……諸君。君たちの周りにある「正義」という名の偽善に、反吐が出ないか?』
心臓がドクンと跳ねました。
まるで、さっき校門の前でマックスに言われた言葉を、このおじさんがどこかで見ていたかのようなタイミング。
『……大人は君たちに「多様性」を説く。だが、彼らが認めるのは「自分たちに都合の良い多様性」だけだ。君たちが抱く素朴な疑問、目の前の友人が苦しんでいる現実……それを口にした途端、彼らは君たちを「不寛容だ」と断罪し、口を封じようとする。……どちらが本当の独裁者かな?』
ルーカスは息をするのを忘れていました。
パパはいつも「何でも話し合おう」と言うけれど、ガソリン車の話になると、マックスのお父さんのような人達の事情なんて聞こうともしなかった。ママは「みんな仲間だ」と言うけれど、マックスが怒っている理由は「教育が足りないせいだ」と切り捨てていた。
このちょび髭のおじさんが言っていることは、パパたちの「優しい言葉」よりも、今日マックスに突き飛ばされた時の「痛い現実」に、ずっと近く感じられた気がした...
「……これ、AIじゃない。本当の人が喋ってるみたいだ」
ルーカスは、自分がとんでもない深淵を覗き込んでいることに気づき始めていました。でも、止まらない。
次のショート動画をスワイプする指は、もはや好奇心ではなく、「自分を理解してくれる唯一の味方」を探す、切実な渇望に変わっていた。




